ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

東京を直撃する台風が来ています。で、「秋」です。

いつもの順で、まず三国から。

 

  三省堂国語辞典 

   四季の第三。夏の次で冬の前。だいたい九・十・十一月〔旧暦では七・八・九月〕の三か月。すずしくてしのぎやすい。「読書の-」(⇔春)

 

「だいたい」というのはどこでの話なんでしょうか。東京か、青森か、鹿児島か。北海道や沖縄は、(日本での)季節の話をするときに例外としても怒られはしないと思いますが、あまりにも東京中心主義ではいけないでしょう。

三国と似たような書き方の三省堂現代新国語辞典は、「ふつうは、九月・十月・十一月の三か月。」と書いています。9~11月でないと、「ふつう」ではない?

さて、青森や鹿児島の人も、「秋」というと9~11月、と思うのでしょうか。

「涼しくてしのぎやすい」というのは、夏と比べての印象で、まあ、多くの人が賛成するでしょうか。晩秋は寒いとしても。

 

次は新明解。

 

 新明解国語辞典

  〔温帯で〕暑い夏が終わり寒い冬になるまでの間の、さわやかな気候の季節。木の実が生り、台風が来る、九・十・十一の三か月。「忍び寄る-の気配/-が深まる/-たけなわ」

      

「温帯で」というところ、ちょっと気を配っています。「木の実が実り、台風が来る」というのも、季節感があっていい?

いやしかし、「温帯」と言ってしまったので、ヨーロッパなどの「秋」も同じ定義に入ってしまいます。そのことは、視野が広くて、悪いことではないのですが、ヨーロッパには台風は来ませんよね。

気を配ったつもりが、落とし穴を掘ってしまったような、、、。

あと、新明解が旧暦に触れていない、というのも意外な気がします。これも日本以外のことを考えに入れているから?(南半球のことを考えていない、というのは、ちょっと意地悪すぎますか、、、。)

 

明鏡はちょっと詳しく書いています。

 

 明鏡国語辞典

  四季の一つで、夏の次、冬の前にくる季節。陽暦では九~十一月、陰暦では七~九月。暦の上では立秋から立冬の前日まで、天文学では秋分から冬至まで。生活感覚では、朝夕の涼しさを実感するころから木枯らしが吹き始めるころまで。

 

陽暦・陰暦・「暦の上」・天文学まで書いています。「ふつうは」などと言うより、こういう各種のとらえ方を並べてしまうほうがいいでしょう。実際の生活は「(太)陽暦」に基づいているわけですから。このあたりは、広辞苑大辞林などもほぼ同内容です。

明鏡は「生活感覚」以下がいいですね。「涼しさを実感する」とか、「木枯らしが吹くまで」とか。

こんな感じでいいのかなあ、と思います。

 

個性的なのは岩波です。

 

 岩波国語辞典

  夏の次の季節。立秋から立冬の前日まで。わが国では俗に九・十・十一の三か月。草木がもみじし、多くの植物が実る。
 

「暦の上で」とよく言われる「立秋から立冬の前日まで」が正しい。「だいたい・ふつうは」9~11月というのは「俗に」そう言うだけ。(他の辞書への批判?)

浅学の私は「もみじする」という動詞が実際に使われるのを初めて見ました。

 

秋寒(あきさむ)

まだ暑いのですが、気持ちだけでもこんな語を。

 

  三省堂国語辞典  秋寒 秋に感じる寒さ。

 

これでは何だか。「秋風」では三国がよかったのですが。

 

  デジタル大辞泉  秋になって感じはじめる寒さ。秋冷。

  大辞林  秋が来たことを思わせる寒さ。

 

「秋になって」寒さを感じるのでしょうか。「秋が来たことを思わせる」のは、まずは涼しさだと思うのですが。

 

  明鏡  秋になって感じられる寒さ。特に、朝夕の寒さ。秋冷。

  新明解  秋になって朝夕に感じられる冷気。「あきざむ」とも。

 

なるほど。日中は涼しくて気持ちがいいけれど、朝夕は「冷気」に寒さを感じ始める。これならわかります。

 

  現代例解  秋の半ば以後に感じる寒さ。秋冷。「秋寒の身にしむ今日このごろとなりました」

 

おや? 「秋になって」、ではなくて、「半ば以後」だそうです。

それなら、ふと、寒さを感じる日があっても不思議はありません。

 

  広辞苑  秋の半ばを過ぎる頃、特に朝夕に感ずる寒さ。秋冷。

 

