ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

持ち上がる

三省堂国語辞典の記述から。

 

  もちあがる 1持ち上げた状態になる。「土が-」2〔さわぎ・ごたごたなど、
    よくないできごとが〕起こる。(以下略)   三国

 

「土が(持ち上げた状態になる)」とはどういうことでしょうか。「もちあげる」を見ます。

 

  もちあげる 1手に持って上に上げる。2〔相談した企画・案を〕上の人に持ち
    出す。3おだてる。ほめあげる。[名]持ち上げ。

 

どう見ても2や3の用法ではないでしょうから、この1「手に持って上に上げる」という用法が、「持ち上がる」の語釈に使われた意味なのでしょう。

つまり、「土が(手に持って上に上げた状態になる)」というのが、「持ち上がる」の用例の意味になるのでしょう。なんのこっちゃ。ちょっとひどすぎません?

 

他の辞書を見てみましょう。まず、新明解。

 

  1((どこカラどこニ)-)陸地・海底などの一部が隆起する。「噴火で火口の周辺
     が-」
  2(どこニ-)〔手に持って〕上へ上げることが出来る。「重くて持ち上がらない」
  (以下略)                       新明解

 

手で「持ち上げる」ことができないという例と、地面が「隆起する」ことを分けています。当然でしょう。

 

次に明鏡。

 

  1他からの力が働いて物が上の方へ上がる。また、位置が高くなる。隆起する。
  「荷物が重すぎて━・らない」「地震で地盤が━」2急に事が起こる。「合併の
   話が-」(以下略)   明鏡

 

「〔手に持って〕上へ上げる」よりもっと広く、「他からの力が働いて」としています。
それと、「隆起する」をただ並べているだけですが、荷物の用例と地盤の用例をあげていて、基本的には新明解と同じと言っていいだろうと思います。

「上の方へ上がる」のと「位置が高くなる」との違いは、私にはよくわかりません。

 

岩波も見てみます。

 

  ①隆起する。高くあがる。「地震で敷石が―」「エア ポケットに入って体が―」
  ②事が(急に)起こる。「事件が―」(以下略)   岩波

 

おやおや、こちらは三国とは逆に、ごく普通の「(手に持って)上に上げた状態になる」を表す用法が書いてありません。

「重くて持ち上がらない」という使い方は、「高く上がる」でカバーできるというのでしょうか。


「持ち上がる」を書きことばコーパス(NINJAL-LWP for TWC)で見ると、次の用法の例が圧倒的に多く出てきます。

 

  3((だれ・なにニ)-)突然に事が起こる。「大事件(紛争)が-/縁談が-」
                          新明解

 

三国の用法2、明鏡の2ですね。岩波の②も明鏡と同じような語釈と例です。

この用法については、新明解が例語が多くていいと思います。悪いこととよいこと、両方を出しています。ただ、せっかく「基本構文の型」として「((だれ・なにニ)-)」というのを示しているのに、用例にそれが出てきていません。ここが、新明解の不十分なところです。

 

書きことばコーパスで、ガ格に来る頻度の高い語は次のようなものです。初めの3語が圧倒的に多くの例があります。

  話・計画・問題・企画・疑惑・騒動・構想・縁談・事件・議論・話題が持ち上がる

三国の用法2の語釈は「よくないできごとが」としていますが、「計画・企画・構想・縁談」などは当てはまらないので、不適切な記述です。「予期していなかったこと、意外なこと」ぐらいでしょうか。

 

さて、話を元に戻して、具体的な動きの例としては、「体・部分・ふた・まぶた・胸・あし・頭・尻」などの例が、上の「話~話題」などよりも低い頻度で出てきます。実例をいくつか並べます。

 

 ・体が水面に持ち上がった瞬間に呼吸する。
 ・腕立て伏せのときに体が持ち上がらない人がいますよね。
 ・岩場に着いたのであるが、今度は水面から体がまったく持ち上がらないのである。
 ・ツガ属では、葉の付く枝の部分が少し持ち上がっています。
 ・コラーゲンが増えることで溝になっている部分が持ち上がり、しわなどの溝が改善します。
 ・ボリュームがあってフタが持ち上がっているカツ丼。
 ・フタが持ち上がるようなら、小石等を載せておきます。
 ・この筋肉が縮むとまぶたが持ち上がります。
 ・瞼がすっきり持ちあがり一重瞼が二重になることもあります。
 ・傷病者の胸が持ち上がるのを確認します。
 ・吹き込む量は、相手の胸が持ち上がるのを確認できる程度。(救急処置)
 ・痛くないのにあるけない、足がもちあがらない、日に日に歩けなくなってくる。
 ・ただ起きようとするも頭が持ち上がらん!
 ・なかなか重い腰とお尻が持ち上がりません。

