ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

あえて

説明の難しい副詞を。三省堂国語辞典の説明はどうもうまくありません。

 

  あえて(副)①むずかしいとわかった上で。「-危険をおかす・-言えば」②わざわざ。特に。「朝聞く曲には、-クラシックを選ぶ」③〔文〕別に。必ずしも。「-おどろくには当たらない」  (三国)

 

まず①。「あえて危険をおかす」というのは、「難しいとわかった上で、危険をおかす」のでしょうか。「危険だとわかった上で(それをする)」ということではないでしょうか。わかっていて、なぜするのか。その時の気持ちは、どういうものなのか。そこが、「あえて」を使う理由でしょう。

 

  明鏡 ①《下に意図性をもった動詞句を伴って》困難な状況や心理的抵抗をおして物事を行うさま。そうする(または、そうしない)だけの価値があるものとして言う。しいて。「君のために-言おう」「評価は高いが、-苦言を呈する」「将来を慮り、責任は-追及しない」

 

心理的抵抗をおして」「そうするだけの価値があるものとして」というあたり、いいですね。また、単に「むずかしい」というより「困難な状況」と言うほうがいいでしょう。

新明解は、用法を分けず、一つの語釈と多くの例でこのことばを説明しようとしています。

 

  新明解  自分の置かれた立場や状況から見て、損失や危険を伴うことを承知の上で、成功した際の効果を期待して、思い切ってその事を実行する様子。「反対意見を押し切って、-決行した/-言わせてもらえば、君は辞任した方がいい/人権問題に関わること故、-再考を求める/そんなぜいたくな物は-〔=無理してまでも〕食べたいとは思わない」

 

新明解の語釈は限定しすぎ(「損失や危険」は言い過ぎ)だと思いますが、用例がいいですね。ただし、最後の例で「無理してまでも」というのはちょっと違うように思います。

とにかく、「あえて」というのは、これぐらいいろいろ書かないと、その意味合いが伝わらないような副詞なのです。(明鏡や新明解を見ても、これで「あえて」の使い方が十分にわかった、とは言えないと思います。)

 

三国の②。

  ②わざわざ。特に。「朝聞く曲には、-クラシックを選ぶ」

この例は何なのでしょうか。それに、単なる言い換えの語釈。

 

  わざわざ ①〔そのことのためだけに〕特別にするようす。「-おいでいただきまして」②する必要のないことを、ほねをおってするようす。「-遠回りをする・-来てやったのに」

  とくに ①ほかと区別して。わざわざ。「私が-指名を受けた・日本固有のことばを-和語と言う」(②以下略)

                       (三国)

「あえて」の語釈の「わざわざ」というのは、この①の用法のつもりなのでしょうが、「そのことのためだけに、特別に」クラシックを選ぶ、というのはどういう意味なのか。「他と区別して」クラシックを選ぶ? まあ、「選ぶ」というのは、そもそもそういうことでしょうが、この説明で「あえて」の意味はわかるのか。

だいたい、「朝聞く曲には、-クラシックを選ぶ」って、何が言いたいのでしょうか。「クラシック」といってもいろいろあるのですが、「朝聞く」には、「あえて」選ばなきゃいけないようなものなのか。(もう、めちゃくちゃです。)

昔、「朝のバロック音楽」という番組がFMでありましたが、あれも「あえて」やっていたのでしょうか。(今もやっているのかしら?)

この例文は第六版にはありませんでした。「改訂」でかえってわかりにくくなった例です。

なお、三国の3つの用法の分け方は、明鏡の、数は同じ3つの分け方とはかなり違いますが、そこの細かいところは私にはどう考えたらいいのかわかりません。新明解は一つにまとめているし。

 

  明鏡 ②《主に不必要の意を持つ表現を伴って》とりたてて~する価値が無い。別に。特別に。ことさらに。「-泣くことはない」「-断るまでもない」③《下に打消しを伴って》全く。少しも。また、必ずしも。「壊滅と言うも-誇張ではない。▽古い言い方。

 

 三国の語釈・例は、きちんとした説明を諦めているように感じます。三国の「売り」である、「要するにどういうことか」がぜんぜんわかりません。「あえて」は、「要する」ことができない語なのです。もっとしっかり説明してもらわないと。

 

[追記] クラシック

三省堂国語辞典の「クラシック」を見てみました。

 

  クラシック ④西洋の古典音楽。クラシック音楽。例、ベートーベンの曲。

 