「半ば過ぎ」でしかも「朝夕」、これなら確かに寒い。でも、季節感を感じるというには、少し遅すぎるような気もします。

 

しかしまあ、辞書によってなんでこんなに違うんでしょうか。

日本人は季節の移り変わりに敏感だと言われますが、それぞれ自己流に感じているだけなのでしょうか。

あいびき

軽い話を。

 

  あいびき(名・自サ)〔古風〕恋人どうしがこっそり会うこと。密会。

                三省堂国語辞典

 

この語釈はいいのですが、用例がほしいところです。「古風」な雰囲気が感じられるような。

 

  〔古風な言い方で〕愛し合っている二人が人目を忍んで会うこと。ランデブー。密会。忍び会い。「女と-する」

                 明鏡国語辞典

 

ふむ。ちょっとそっけない用例ですが、「逢い引きする」という動詞の相手には「ト格」の名詞をとる、という文法的な情報です。まじめな明鏡。

 「ランデブー」は、人目を忍ばなくてもいいように思うのですが、それはいいことにして。

 

  恋をしている男女がこっそり会うこと「-を重ねる」〔やや古風なことば〕

                  学研現代

 

そうですね。逢い引きが一回限りで終わっては寂しい。何度も会ううちに思いが募るのです。「こっそり」会うことを繰り返していると、周囲に気がつかれないか、という恐れも強くなってきて、気持ちが高まってきます。

 とどめは、現代例解の次の例。

 

  「神社の境内で逢い引きする」  現代例解国語辞典

 

これです! やはり、逢い引きは雰囲気が大切です。神社の境内、いいですねえ。いかにも「古風」です。縁結びの神様だったりして。

こういう例文をのせる編集者は、みずからの経験に基づいて例文を考えているのでしょうか。

 

秋風

暑い日が続くと、早く秋にならないかなあ、と思います。

秋風、というのはなかなか語感のいいことばだと思いますが、さて、辞書では何と説明しているのでしょうか。

 

  大辞林三省堂現代  秋に吹く風。


何ですか、これは。これでは秋風のさわやかさが伝わってきません。

 

  広辞苑  秋になって吹く風。

 

だから、夏の風とどう違うのか。そこを書いてほしいのです。

 

  明鏡  秋に吹く(涼しい)風

 

最低限、これぐらいは書いてほしい。なぜこう書けないのか。

 

  新明解  秋に吹く、肌寒い風。

 

これは行きすぎです。夏の暑さが好きなのでしょうか。

 

  -が吹く(立つ)〔=男女の間の愛情がさめる。何かの流行が下火になる〕 (新明解)

 

この表現のことが頭にあるからでしょうか。秋風のマイナス面を言っておきたい。

 

  学研現代  秋にふく風。[参考]「さわやかな、しかし無情な風」の感じをふくむ。

 

「さわやか」はぴったりですが、男女のことにつなげたいために「無情な風」というのはやはり言い過ぎです。「無情な風」って、どんな風なんでしょう?

 

  三国  秋にふく、さわやかなひやりとした感じの風。


これがいいですね。夏が過ぎてさわやかさを感じつつ、「ひやり」という冷たさもある。これだけで、十分男女の話にもつながります。

それにしても、早く秋風が吹かないものでしょうか。

 

アウトレット

このところカタカナ語をとりあげているので、その流れでこのことばを。

 

  アウトレット 在庫品などを大量に仕入れ、ひじょうに安く売る店。「-モール〔=アウトレットの集まった施設〕」  (三省堂国語辞典

 

単に「ひじょうに安く売る」だけではないと思うのですが。

この語は、辞書によって説明にいろいろと違いのある語です。

 

  在庫の大量仕入れにより安売りする小売りの業態。「-ショップ」△特に、海外ブランド品について言う。  (岩波)

 

語釈そのものは似ていますが、注釈のところが大事です。

広辞苑はすごいです。

 

  アウトレット (出口・販路の意)アウトレット・ストアの略。

  アウトレットストア  売れ残りや傷物を仕入れて安値で売る店。また、メーカーがサンプル品や生産過剰品を売る直販店。   (広辞苑

 

「売れ残り」「傷物」ですと。業界の人が怒りそうです。また、よく行くお客さんも。

この語は、けっこう詳しく書く国語辞典があります。

 

  工場から直接搬出したり、倉庫などを利用して販売したりすることで、商品を安価で販売する店。型落ち品や新古品を大量に仕入れて、安く販売する量販店をさすこともある。  △英語で「アウトレット」はコンセントの意。    (現代例解)