 

上に引用した国語辞典の語釈に「手に持って」とあるのは「持ち(上がる)」の部分を意識しているのでしょうが、必ずしも、というより、多くの場合、「手」とは関係ないようですね。何らかの力によって、物理的に物が上の方向に動く、ということを表しています。

ということで、明鏡がもっと多くの用例をあげて、「他からの力が働いて」ということが具体的にわかるような記述にしてくれるといいのでしょう。(上の用例の中の「フタが持ち上がっているカツ丼」というのはいい例ですねえ。実例の楽しさです。しかし、これは「力が働いて」ではありませんね。さて。)

 

初めに戻って、三国の記述、次の改訂でどうにかしてほしいものだと思います。

 

簡単

「かんたん」という語は、なかなか簡単ではありません。

岩波国語辞典の記述から。
 
  簡単 〘名・ダナ〙こみいっていないこと。取扱いがたやすく、手数がかから
    ないこと。⇔複雑。「―な試験」「―明瞭」    岩波

 

これだけ見ると、これでいいようにも思えますが、他の辞書は少し違います。

まず、新明解。

 

      -な-に ⇔複雑 1構造(筋道)がこみいっておらず、だれにでもすぐ分かる
     様子だ。「-に言えば」2時間(手数)をかけずに行なわれる様子だ。
     「だれにでも-に出来る料理」    新明解

 

用法を二つに分けています。「込み入っていない、すぐわかる」場合と、「時間・手数をかけない」場合。

なるほど、と思いますが、前者の例である「簡単に言えば」というのは、後者の例としても当てはまるのでは、と思います。「料理」の例も、「こみいっておらず、だれにでもすぐ分かる」から、「かんたんに出来る」のだ、と言えるでしょう。つまり、両者は連続している?

岩波はそういう考えなのでしょうか。

 

三国も二つに分けます。(用法の順序は違います)

 

    1〔わかったり、したりするのに〕手間がかからないようす。「-にできる・
     そう-な話ではない」
    2こみいっていないようす。「-な図面」(⇔複雑)  三国

 

新明解との違いは、反対語の「複雑」が用法の2に対応していることです。新明解では(岩波でも)、「簡単」の用法全体に「複雑」が反対語としてあげられています。(三国では、反対語などが用法1・2の両方に関係する場合は「▽」の記号を付けることになっています。「記号・略号表」参照。)

「かんたんにできる」の反対は「複雑」ではありません。

岩波の「かんたんな試験」も、一つの意味では「難しい試験」が反対語になるでしょう。

もう一つ、「かんたんにできる」と同じように、(試験を実施する側から見て)「手間・手数をかけずにできる(試験)」、という場合には、「本格的な・きちんとした」あたりが反対概念になるでしょうか。「複雑な試験」と言える場合もあるでしょうが、「かんたんな試験」の対になるものではないでしょう。

 

明鏡を見てみましょう。

 

      1物事が込み入ってなく、単純にできているさま。「━な作業」「━な作りの
     器械」「━に説明する」⇔複雑
   2行うのに手間のかからないさま。たやすい。容易。「説明するのは━だ」
     「飲むだけで━に治る」
   3本格的でなく、手軽なさま。簡略。「━な食事ですます」
     ◇もと「単簡」とも。                 明鏡

 

明鏡は用法を三つに分けます。

「込み入っていない・単純」と「手間がかからない」と、もう一つ、「本格的でなく手軽」です。

「手間がかからない」と「手軽」はかなり近いようにも思いますが、「本格的でない」というところが重要なのでしょう。本来はそうであるべきところを「手軽に」なのですね。

 

この「簡単な食事ですます」と同じような例を学研新があげています。ただし、「時間・手数などがかからない」という用法の例として。

 