三国の編者の一人である飯間浩明は、『辞書を編む』の中で「リズムアンドブルース」の語釈について書いています。苦心の結果、4行に渡る語釈が施されているのですが、この「クラシック」はあっさりしています。

「西洋の古典音楽」以上の説明をしようとすると、かんたんにはすまない、ということはよくわかります。そこで「例」をつけたのでしょうが、ふむ、ベートーベンですか。

これが、「あえて」の「朝聞く曲には、-クラシックを選ぶ」という例文につながっているのでしょうか。重い、堅い曲が多いベートーベンは、朝聴くには「あえて」選ぶものである、と。(それとも、三国の編者たちはクラシック一般をそもそもあまり聴かないのか、、、)

「クラシック」の説明としては、明鏡のほうが多少いいかな、と思います。

 

  ジャズ・ポピュラー音楽などに対して、西洋の伝統的な作曲技法・演奏法による純音楽。古典音楽。「クラシック音楽」の略。[明鏡国語辞典 第二版] 

 

これでも、詳しい人に言わせれば、いろいろと不満なところはあると思いますが。 

 

 

青竹

また「青」をめぐる語を。

 

  青竹 幹の青々した竹。あおたけ。「-踏み〔=半分に割った青竹を踏む足裏マッサージ〕  (三省堂国語辞典

 

最初にこれを読んだとき、そういう種類の竹のことかと思いました。つまり、竹にもいろいろあって、青々したものから、品種の違いでそれほど青くないものもあって、というふうに。

他の辞書を見ると、どうも違うようです。

 

     新潮現代 幹の青い生のタケ 

  学研現代新 切り取って間がない青い竹

  明鏡 切り取って間もない、幹がまだ青い竹  

 

なるほど。切ってから時間がたつと、青くなくなるわけですか。

あれ? では、「青竹踏み」の竹は青くなくなっているはずですね。

もしかすると、あれは本物の竹ではなくて、合成樹脂に色を塗ったもの??

ともかく、三国の記述は改良の余地があります。

 

青臭い

以前、「青」や「赤」に関することばを何回かとりあげたことがありますが、今回はその続きのような語を。

 

  青臭い ①青菜を切ったときのにおいのような感じだ。②未熟だ。「-議論・-文章」[派生]青臭さ。青草み。  三省堂国語辞典

 

「青菜を切ったときのにおい」だそうです。例解新も同じ説明ですが、他の辞書では微妙に違います。

  

  新明解 青菜や未熟なトマトなどを切ったときのにおいがする感じだ

 

「未熟なトマト」が加わりました。

他の辞書では「青草」説が多いようです。

 

  岩波 青草を切ったときのような

  新潮現代 青草などの発するようなにおいがする

  三省堂現代 青草のようなにおいがする

 

まあ、「青菜」か「青草」か、というだけの話ですが、そのにおいの違いはどうなんでしょうか。結局、同じでしょうか。

私は、「青草」のほうがいかにも草っぽいような気がしますが、それは外の空き地の雰囲気に影響されているのかもしれません。

それにしても、「青草」だから「青臭い」ではなんだか、、、。

 

 

 

 

あいのこ

ちょっと問題を含んだことばを。三省堂国語辞典から。

 

  あいのこ 合いの子・間いの子  ①⇒ハーフ②

  ハーフ ②混血(児)

  混血児 混血によって生まれた子ども。ハーフ。ダブル。国際児。〔語感がよくない〕 

 

「あいのこ」を引くと「ハーフ」の②を見ろ、というのでそこを見ると「混血児」だとしか書いてありません。

「混血児」を見ると説明があります。なぜ「あいのこ」から直接「混血児」へ行かないのか。

「混血児」の「語感がよくない」とはどう「よくない」のか。「あいのこ」の語感はどうなのか。

いわゆる「奥歯にもののはさまった」ような感じがします。

他の辞書は、もっとはっきり書いているものがあります。

 

  デイリーコンサイス *差別的表現

  新明解  「混血児」の俗称。〔侮蔑の意を含意することもある〕

  明鏡  人種・民族の異なる男女の間に生まれた子。△その人を貶めていった語。

  学研現代新 〔卑称〕

  三省堂現代新 △注意 公の場では使わないほうがよい言い方。

 