 
     ①メーカーが自社商品の在庫処分を目的に工場と直結させて販売する店。ファクトリーアウトレット。②有名ブランドの在庫品などをメーカーから大量に仕入れ、格安に販売する店。アウトレットストア。◇出口・はけ口の意。     (明鏡)


明鏡は「ファクトリー~」と「~ストア」を分けています。このへんがいいのかなと思うのですが、よく知っている人が見たらどう言うでしょうか。

また、一般の人、アウトレットをよく利用する人にとっては、どういうものとしてとらえられているのでしょうか。私には、とんと縁のない世界なので、何も言えません。

元の英語の意味も、いろいろに訳されています。現代例解の「コンセント」はちょっと違うんじゃないかと思うのですが。

 

アイマスク・イートイン

この2語の共通点は、「和製語」かどうかということが問題になる語、ということです。 

  アイマス

   三省堂国語 〔和製〕

   三省堂現代 〔和製英語

   例解新 [参考]英語ではsleeping maskという 

   明鏡 [和製]

   広辞苑大辞林  注記なし(英語と認めている)

さて、どうなんでしょうか。広辞苑大辞林は、当然英語の専門家に聞いているだろうと思うのですが。

  イートイン

   三国・三省堂現代・大辞林は英語とする

   明鏡・例解新・学研・広辞苑は和製語とする

  明鏡  英語では、自宅で食事をする意。

英英辞典を見ると、確かに

  eat in   to eat at home instead of in a restaurant (LDCE 2005)

とあります。

しかし、『ロングマン英和辞典』(2007)には次のようにあります。

   eat in 1家で食事をする 2(英)(持ち帰りではなく)店内で食べる

(英)は、イギリス英語の用法、という意味です。

こちらは、最近使われるようになった用法でしょうから、出版年のもっと新しい辞書を見てみなければならないのかもしれません。

 さて、どうなんでしょう。

 

  

アイアイ

「アイアイ」というのは、サルの種類です。

 

  アイアイ(名)〔aye-aye〕〔動〕マダガスカル島特産の原始的なサル。夜行性。ゆびざる(指猿)。  (三省堂国語辞典

 

さっと読むとこれで問題なさそうですが、ふと、「原始的なサル」とはどういう意味かと思いました。サルに原始的とか文明的(?)とかあるのかいな、と。

 

  原始的(形動ダ)自然のままで、進歩していないようす。「-な考え」

 

いやいや、待ってくださいよ。「自然のままで」ないサルなんているんでしょうか。

ふつうに「原始的」という場合の反対概念は「文明的」でしょう。人間社会が原始時代から現代まで進歩・発展してきたことを表現するための言い方です。でも、それをサルについて言うのは無理です。

「原始的なサル」というのは、おそらく(不勉強なままの全くの推測ですが)進化論での言い方なのでしょうか。そこから、いろいろなサルが分化していった、というような。 

そういう意味でアイアイの語釈の「原始的なサル」を理解しなければならないとするなら、けっこう難しい説明と言えます。この語釈で、多くの人がわかるのかどうか。「進化の過程から見て」とか何とかつけるのはかえって不正確になるのでしょうか。

なお、大辞林の「アイアイ」にも「原始的な霊長類の一種」という説明があります。こちらは専門家が書いているのでしょうから、この「原始的」はこれが正しい使い方なのでしょう。

 

  原始的[形動] おおもとに近いさま。まだ初期の段階で、十分に進化・発達をしていないさま。また、素朴で単純なさま。「―な形態」「―な方法」  (デジタル大辞泉

 

「十分に進化・発達をしていない」とあります。なるほど。私たちがふつうに「原始時代」という時の意味合いは、後半の「素朴で単純な」のほうでしょうか。

そのつもりで他の辞書を見てみると、

    

【原始的】-な-に
  1自然のままで進歩していない様子だ。2まだ発達初期に属する様子だ。
         [新明解国語辞典第七版]

 

なるほど、ちゃんと区別して書いてありますね。

 

  【原始的】形動 まだ自然のままに近く、ほとんど進化・進歩していないさま。「━な食料採集生活[生物]」   

        [明鏡国語辞典 第二版]

 

こちらは、「自然のままに近く」が「原始的な生物」とは合わず、かえってわかりにくく感じます。

初めのほうで引用した三省堂国語辞典の「原始的」は、「進化」のことを考えていないと思われますので、改訂が必要です。