   1こみいってなく、わかりやすいようす。「-な問題」「-な操作」[対]複雑。
   2時間・手数などがかからないようす。「-に説明する」「-に昼食をすます」
                            学研新

 

ふーむ。どうでしょうか。「簡単な食事」と「簡単に昼食を~」の違いがあるでしょうか。

明鏡は「簡単に説明する」を「込み入っていない」の例としていますが、学研新は「時間・手数がかからない」の例としています。そして、「簡単に昼食をすます」と一緒にしている…。

また、明鏡では「てまがかからない」のところに「たやすい・容易」とも書かれていました。
学研新では「込み入っていない」といっしょに「わかりやすい」があり、「簡単な問題」という例があります。

 

   明鏡  1 込み入ってなく、単純。       「簡単に説明する」 
       2 手間がかからない。たやすい。容易。 「説明するのは簡単だ」
       3 本格的でなく、手軽。        「簡単な食事ですます」

   学研新 1 込み入ってなく、わかりやすい。   「簡単な問題」
       2 時間・手数がかからない。      「簡単に説明する」
                           「簡単に昼食をすます」

 

「簡単な問題」というのは、「手間・手数がかからない」から簡単なのか、「込み入っていない」から簡単なのか。

「簡単な説明」というのは、「込み入っていない」から簡単なのでしょうね。でも、「説明するのは簡単だ」という場合は「手間がかからない。たやすい。容易。」だ、と。

なかなか難しいですね。これは、簡単な問題ではなく、簡単に説明できそうもない…。

 

もう一度、別の方向から考え直してみます。

考え方として、それぞれの用法の反対概念を考える、というのがあると思うのです。

一つは「込み入っていない」の反対で「複雑」。また、「たやすい・容易」の反対として「難しい」。

もう一つ、「手軽」に対して「本格的・きちんとした」。

「手間がかからない」に対するのは何でしょうか。「煩雑」?

 

ふーむ。どうもすっきりしません。やはり、基本に戻って、多くの実例を集めて、じっくり考え直すところからやり直すのがいいようです。

とりあえず、他の国語辞典も見てみましょう。(例解新と新選は最新の版を持っていません。すみません。)

 

  1たやすくて、手間がかからないようす。「-にできる」[類]手軽・容易・簡易
   ・安直 2込み入っていないようす。「-なしかけ」[類]簡略・単純[対]複雑
                       三省堂

  1単純でわかりやすいさま。「簡単な構造」「簡単明瞭」2手数や時間のかから
   ないさま。「いとも簡単に解決する」「そう簡単にいくものではない」
   (「単純」の項にある表の例 「簡単に負ける」「昼食を簡単に済ませる」)
                              現代例解

  1ものごとがこみいってなくて、やさしい。「簡単な問題」[類]容易。2てみじ
   かで、あっさりしている。「簡単な面接試験がある」   例解新九版

  1ものの仕組みがこみいっていないようす。単純。「-な図形」⇔複雑・煩雑。
  2わかりやすく、むずかしくないようす。やさしい。「-な問題」⇔複雑
  3時間や手数のかからないようす。手軽。容易。「-に話す」「-に作れる模型」
                            新選九版

 

用法を二つに分けるものが多いですが、新選は三つに分けます。そこは明鏡と同じですが、語釈と例を見ると、そう簡単には言えないような…。(「手軽。容易。」が一緒になっていたり、「やさしい」と「容易」が分かれていたりします。また、反対語の「複雑」が2つの用法に対応しています。)

 

さてさて、問題が意外に難しいのか、単に私の頭が悪いためにすっきり整理できないだけなのか。

国語辞典によって細かい違いがいろいろあるのは、やはり何か問題があるからだと言っていいでしょう。

 

いずれにせよ、最初にあげた岩波の語釈はかんたんすぎるようです。(この「かんたん」の用法は? 「単純」か「手間がかかっていない」か「本格的でなく手軽」か。)

用例の数も不十分です。用法の広がりをそれぞれ抑えた用例が必要です。

学研新の「簡単に昼食をすます」という用例を、岩波の「こみいっていないこと。取扱いがたやすく、手数がかからないこと。」という語釈で説明できると考えるのは無理があるだろう、と私は思います。

 

追記:

和英辞典も見てみました。(「コトバンク」から)

プログレッシブ和英中辞典(第3版)の解説
かんたん【簡単】
 1 〔複雑でない様子〕
  簡単な問題 a simple problem
  一見難しそうな仕組みが (実は) 簡単なのに驚いた
  I was surprised at the simplicity of the seemingly complex mechanism.
 2 〔手短な様子〕
  それについて簡単に述べなさい Give a brief account of it.
  簡単に言えば彼は間違っている In short, he is wrong.
  簡単な食事を取る have a light meal/have a bite (to eat)
 3 〔やさしい様子〕
  簡単な本 an easy book
  その問題は簡単に解ける The problem can be solved easily.