「あいのこ」は、「差別的表現」で、「侮蔑の意を含意することも」あり、「その人を貶めて」いう表現です。そうはっきり書くべきです。

(そういう意味合いなしに使う人・場合がある、のはそうかもしれませんが)

最後の「三省堂現代新」も、不十分です。「公の場」では「使わないほうがよい」としても、家族内、友人同士ならいいのでしょうか。私はそうは思いません。

 

 

アイス

久しぶりに。

テレビでフィギュアスケートをやっていました。それで、というわけでもありませんが、「アイス」関係のことばを。三国を中心に見ていきます。

 

  アイス ①氷(でひやしたもの)。「-ティー」②←アイスクリーム。

                  (三省堂国語辞典

 

  岩波 ③「アイスキャンデー」「アイスクリーム」の略。

  明鏡・学研も同じ

 

  アイスキャンディー 果汁などを凍らせた棒状の氷菓子。アイス。アイスキャンデー。

                 明鏡国語辞典

 

三国は「アイスキャンデー」を「アイス」とは言わない、という判断のようですが、言ってもいいように思います。

「アイスティー」は「氷で冷やしたもの」の例として出してあるだけですが、コーヒーのほうは追い込み項目として語釈がついています。

 

  アイスコーヒー 氷を入れた冷たいコーヒー。(三国)

 

「氷で冷やした」のと「氷を入れた」のは、結局同じでしょうか。

いや、次のように書く辞書もあります。

 

  アイスコーヒー 冷たくひやしたコーヒー。また、小さい氷をたくさん入れたコーヒー。 

               三省堂現代新国語辞典

 

確かに、違うものですね。私の行く喫茶店では、アイスティーにも氷をたくさん入れますが。ひやすだけの場合もあるでしょうか。

 

  アイスクリーム 牛乳・砂糖・卵のきみをまぜあわせて凍らせたもの。(三国)

  新明解 〔牛乳の脂肪分八パーセント以上のものと定められている〕 

  新潮 ~乳脂肪含有率八%以上のもの。以下のものは含有率によりアイスミルク・ラクトアイスという。

 

三国の記述で十分でしょうが、詳しく書く辞書もあります。そこまで書かなくてもいいのかもしれませんが、それぞれ面白いです。

「ラクトアイス」はよく見ることばなので、三国あたりは採りあげていいことばなのでは?

 

  ラクトアイス〔 lacto+ice〕アイス-クリーム類のうち、乳固形分3.0パーセント以上を含むもの。厚生労働省令に規定。 (大辞林

 

食べ物でなく、スケートのほうの語も。

 

  フィギュア ①フィギュアスケート。音楽に合わせて、ジャンプやスピンなどを交えて氷上をすべり、技術力や表現力をきそうスケート競技。男女別のシングル、男女のペアなどがある。 (三国)

 

これはていねいに、しっかり書いてありますね。

この項目では、新明解がちょっと変です。 

 

  フィギュアスケート 〔スケート競技で〕規定の図形を正確に描いたり 演技の技術や芸術性を競ったり するもの。フィギュア。
            [新明解国語辞典第七版]

 

「規定の図形を正確に描いたり」とは、何のことか。

これは、「コンパルソリー」という種目があった時代の話です。

ウィキペディアから。

 

 コンパルソリーフィギュア(Compulsory figures)は、フィギュアスケート男子シングル女子シングルで1990年まで行われていた種目のひとつ。スクールフィギュア規定とも呼ばれていた。氷上を滑走して課題の図形を描き、その滑走姿勢と滑り跡の図形の正確さを競う種目である。このフィギュアという言葉がフィギュアスケートの由来となった。

 

1990年で廃止されたというのに、新明解はまだ直していないんですね。

もう一つ。こちらは、三国がちょっと変な感じで。

 

  アイスショー 競技に関係のない、フィギュアスケートのショー。(三国)

 

「競技に関係のない」ということをわざわざ言う必要があるのでしょうか。単に氷の上の「ショー」と言えば十分では?

