友だち・仲間
前回(といってもずいぶん前ですが)、これから「言う」の複合動詞をとりあげていきたい、というようなことを書いたのですが、結局書けずに、そのままになってしまいました。
複合動詞は話が細かくなってしまうので、面白くないかと思い始めて、、、。
で、もっと基本的な語を扱うことにします。
「ともだち」から。
新明解 一緒に何かをしたり遊んだりして、気持の通い合っている人。友人。
この説明をそのまま受け取ると、「夫婦」や「兄弟」も入っちゃうんじゃないか、というのはかなりひどい揚げ足取りになるんでしょうか。
「友だち」というのは、まず基本的に「他人」なんですよね。辞書の語釈にわざわざ書くべきかどうかはともかくとして。
そこを除けば、新明解の説明はまあいいのでしょうか。
三国 同じ学校に通ったり、行動を一緒にしたりする、仲間。友人。とも。
「友だち」になるのに、いちばんふつう(?)なのは、学校で知り合うことでしょうか。(もっと早く、幼稚園でもいいですが)
でも、ただ「同じ学校に通」うだけでは足りないでしょう。同じクラスになって、その何十人の中で、特に気の合う同士がいっしょになって、「何かをしたり遊んだり」する中で、いっそう気持ちが通い合うようになる。「何か」の中にはクラブ・サークルなどもあります。
では、会社の「同僚」はどうでしょうか。会社の寮に住んで、「同じ[会社]に通ったり、行動を一緒にしたりする」と、友だちと言えるか。
「同僚」であるだけでは、「友だち」ではないでしょう。新明解の言う、「気持の通い合っている」ことが必要になります。
三国の場合は、次の「~、仲間」ということばがどういう意味か、が問題になります。「仲間」で、「同じ学校に通ったり、行動を一緒にしたりする」人が、「友だち」と言える、らしい。
では、「友だち」と「仲間」はどう違うのか。「仲間」とは。
三国 一緒に何かをする人(の集まり)。
おや、ずいぶんかんたんですね。
「友だち」との違いは、「同じ学校」と「行動をともにする」ですが、後者は「いっしょに何かをする」でも同じようなものですね。
結局、三国によると、学校が同じでいっしょに何かをしていればみんな「友だち」なんでしょうか。それはちょっとひどい。
新明解 いっしょに何かをする(している)間柄。また、その人。〔狭義では、同僚を指す〕
こちらはなぜか「同僚」が出てきました。同僚は「仕事仲間」だということでしょうか。
「友だち」との違いは、「遊ぶ」のでなく、「気持ちが通い合っていない」ということになります。でも、「遊び仲間」というのもありますから、「気持ちの通い合い」が重要なんでしょう。
いや、しかし、「仲間」も気持ちが通い合っているんじゃないかしら?
岩波 心を合わせて何かをいっしょにするという間柄をかなりの期間にわたって保っている人。そういう間柄。「仲間の面倒をよく見る」「遊び仲間」
岩波の「仲間」は、かなり親しい関係です。(この説明も、「夫婦」がまさにピッタリという感じですね。そうでない夫婦は別として、、、。)
「仲間」をたんに「いっしょに何かをする」だけですませようという、新明解・三国の説明はどう見ても足りないんじゃないでしょうか。岩波のように「心を合わせて」とか「かなりの期間にわたって」とまで言うかどうかはちょっとおいて。
例解新 気が合って、何かをいっしょにする人
せめてこのくらいは書いてほしい。それに、「何か」というのもぼんやりしすぎています。
小学館類語例解 仕事、勉強、遊びなど物事をいっしょにする友人。また、物事をいっしょにする集団。
このくらい具体的に書いてほしいですね。でも、この説明では「~友人」となっているので、では「友人」つまり「友だち」(この2語の違いは文体的なものと私は考えています)とどう違うのかははっきりしません。