 

すっきりしていますね。1は「込み入っていない」に当たるのでしょう。
あとは「手短」(手間がかからない)と「やさしい」。

これでいいでしょうか。上の議論をもう一度読み直して…。
なかなか面倒です。

 

追記2:

我ながら、なんだかわからなくなってきて、この記事は何度も少しずつ書き直しています。

前に見た時と違うな、ということがあると思いますがご容赦を。

和英辞典の分け方がすっきりしているように思うのですが、今一つ確信が持てません。

 

ともすれば・ともすると

 新明解がよいと思われる項目を。

 

  ともすれば 副 ともすると。  明鏡

        〘連語〙→ともすると   岩波

        (副)適切な対処(注意)を怠ると、そうなる傾向が現われやすい様子。
        ともすると。「-湿りがちな雰囲気を明るくする/-時代の風潮に
        流されやすい」    新明解

        三国 なし

 

  ともすると 副 場合によってはそうなりやすいさま。どうかすると。ともすれば。
         「━怠け癖がでる」  明鏡

       〘連語〙何かにつけ…しがち、…になりがちだという情況を言う語。
        どうかすると。ともすれば。「―悲観的になる」   岩波

     (副)ともすれば。「-、寝坊しがちな昨今」   新明解

     副 <ちょっとした理由で/ゆだんすると>、すぐそうなるようす。
        どうかすると。ややもすれば。ともすれば。「-気がゆるむ・
        -見すごしがちだ」   三国

 

「ともすれば/ともすると」はほぼ同じように使われるようです。

明鏡と岩波は「ともすると」に解説をつけ、「ともすれば」は「ともすると」を見よ、で済ませます。

新明解は「ともすれば」のほうに解説をつけています。これはまあ、どちらでもいいのでしょうが、新明解は「ともすると」のほうにも用例をつけているのがいいと思います。

三国は「ともすれば」の項目がありません。これはよくないと思います。使用頻度に差があるという判断でしょうか。

 

さて、その解説の内容ですが、明鏡と岩波は「そうなる傾向」「そうなりがちだ」と言うだけです。
用例は好ましくない内容ですが、よいことにも言えるのかどうか。

三国の例も同様に好ましくない内容です。語釈には「ゆだんすると」とあり、好ましくないことが暗示されていますが、今一つはっきりしません。

新明解は、「適切な対処(注意)を怠ると」として、不注意による好ましくない結果について使われることがよりはっきり示されています。

 

この4冊の中では新明解がよいと思ったのですが、他にもっとはっきり書いた辞書がありました。

 

  ともすると ある状態になりやすいさま。ややもすると。ともすれば。「-怠け
    がちになる」▽多く、好ましくない様子にいう。   集英社

 

こういう辞書があると、これがいいかなと思います。ただ、用例が一つだけというのはちょっとさみしいです。

「多く」というのは、好ましいことにも使えるということでしょうが、その例はどんなものでしょうか。

こういう場合、例えば好ましくないことの例が3例、好ましいことの例が1例、というふうに用例があげられていれば、なるほど、という気がするのでしょう。

(そうでなければ、好ましくない例ばかり2つの項目で2例ずつ、計4例、とか。)

いつもの「紙幅が云々」という言い訳のため、そういう辞書はないのでしょうが、そうあってほしいものだといつも思います。

 

新明解の副詞:まさか

新明解国語辞典の語釈の問題点です。

 

  まさか   (副)〔「まさ」は、「まさしく・まさに」の語根と同義。「か」は接辞〕
    あるはずがないと確信している事が、意外にも実現した場合を想定する
    (して信じられないことだと思う)様子。[表記]「真逆」と書くこともある。
    [文法]一般に、否定的な内容の表現を伴ったり含意したりして用いられる。
    [運用]感動詞的に用いて、相手の発言内容に驚いたり 疑いをいだいたり 
    するときの言い方となる。例、「『佐藤さんを次期専務に推す声があるん
    ですよ』『まさか』」    新明解

