愛のことばを。
あいしょう 愛唱(名・他サ)好きで歌うこと。「私の-歌・世界の-歌」
好きで歌えば「愛唱」なんでしょうか。今ひとつ語釈が「浅い」感じがします。
「愛飲」の項では、「日ごろから好んで飲むこと」と、いい語釈をつけていたのに、ここでそう書かないのはなぜでしょうか。
明鏡 ある歌を日ごろから好んで歌うこと。
新明解 好きで、折につけて歌うこと。
「折につけて」というのはいい表現ですね。
では、もう一つの「愛誦」。
あいしょう 愛誦(名・他サ)〔文〕好きで<くちずさむ/節をつけて声に出す>こと。 三省堂国語辞典
この語釈も同じですね。しかも用例がない。何を「くちずさむ」のかわかりません。
明鏡 ある詩歌や文章を、日ごろから好んで口ずさむこと。「漢詩を-」
新明解 好きで、折につけて声に出して言って見ること。「-する古典」
現代例解 「啄木の歌を愛誦する」
学研現代・岩波 「牧水の歌を-する」
新潮現代 「万葉集中の-歌」
この用例を比べると、それぞれの編者の好み(?)がわかります。
大漢和辞典の大修館はさすがに「漢詩」です。広辞苑は限定して李白。
岩波と学研が同じ牧水というのは意外でした。啄木は曲が付いているものもありますね。
「愛読」も見てみましょう。
三国 好きで〔本や雑誌を〕読むこと。「-書・-者」
明鏡 特定の書物を好んで読むこと。「冒険小説を-する」「-者」
新明解 〔その書物や新聞などを〕好きでよく(いつも)読むこと。「-者・-書」
現代例解・例解新 「漱石の作品を愛読する」「愛読書」
岩波 「-者」「-書」
学研現代 「魯迅を-する」「-書」
三省堂現代 気に入って、くり返し読むこと。「-書・少年時代に-した本」
広辞苑 「-書」「-者」
「冒険小説」「推理小説」というのはいいですね。こういうところで気取ってもしかたがない。いや、「漱石・魯迅」が好きなのは、それでもちろんいいのですが。
岩波と広辞苑はつまらないですね。三国・新明解も。
皆、同じような例の出し方をしていますが、三省堂現代はちょっと工夫しています。こういう工夫が、国語辞典として大事だと思うのですが。
この「愛読」に関しては、圧倒的に他に差をつけている辞書があります。
新潮現代 「足元には積み重ねた五六冊の-書が」「お目にかかりたかっただけです。僕も先生の-者の」「『つれづれ草』などは未だ嘗て-したことはない」
「愛読書」「愛読者」も文学作品からの実例です。最後の例は芥川の「侏儒の言葉」から。用例の集め方が根本から違います。やはり新潮現代はすごい辞書です。