三省堂国語辞典第八版が第七版からどう変わったか、このブログでこれまでにとりあげてきた項目を見てみます。
2年前に「はだいろ」について書きました。
三国第七版の記述。
1はだの色。2〔はだの色に似た〕黄色みがかった、うすいピンク色。うすだい
だい。ペールオレンジ。「-のファンデーション・-のタイツ」 三国第七版
この語には、どういう色なのかという問題と、実際の使われ方についての問題があります。
後者についての大辞泉の記述を。
[補説] 2について、以前はクレヨンなど画材の色名として使われた。現在では
人種問題への配慮からほとんど使われず、同色を薄橙(うすだいだい)・ペール
オレンジなどと言い換えることが多い。 デジタル大辞泉
そういうことですね。
三国の七版は、その問題について触れていなかった。(小型)国語辞典もこういう問題に触れたほうがいいと思いました。
第八版への改訂で説明が加わりました。
1はだの色。「-に合ったリップ」2うすいオレンジ色を言った、以前のことば。
〔日本人に多いはだの色を想定し、多様な人々のはだの色をあらわさないから、
二十一世紀には「うすだいだい」「ペールオレンジ」と言うようになった。〕
三国第八版
1の用法はいいとして(用例が付いたのは非常によいことです)、用法の2が問題です。「肌色」は、「薄いオレンジ色を言った、以前のことば」ですから、今はそう言わない。それはなぜかというのが〔 〕の中の説明。
日本人に多いはだの色を想定し、多様な人々のはだの色をあらわさないから、
二十一世紀には「うすだいだい」「ペールオレンジ」と言うようになった。
この文、つながりがおかしくありませんか。
「想定し」たのは、このことばを使う人々、つまり日本人でしょう。「あらわさない」のは、もちろん「肌色」ということばです。(いや、この「色」そのもの?)
そして、「言うようになった」のは日本人。
(日本人が)日本人に多いはだの色を想定し、(「肌色」ということばは)多様な
人々のはだの色をあらわさないから、(日本人は)二十一世紀には~。
この「想定し」は、「想定したが」としなければおかしいでしょう。
「~し、~から、~した」というつながりは、「[~し、~から]~した」と分けられてしまうでしょう。ここでの「~し」と「~から」は、内容的に違うことを表しているので、ひとまとまりにすると矛盾します。
もっと敷衍すれば、
日本人は日本人に多いはだの色を想定して、この色を「肌色」と名づけて使って
いたが、この「肌色」は多様な人々のはだの色をあらわ[せ]ないから、二十一
世紀には「肌色」とは言わず、「うすだいだい」「ペールオレンジ」と言うように
なった。
ということでしょう。この文は、
[~して、~いた]が、[~から、~ず、~ようになった]
という形になります。
この長い説明を短い語釈にまとめるのは難しいことだと思いますが、上の用法2の語釈は、きちんと推敲されていないようです。
さらに問題なのは、その言っている内容です。事実としてはそうなのでしょうが、そのことと、三国のこれまでの版の記述内容とを比較検討すると、おかしなことに気付きます。
二十一世紀には「うすだいだい」「ペールオレンジ」と言うようになった。
というのですが、三国の第六版は2008年の出版、第七版は2014年の出版です。
それで、上にも引用したように、第七版では「肌色」とは、
2〔はだの色に似た〕黄色みがかった、うすいピンク色。うすだいだい。ペール
オレンジ。
と説明していたのです。二十一世紀の14年目になっているのに。この時点ではすでにそう言わなくなっていたはずなのに。
「以前は」そう使われていたのだ、という説明なら、そう書くべきところです。
第六版、第七版の改訂当時は、「肌色」ということばの使われ方の変化に気付かなかった、ということでしょうか。
それはしかたのないことかもしれませんが、第八版になって、
二十一世紀には「うすだいだい」「ペールオレンジ」と言うようになった。
と、しれっと言われてしまうと、なんだかなあ、と思います。