 

新明解は「あるはずがないと確信している事が、意外にも実現した場合を想定する(して信じられないことだと思う)様子」としていますが、用例がないので、「実現した場合を想定する」というのがどういうことを言いたいのかどうもはっきりしません。

 

明鏡・岩波は違う解釈です。

 

   《下に否定的表現を伴って》どう考えてもそのような事態は起こりそうもない
    という気持ちを表す。いくら何でも。よもや。「━雨にはならないだろう」
    「━ねえ、失敗するとは思わなかったよ」「『━結婚はしてないだろうね』
    『いえ、その━なんですよ』」「━の敗北」   明鏡

   ①《普通はあとに(推量的)打消しを伴って》そんなことはあり得ない、または
   とてもできない(だろう)という気持を表す語。よもや。いくら何でも。「―君
   ではないだろうね」「―恩知らずとも言えないし…」。  岩波

 

明鏡も岩波も「起こりそうもない」「あり得ない・とてもできない」と否定・打ち消し(の推量)だとしています。

 

三国は上の明鏡・岩波と同じ用法と、おそらく新明解と同じ解釈のどちらも認めています。

 

   1そんなことはないだろうという推量や、それが実際にあったというおどろき
    をあらわす。「-知るまい・-入賞するとは、と喜んだ・-の初戦敗退・
    『おばけかな』『-!』」  三国

 

私は、この三国の記述がいいと思うのですがどうでしょうか。

 

それにしても、何で新明解はまともな用例がないのでしょうか。

唯一の例である[運用]の感動詞的用法「まさか!」は「そんなことがあるはずがない」という気持ちを表しているのですから、副詞用法の語釈と整合していません。「実現した場合を想定」しているわけではありませんから。

 

コーパスからの例を少し。

 ・まさか無いとか言わないよね?
 ・そんなことはまさかないでしょう。
 ・そういうことはまさかないと思います。
 ・まさかないだろ…と思っていた商品が。
 ・念を押すのを忘れたがまさかなくしてしまうとはな、困ったものだ。
 ・まさか無いだろうと思っていた「ガチャ子の帰還」が実現してしまったのだ。
 ・その当時は私自身、「雷が我が家に落ちるなんてまさか無いよな〜」なんて思ってました。
 ・まさか本気で言ってないよね?
 ・それともまさか本気で言ってるのか?
 ・でもまさかそうではないでしょう。
 ・そしてまさか自分の旦那がそうだなんて、夢にも思いませんでした。
 ・まさかそんなこと本当にするわけないからな。
 ・まさかと思った。
 ・最初はまさかと思いました。
 ・まさか、そんなはずはない。
 ・まさか本当に出て来るとは。
 ・まさか津波なんてくる訳ない!
 ・まさか犬が食べちゃったの!?

こういう実例をたくさん調べて、自分の辞書の語釈で全部説明できるかを考える、というのが辞書の執筆者・編集者の基本作業だと思うのですが、それをきちんとやっているのかどうか。

実例をしっかり分析していれば、自分の辞書の解釈に合うような用例をのせるのはそんなに難しいことではないと思うのですが。

 

熱い

短い話。新明解と岩波の「熱い」が不十分だという話です。関係する用法だけ引用します。

 

  熱い 物が高い熱をもっていて、接触したり 近づいたり するとからだに強い
     刺激を受ける(のが危険だと感じられる)状態だ。「-砂の上をはだしで
     駆け回る/-食べ物や飲み物は苦手だ/燗(カン)を熱くする」  新明解

  あつ-い【熱い・暑い】〘形〙温度が著しく高い。そういう感じだ。①熱せら
   れている。[熱]冷たい。㋐物の温度がきわめて高い。「鉄は―うちに鍛えよ」
   「―うどん」▽それが体(の一部)に触れた時に起こる感じを言う。  岩波

 

明鏡と三国は用法2として次のように書きます。

 

   2 体や体の一部が、普通より高い熱をもっていると感じる。特に、病気の
    ために体温が高いと感じる。「体中がほてって━」「君の手は━ね」     明鏡

   2 体温が高い(感じだ)。「ひたいが-」   三国

 

