タイトルの前者は三浦しをんの有名な小説の題名で、後者は飯間浩明の光文社新書の本の題名です。
「舟を編む」は気にはなっていたのですが、まだ読んでいません。内容的に関心がありすぎて、落ち着いて楽しめないだろうという気がするためです。それに、どうせ文庫本になるだろうから、それからでもいいか、と。
飯間の本は、この一週間で読みました。これも、買ったのはもう少し前だったのですが、何となく、手を出しかねていました。飯間は「三省堂国語辞典」の編纂者の一人です。(こういう場合、私は敬称を付けません。そのほうがいいと考えるからです。ソシュールや山田孝雄と同じ扱いということです。)
その中に、前回話題にした「恋」の話が出ていました。(p.188-)
「舟を編む」で同性愛者のことが問題として議論されていたということが紹介され、「三国」としてどう書くか、が論じられています。
そして、「次のように語釈をまとめました。」とあり、
こい[恋] 人を好きになって、会いたい、いつまでもそばにいたい
と思う、満たされない気持ち(を持つこと)。「-におちる」
という、2013年の12月に発売予定の「三省堂国語辞典」第七版での記述が紹介されています。
ふむ。男女も異性も消えています。それはいいとして、恋って、いつも「満たされない気持ち」なのかなあ、という疑問は残ります。
私は、「三省堂国語辞典」は一番に見る辞書ではなくて、岩波・新明解・明鏡の三冊を見て、どうも納得がいかないときに新例解や講談社の類語辞典などを見、さらにその次ぐらいでしょうか。
新語をきちんと押さえていて、「時代のことばの鏡」であることは評価しますが、語釈の点では特に評価するところは多くない、と思っていました。
しかし、この本を読んで、飯間に期待できるところが大きいように思うので、これからはできるだけ参照するようにしたいと思います。
「辞書を編む」は、なかなか興味深いことがかかれている、おもしろい本です。私がいちばん、よくこういうことを書いたなあ、と思ったのは、最後の数ページ、「ことばで世界の模型を作る」という小見出しの部分です。
なぜこんな仕事をしているのか、と自問し、いろいろ書いた後で、
仕事の直接の原動力となるものは、創造することの喜びです。ことば
を材料に、ひとつのまとまった世界を作り上げていくという過程が、
私にはおもしろくてならないのです。
と書くところ、私は非常に賛同します。意味論を考えるというのは、そういうことなんですよね。「ことばを材料に、ひとつのまとまった世界を作り上げていく」という言い方は、すてきです。少し後でもう一度、
私は、辞書を編むという営みを通じて、ことばによる世界の模型が
作りたいのです。自分が全知全能の存在になって、ことばだけで世界
を作り上げる。それを辞書の上に定着させて、たくさんの人に見て
もらう。これがおもしろくないはずはありません。
と書いていますが、こっちは、ちょっと言い過ぎかな、と。でも、「これがおもしろくないはずはありません」と自分の仕事について言えるというのは、うらやましいことです。
でも、ここで私は思うのですが、「ことばによる世界の模型」が五十音順だというのはどうも解せません。「世界の模型」の要素が、頭の中で五十音順に並んでいるはずがありません。せめて、「類語辞典」のように、語彙を意味分類しないと。これは大変なことですが。
飯間も、そのうちそう思うようになるでしょうか。
なお、念のため書いておくと、私はこれまでに国語辞典の編集に関係したことはありません。ただの辞書好きです。
saburoo