ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

国語辞典の「自動詞・他動詞」(7):割る・割り込む

「割る」と「割り込む」の自他について。

 

「割る」を見ていきます。「皿を割る」のような場合は文句なく他動詞ですが、明鏡は次の用法を自動詞としています。

 

  割る 2(自五)① ある範囲の外に出る。「押されて土俵を━」「ボールがサイド
      ラインを━」
   ② 数量が基準の数値を含まず、それより下になる。下回る。割り込む。「応募者
    が定員を━」「賛成が半数を━」「株価が一万円台を━」「勝率が五割を━・
    った」▽「一〇〇人を割る」は、九九人以下の意。   明鏡

 

②の、数値を基準とするような用法は自動詞と見なすことがあります。
三国や岩波も、上の明鏡と同じ「割る」の用法を自動詞としています。

 

学研現代新の文法解説にちょうどこの例が出ているので、それを見てみましょう。

 

 学研現代新国語辞典 第六版「現代日本語の文法」より(p.1579)
  自動詞・他動詞
     ア 水が流れる。授業が終わる。
     イ 水を流す。 授業を終える。
   右のアの「流れる」「終わる」は、<対象>を表す目的語を必要とせず、それ
   自身の働きとして、充足した意味を表すことのできる動詞であり、イの「流す」
   「終える」は、ある事物(水・授業)に及んで、それに対する働きかけを表す
   動詞である。

   その場合、その事物に「を」を添えて表す。アの類の動詞を自動詞、イの類の
   動詞を他動詞といい、対応に応じて意味も異なる。「を」を受ける動詞がすべて
   他動詞かというとそうではなく、「家を出る」「零度を割る」「道を歩く」のよ
   うに、離脱点や基準点や移動の場所などを表す「~を」の下にくる動詞は自動詞
   である。この「を」は<対象>を表してはいない(本文「を」を参照)。

 

「零度を割る」に対応する用語は「基準点」です。明鏡の「土俵を割る」は「家を出る」の「離脱点」の類と考えられているのでしょうか。

 

学研現代新はこう言っているわけですが、すべての辞書がこの考え方に賛成しているわけではありません。

新明解その他の辞書は、「割る」のすべての用法を他動詞としています。

「割る」と「割り込む」の各辞典の自他判定を表にします。

 

        割る 割り込む

  新明解8   他  自 
  明鏡3   自他  自 
  三国7   自他  自他
  岩波8   自他  自 
  学研新6  自他  自 
  三現新6  自他  自他 
  小学日    他  自 
  集英社3   他  自 
  旺文社11   他  自他 
  新選9    他  自 

 

「割る」は見事に半分に分かれます。「割り込む」は自動詞とする辞書が多いです。

 

明鏡の上の語釈の最後に「下回る。割り込む。」と二つの類義語が並べられています。
「下回る」は(見た中では)すべての辞書が自動詞としています。

「割り込む」は「自」「自他」に意見が分かれます。

 

「割る」と「割り込む」の用法と自他の関係を見てみましょう。

 

新明解は「割り込む」を自動詞とします。「列に割り込む」という用法はそれでいいのですが、

 

  割り込む(自五)2 相場が、ある値段よりも下がる。「大台を-」  新明解

 

「大台を割り込む」も自動詞の用法とします。

 

新明解は「割る」を他動詞とし、その用例として「大台(採算)を割る」を挙げています。

「大台を割る」は他動詞で、「大台を割り込む」は自動詞だとするのはどうなんでしょうか。もちろん、その意味に格別の違いは感じられません。

 

新明解と同じように「割る」を他動詞とし、「割り込む」を自動詞とする他の辞典も同じ問題を抱えていることになります。

 

明鏡は「大台を割り込む」を自動詞とし、それに対応する「割る」の「定員・一万円台 を割る」を自動詞としていますから、矛盾はありません。

 

三国はどちらも「自他」としています。用法はどう分けられているでしょうか。
「割る」では、

 

   割る(自)1「土俵を割る」2「零下十度を-・(株価)が千円を・〔外国
     為替で〕ドルが百三十円を-〔=百二十数円になる〕」  三国

 

とし、これらの用法を自動詞としています。

「割り込む」では、

 

   割り込む(自他)1人と人の間におし分けてはいる。2〔順番などを無視
     して〕わきからはいりこむ。「列に-・話に-」3〔相場などが〕ある
     値段や数値よりも下がる。「株価が額面を-・気温が十度を-」

 

となっていて、用法の1と2が自動詞、3が他動詞のように見えます。(3を自動詞とし、1と2を他動詞とするという可能性も否定できませんが、そうならそれがわかるように記述すべきでしょう。)

そう考えると、新明解とは逆で、「零下十度を割る」は自動詞で、「気温が十度を割り込む」は他動詞だということになります。

 

三省堂現代新も同じで、「零下十度を割る」は自動詞で、「気温が十度を割り込む」は他動詞です。(こちらは、三国とは違い、用法を「自」と「他」に振り分けています。)

 

以上、移動動詞の「通過点」の場合と同様に、この「基準点」の場合も、辞書によって判定がばらばらで、正反対の解釈も見られます。

自動詞と他動詞の判定のばらつきの、この現状をどう考えたらいいのでしょうか。