「体温が高い」場合も「熱い」と言います。新明解と岩波はこの用法を書いていません。
また、それぞれの語釈はこの用法をカバーしているとは言えません。

 

寒い・暑い・涼しい

新明解国語辞典の記述がどうも変です。

 

  寒い ⇔暑い 気温が低くて、快適に過ごすことが出来ない状態だ。
   〔赤道から遠く隔たった地帯やヒマラヤの高山などのように、年間を通じて
    気温が低く寒く感じられる所を指すこともある〕「冬の-朝/背筋(セスジ)
    が寒くなる〔=⇒背筋〕/懐(フトコロ)が-〔=⇒懐〕 
                               
  暑い 気温が高くて、快適に過ごすことが出来ない状態だ。
   〔赤道やそれに近い地帯のように、年間を通して気温が高く暑く感じられる
    ところを指すのにも用いられる〕⇔寒い     新明解

 

それぞれのかっこの中は何が言いたいのか。

 

  赤道から遠く隔たった地帯やヒマラヤの高山などのように、年間を通じて気温が
  低く寒く感じられる所を指すこともある

 

これが「寒い」の記述?「~所を指す」?

例えば、次のような書き方なら、まだ、わかるのですが。

 

    寒い ⇔暑い 冬、気温が低くて、快適に過ごすことが出来ない状態だ。
   〔赤道から遠く隔たった地帯やヒマラヤの高山などのように、年間を通じて
    気温が低く寒く感じられる所の状態を指すこともある〕

 

こういうことが言いたかったのでしょうか?(でも、「~こともある」は、やはり変ですね。)

もちろん、「寒い」のは「冬」に限った話ではありません。私は、夏の暑いときに冷房の効きすぎたコンビニなどに入ると、「涼しい」を通りすぎて「寒い!」と感じます。(この時のコンビニの室温は、ふつう「寒い」というような温度ではありません。)

また、ずいぶん昔の中学時代の思い出ですが、梅雨時の外のプールの授業は曇り空だと寒かった記憶があります。

人が「寒い」と感じるのは、気温(あるいは「室温」)だけの問題ではなくて、人の側の状態、感じ方にもよるわけです。

次の三国の記述がいいのではないでしょうか。

 

  寒い まわりの空気が、からだ全体に冷たく感じられ(て、がまんできなくな)る
     状態だ。   三国

 

上の「暑い」の記述についても同じようなこと(「赤道や~ところを指すのにも用いられる」について)が言えますが、省略します。

 

もう一つ、「涼しい」もちょっと変です。

 

  涼しい (今までの)不快な暑さが感じられない気温になり、快適に過ごせる
    状態だ。〔一般に夏の終りから秋にかけての空気が多少冷ややかに感じられ
    る気候の状態を指す〕   新明解

 

この語釈はちょっと限定しすぎではないでしょうか。「夏の終りから秋にかけて」に「涼しい」ということばを使うことが多いのは確かでしょうが、その「気候の状態を指す」のを「一般に」と言っていいかどうか。

たんに、暑い夏に、扇風機をつけて「ああ~、すずしい~」と言うのはごく一般的な使い方ではないでしょうか。

同じ気温でも、夏に木陰に入って風が吹いてくれば「涼しい風」と感じます。風そのものの温度が低いわけではありません。(これは「気温」ではなくて「体感温度」です。) 

もっと普通には、クーラーをつけた部屋に入って「涼しい」と感じる。これは「室温」ですね。

 

ということで、上の「涼しい」の項目の記述は、執筆者の思い込みが偏っているように思います。

私の勝手な想像ですが、執筆者の思いは、「同じような気温でも、春にはそれを「涼しい」とは言わず、「暖かい」と言う」というようなことがあるのじゃないか、と思いました。その辺のことをあれこれ思い、しかしそんなことを詳しく書くこともできず、上のような書き方になったのじゃないか、と執筆者の気持ちを勝手に想像してしまいました。(同じ執筆者が、「寒い」と「暑い」の項も書いたのでしょうか? そこでの「思い込み」の内容は何だったのか?)