 

  アイスショー アイス-スケートによる軽演劇・ダンスなどのショー。 (大辞林

 

質量

科学用語をきちんと説明するのは難しいことです。その一例を。

 

 三省堂国語辞典 

  質量 ②〔理〕物体をてんびんにのせたとき、どれだけおもりをのせるとつり合うかを示す数値。重力が変わっても一定。基本単位はキログラム。→:重さ。

 

さて、これでいいでしょうか。「重さ」を見よ、というので見てみます。

 

 三省堂国語辞典 

  重さ ②ものを、台ばかりにのせてはかる数値。目方。重量。〔物理学では、物体に加わる重力の大きさ。無重力状態では、重さはゼロになる〕→:質量 

 

こちらには「物理学では」以下の説明があり、その中で「無重力状態」での「重さ(重量)」の問題に注意を向けさせています。

この「無重力状態」の場合を考えると、「てんびん」で「つり合う」かどうかを調べる「質量」の項のやり方も有効でないことがわかります。てんびんを使って比べられるのも、結局重さ・重量だからです。

新明解は

  〔物理で〕物体が有する物質の量。〔昔は密度と体積の積と考えられたが、現在では、物体に働く力を加速度で割った値、すなわち動きにくさを表わす量として定義される。基本単位はキログラム〕
                 [新明解国語辞典第七版]

 

力と加速度で定義します。それだけではわかりにくいので、「すなわち動きにくさ」のことだ、と説明を加えています。質量とは「動きにくさ」を表す量だ、と言われて、なるほど、と思う人は少ないかもしれませんが。

しかし、そう言わざるをえないのが科学的な定義というもので、三国の「てんびん」の説明はわかりやすいのですが、不正確です。

私が見た中では、例解新国語辞典がわかりやすく、正確だと思いました。

 

  質量〔物理〕物体のもっている、物質の量。大きさは、キログラムで表す。重いものほど、また、力をくわえたときに加速しにくいものほど、質量が大きい。[参考]地球上では、ふつう、重量が質量であるが、重量は地球の引力〔=重力〕にひかれて生ずる重さだから、月では重量は六分の一になり、無重力状態では、重量ゼロになる。これに対して、質量はどこにあってもかわらない。

                 例解新国語辞典

 

すべての項目をこのように詳しく説明することは、辞典の大きさという問題を考えると、できないのですが、きちんと説明しようとすると、こうなるのだと思います。例解新の「中高生向け」という態度がよく出た項目です。

 

愛器・愛機

「愛器」と「愛機」の違いは、次の例であげられているものの違いということでいいのでしょう。

 

  愛器〔文〕愛用の楽器・器具。

  愛機〔文〕気に入ってたいせつにあつかう、機械・写真機・飛行機・機関車など。

                 三省堂国語辞典

 

つまり「楽器・器具」だから「愛器」、「機械・写真機・飛行機・機関車」だから「愛機」となるんだ、と。

そういうものかなあ、ともちょっと思うのですが、まあ、それでいいことにします。

ここでちょっと気になるのは、それらの例の前にある説明の部分です。「愛用の」と「気に入ってたいせつにあつかう」の違いは何でしょうか。

 

  愛用(名・他サ) 気に入って、いつも使うこと。「-のカメラ」  三省堂国語辞典

 

ふむ。「気に入って」までは「愛機」の語釈と同じですね。そのあとの「いつも」と「たいせつに」が違うということのようです。

でも、「愛用の楽器」は、やはり「たいせつに」使うんじゃないか、と。

それに、「愛用のカメラ」という例は、「愛機」の例の中の、「写真機」と同じじゃないですか。

そうすると、「愛器」のほうを「愛用の~」としたのは、単に、

  気に入って、いつも(たいせつに)使う楽器・器具。

  気に入ってたいせつにあつかう、機械・写真機・飛行機・機関車など。

のような、似た説明が並ぶのを避けただけ、ということでしょうか。

逆に、両方を「愛用の」にしてしまうと、

  愛用の楽器・器具。

  愛用の機械・写真機・飛行機・機関車など。

 となって、いかにも手を抜いているような感じになってしまいますし。

他の辞書を見てみると、

 

  愛機 その人の使いなれた飛行機・写真機など。

  愛器 その人の使いなれた楽器。       新明解

  愛機 飛行機・カメラなど、大切に使っている機械。

  愛器 楽器・文具など、大切に使っている器具。   明鏡

  

のように、同じ説明のしかたですましています。(新明解の「使いなれた」だけで「愛機・愛器」ということばに込められた「気持ち」が伝わるかどうか、多少疑問に思います。)

岩波、三省堂新など、どちらの語も項目としてとりあげていない辞書があるのはちょっと驚きでした。「アイキ」ということばを、例えば映画の中で聞いたとして、それを辞書で調べようとしてものっていない、それでいいのでしょうか。