ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

冷たい

「冷たい」についての国語辞典の記述に疑問を感じました。

まず新明解の問題点から。

 

    (形)⇔熱い 1雪や氷に触ったときのように、そのものに触れて、刺すような痛みが
   感じられたり皮膚の感覚が失われるように感じられたり する様子だ。「-水/
   風が-/救助隊が駆けつけたときには遭難者はすでに冷たくなっていた〔=死ん
   でいた〕/冷たく冷やしたスイカ
   2人や物事に対して無視する態度をとったり 心配りを欠いた対応をしたり する
   様子だ。「-目で見る/冷たく扱われる/関係が冷たくなる」  新明解

 

語釈では「刺すような痛み」「皮膚の感覚が失われる」とマイナス面ばかり書いていますが、用例の「冷たく冷やしたスイカ」がそのようなものでないのは明らかです。

「冷たい」には「心地よい刺激」の面があるのですが、そのことに触れないのはなぜでしょうか。

 

明鏡を見てみましょう。(以下、新明解の用法2に当たるものは省略します。)

 

  1物質の温度が自分の体温より著しく低いと感じる。「━・く冷えたジュース」
  2体や体の一部が、普通より低い熱をもっていると感じる。「凍えて手が━」 明鏡

 

用法1の語釈は中立的な書き方ですが、用例の「ジュース」は(おそらく)プラスの意味合いです。寒い時に「冷たく冷えたジュース」を出されて不快だったという文脈ではないでしょう。それならば、「自分の体温より著しく低い」というだけの記述は意図が明確とは言えません。

つまり、いつも書いていることですが、語義の説明が、その語の意味用法をすでに知っている人に対するものになってしまっています。語義の説明は、それを知らない人に対して、新たにその意味を習得できるように書くべきです。(国語辞典でそれをあまり馬鹿正直に行うのは、確かに回りくどいものになる場合がありますが、基本的にはその姿勢で行くべきです。)

「冷たい」は、不快な場合にも、心地よい場合にも使えます。
「川の冷たい水」は、夏なら気持ちよく、冬に足を滑らせて落ちたら著しく不快でしょう。「冷たい」の快不快は文脈によるのです。

それは、他の温度関係の形容詞と比較すると、注目すべき特徴です。

 

「熱い」「暑い」は、多くの場合「不快」もしくは「危険」な場合に使われます。

 

  熱い 物が高い熱をもっていて、接触したり 近づいたり するとからだに強い
     刺激を受ける(のが危険だと感じられる)状態だ。   新明解

     火に近づいたときのような感じだ。   三国

  暑い 気温が高くて、快適に過ごすことが出来ない状態だ。  新明解

     気温や体全体で感じる温度が、適温より高いと感じる。  明鏡

 

それに対して、「温かい」「暖かい」は「心地よい」ことを表します。 

 

  〖暖〗気温がほどよい高さを保って心地よい。寒くなくて快い。
    「━国」「今年の冬は━(⇔寒い)」「━春の日差し」「━(⇔冷たい)風」
  〖温〗物の温度がほどよい高さを保って心地よい。冷たくなくて快い。
     「━料理」「ポットのお湯はまだ━」「井戸の水が━」 ⇔冷たい  明鏡

  適度の温度があって、寒さ・冷たさなどによる不快感を受けることがない様子だ。
  「温かい」とも書く。    新明解  

 

「寒い」「涼しい」の対立も同様です。

 

  寒い 気温や体全体で感じる温度が、適温より低いと感じる。⇔暑い

  涼しい 気温や体全体で間接的に感じる温度が、適度に低く、心地よい。  明鏡

 

繰り返しますが、「冷たい」だけが「快」と「不快」のどちらも表せるのです。と言うか、「冷たい」だけが対になるもう一つの形容詞を持っていない、と言ったほうがいいでしょうか。

            快       不快

   気温など   暖かい/涼しい  暑い/寒い
   物の温度   温かい/冷たい  熱い/冷たい

 

(あるいは、「気温/物」に関して「あつい・あたたかい」は漢字表記による区別で済ませているのに対して、「気温」に関しては「寒い・涼しい」と言い、「物の温度」に関しては「冷たい」が別にあるという体系になっていることが興味深いところだ、と言ってもいいでしょう。)

その辺のことを、どういう書き方をするにせよ、国語辞典ははっきり書いておくべきだと思うのですが、不要な情報だと考えているのでしょうか。