 

冷たい

「冷たい」についての国語辞典の記述に疑問を感じました。

まず新明解の問題点から。

 

    (形)⇔熱い 1雪や氷に触ったときのように、そのものに触れて、刺すような痛みが
   感じられたり皮膚の感覚が失われるように感じられたり する様子だ。「-水/
   風が-/救助隊が駆けつけたときには遭難者はすでに冷たくなっていた〔=死ん
   でいた〕/冷たく冷やしたスイカ
   2人や物事に対して無視する態度をとったり 心配りを欠いた対応をしたり する
   様子だ。「-目で見る/冷たく扱われる/関係が冷たくなる」  新明解

 

語釈では「刺すような痛み」「皮膚の感覚が失われる」とマイナス面ばかり書いていますが、用例の「冷たく冷やしたスイカ」がそのようなものでないのは明らかです。

「冷たい」には「心地よい刺激」の面があるのですが、そのことに触れないのはなぜでしょうか。

 

明鏡を見てみましょう。(以下、新明解の用法2に当たるものは省略します。)

 

  1物質の温度が自分の体温より著しく低いと感じる。「━・く冷えたジュース」
  2体や体の一部が、普通より低い熱をもっていると感じる。「凍えて手が━」 明鏡

 

用法1の語釈は中立的な書き方ですが、用例の「ジュース」は(おそらく)プラスの意味合いです。寒い時に「冷たく冷えたジュース」を出されて不快だったという文脈ではないでしょう。それならば、「自分の体温より著しく低い」というだけの記述は意図が明確とは言えません。

つまり、いつも書いていることですが、語義の説明が、その語の意味用法をすでに知っている人に対するものになってしまっています。語義の説明は、それを知らない人に対して、新たにその意味を習得できるように書くべきです。(国語辞典でそれをあまり馬鹿正直に行うのは、確かに回りくどいものになる場合がありますが、基本的にはその姿勢で行くべきです。)

「冷たい」は、不快な場合にも、心地よい場合にも使えます。
「川の冷たい水」は、夏なら気持ちよく、冬に足を滑らせて落ちたら著しく不快でしょう。「冷たい」の快不快は文脈によるのです。

それは、他の温度関係の形容詞と比較すると、注目すべき特徴です。

 

「熱い」「暑い」は、多くの場合「不快」もしくは「危険」な場合に使われます。

 

  熱い 物が高い熱をもっていて、接触したり 近づいたり するとからだに強い
     刺激を受ける(のが危険だと感じられる)状態だ。   新明解

     火に近づいたときのような感じだ。   三国

  暑い 気温が高くて、快適に過ごすことが出来ない状態だ。  新明解

     気温や体全体で感じる温度が、適温より高いと感じる。  明鏡

 

それに対して、「温かい」「暖かい」は「心地よい」ことを表します。 

 

  〖暖〗気温がほどよい高さを保って心地よい。寒くなくて快い。
    「━国」「今年の冬は━(⇔寒い)」「━春の日差し」「━(⇔冷たい)風」
  〖温〗物の温度がほどよい高さを保って心地よい。冷たくなくて快い。
     「━料理」「ポットのお湯はまだ━」「井戸の水が━」 ⇔冷たい  明鏡

  適度の温度があって、寒さ・冷たさなどによる不快感を受けることがない様子だ。
  「温かい」とも書く。    新明解  

 

「寒い」「涼しい」の対立も同様です。

 

  寒い 気温や体全体で感じる温度が、適温より低いと感じる。⇔暑い

  涼しい 気温や体全体で間接的に感じる温度が、適度に低く、心地よい。  明鏡

 

繰り返しますが、「冷たい」だけが「快」と「不快」のどちらも表せるのです。と言うか、「冷たい」だけが対になるもう一つの形容詞を持っていない、と言ったほうがいいでしょうか。

            快       不快

   気温など   暖かい/涼しい  暑い/寒い
   物の温度   温かい/冷たい  熱い/冷たい

 

(あるいは、「気温/物」に関して「あつい・あたたかい」は漢字表記による区別で済ませているのに対して、「気温」に関しては「寒い・涼しい」と言い、「物の温度」に関しては「冷たい」が別にあるという体系になっていることが興味深いところだ、と言ってもいいでしょう。)

その辺のことを、どういう書き方をするにせよ、国語辞典ははっきり書いておくべきだと思うのですが、不要な情報だと考えているのでしょうか。