他の辞書を見てみましょう。まず岩波。
1人の肌のような、やや赤みを帯びた薄い黄色。▽人(種)により肌の色が
異なるとして、絵具などの色名には用いない。
2器物などの地肌の色。 岩波第八版
この「▽」以下の注記は、岩波第七版(2009)にはありませんでした。
「絵具などの色名には用いない」なら、どこでこの語は使われるのか。それを言わないと不十分でしょう。そしてまた、かつては「絵具などの色名」にも長い間使われていたのだということも。この書き足しを見て、「拙速」ということばが頭に浮かびました。
新明解と明鏡。
1人間の肌の色(のような、少し赤みを帯びた、薄い黄色)。2その人種としての肌の色。
新明解
1肌の色。肌の色つや。2人の肌のような色。やや赤みがかった薄い黄色。 明鏡
国語辞典としてはこれでいいのだ、という判断でしょうか。「肌色」ということばが含む問題に気付いていないということでは、まさか、ないでしょう。
もう一つの問題。
三国は、「日本人に多いはだの色を想定」と言っていますが、他の辞書は、
岩波・明鏡「人の肌のような」 新明解「人間の肌の色」
としていて、「人・人間」はみな同じ「肌の色」であるかのようです。
岩波はそのすぐ後に「人(種)により肌の色が異なる」と書き、新明解は用法2として「その人種としての肌の色」と書いています。用法1の「人間」とは誰なのか。
こういうところ、見直してみて、変だと感じないのでしょうか。(三国は、第八版では「日本人に多い」としていていいのですが、第七版ではたんに「肌の色」です。)
「国語辞典」の記述なんだから、使うのは(ほぼ)日本人、だからいいんだ、と言うのでしょうか。
もう一つ、ちょっと細かい話になりますが、この「肌色」とはどういう色なのか、という問題。
三国第八版「うすいオレンジ色」「うすだいだい」「ペールオレンジ」
岩波「やや赤みを帯びた薄い黄色」
明鏡「やや赤みがかった薄い黄色」
新明解「少し赤みを帯びた、薄い黄色」
「赤みを帯びた黄色」と言うのはつまり「オレンジ色・だいだい色」のことでしょうから、これらはほぼ同じ色と言っていいのでしょう。
三国の第七版は少し違って、
三国第七版 黄色みがかった、うすいピンク色
としていました。これも同じ色と言っていいのかどうか、私にはわかりません。
私の子どもの頃の記憶では、クレヨンの「はだいろ」は、「オレンジ色」と言うよりは「ピンク色」に近い色だったように思うのですが、どうでしょうか。
うすいピンク色が「黄色みがかる」と、結局「うすだいだい」になるのでしょうか。
さらにもう一つ、問題があります。「黄色人種」との関係です。
三国は「黄色人種」の肌の色を、
黄色人種 はだの色が黄色がかったうす茶色をおびて、目とかみの毛は黒い人種。
大部分は東洋に住む。モンゴロイド。 三国
と「黄色がかったうす茶色」としています。
「はだいろ」の項では「日本人に多い肌の色」は「うすいオレンジ・うすだいだい」でした。
日本人が「黄色人種」であることには異議がないでしょうから、この違いはどういうことなのか。
日本人は黄色人種の中でも少し違う肌の色なのだ、ということでしょうか。そうも思えないのですが。
私は日本語教師として中国人・韓国人・モンゴル人・タイ人その他のアジア人と多数出会ってきましたが、それらの人々の多くは肌の色では日本人と区別できないと思っています。もちろん、それらの人々と多少の違いはあるでしょうが、それ以上に日本人の中での違いのほうが大きいでしょう。
「黄色人種」についても、2年前に書いた記事があります。
黄色人種 〔白色人種・黒色人種に対して〕皮膚が黄色の人種。頭髪は黒い。
日本人はこれに属する。 新明解第八版
この語についての議論は、上の記事をご覧ください。
追記:
次の記事は「肌色」の問題についてよくまとめられていると思いました。
クレヨンから消えた”肌色”
https://www.nhk.or.jp/seikatsu-blog/800/299152.html