ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

ヤングアダルト(1):若者・おとな

三省堂現代新国語辞典に「ヤングアダルト」という項目がありました。「若者」「大人」との関係で、いろいろ考えてみたことを書いておきます。

 

  ヤングアダルト  大人と子供の間の年代の若者。[とくに本の読者対象に言う。略号YA]          三省堂現代新

 

「大人と子供の間の年代」というのはどのあたりなのか、「若者」とはどういう人を指すのか、調べてみます。
(「おとな」は、以前考えたことがあります。「2019-04-04 おとな」「2019-10-22 おとな:続き」)

 

  おとな  一人前に成長した人。[類]成人・アダルト

  子供  年のいかない(・おさない)子。「-あつかいにする・-時代」[類]幼児・児童[対]おとな

  若者  年の若い人。若人。[類]青年・若年・ヤング   三省堂現代新

 

ヤングアダルト」とは、「一人前に成長した人」と「年のいかない子」の間の「年の若い人」です。

これではまだ何だかわかりません。「一人前に成長した」とはどういうことか、「年のいかない」とはどのくらいの年なのか、「年の若い」とは。

 

  一人前  2 おとなとしてあつかえる人間。「社会に出れば-だ」   三省堂現代新

 

「一人前」の説明に「おとな」が出ています。「おとな」とは、

  おとなとしてあつかえる人間に成長した人

です。これではどうにもなりません。
  
「年のいかない」って、どうやって調べるんでしょうか? とりあえず「とし」を見てみます。

 

  とし  2 人の年齢。「-を取る(=老いる)・-がいく(=老いる)・-をくう(=(むだに)年をとる)」   三省堂現代新

 

用例の中に「年がいく」がありました。「老いる」ことのようなので、「年のいかない」は「老いていない」ということなのでしょう。「老いていない(・おさない)子」というのはちょっと変な感じがしますが。

(「年を取る」も「老いる」ことだとあります。五歳の子が六歳になれば「1年年を取った」ことになると思うのですが、「1年老いた」のでしょうか?)

 

  若い  生まれてから、また、生えてから、まだ日が浅く、先が長い。「-木」   三省堂現代新

 

「まだ日が浅く、先が長い」とはどのぐらいのことをいうんでしょうか。一歳とか、五歳とか?

二十歳でも「生まれてからまだ日が浅い」と言えるのか。「先が長い」のは確かですが。

 

どの語の語釈も、はっきりした、明確なものとは言えません。ぼんやりとした、なんとなくわかる、というものだとしか言えません。

 

初めに戻って、「ヤングアダルト」とは、「大人と子供の間の年代の若者」だ、というところからもう一度。「若者」を三国で見てみます。

 

    若者  年の若い人。青年。   三国

 

「若者」は「青年」とも言います。(三省堂現代新の「若者」にも[類]のところに「青年」がありました。)では、「青年」とは。

 

  青年  二十歳前後の若者。また、二十代(の人)。「-時代」[類]若人・ヤング 三省堂現代新

  青年  人を年齢によって分けた区分の一つ。〔主として結婚前の〕二十代から三十代のなかばぐらい(の人)。(⇔少年・壮年・老年)  三国

 

「青年」にははっきり年齢が示してあります。その範囲の限定のしかたが違いますが、三十代の一部を含むという点で、私は三国のほうがいいだろうと思います。二十歳前も入れたほうがいいという点では三省堂現代新に賛成です。

いや、ちょっと待ってください。「ヤングアダルト」は「「大人」と「子供」の間の年代」のはずですね。

「大人」は何歳ぐらいから、「子供」は何歳ぐらいまで、なのでしょうか。

ふつう、二十歳になると「おとな」になった、と言われるのではありませんか?

 

  おとな  成人した人。一人前に成長した人。  

  成人  成年に達すること。一人前のおとなになること。また、その人。 

  成年  物の考え方やからだが十分に発達し、一人前の社会人としての能力が備わるものと認められる年齢。〔民法では満二十歳に達することを指す〕   明鏡

 

「おとな」とは「成人」であり、「成人」とは「成年に達する」ことで、「成年」とは「民法では満二十歳」になることです。

つまり、三国の言う「二十代から三十代のなかばぐらい」の「青年」は、みな「おとな」です。

「青年」と「若者」がほぼ同じようなものだとするならば、「若者」は「大人と子供の間の年代」ではあり得ません。「ヤングアダルト」=「若者(年の若い人)」ではないのです。

私の理解が最初から間違っていたようです。初めに、

 

  ヤングアダルト  大人と子供の間の年代の若者。[とくに本の読者対象に言う。略号YA]          三省堂現代新

 

を見て、「若者」を「ヤングアダルト」と同じ年代と思いこんでしまっていたのです。
つまり、

  子供 - ヤングアダルト(若者) - 大人 

という形を無意識に思い浮かべていました。

ところが、「ヤングアダルトとは、大人と子供の間の年代の若者である」というとき、「ヤングアダルト」は「若者」の一部にすぎないと考えるべきでした。

無理に図にしてみると、次のような感じでしょうか。

  子供  →← ヤングアダルト →←   大人   → 
       ←    若者(青年)  →

こう考えれば、「大人と子供の間の年代の若者」ということの意味がわかります。

これは、修飾語句の係り方のあいまいさ、という問題の一つの例です。

たとえば、「親切な日本人」というとき、「日本人はみんな親切だ」という意味と、「日本人の中には親切な人がいて、その人(たち)」という意味があります。

「かわいい子ども」でも、「しっかりした大人」でも、みなこれと同じような意味のあいまいさがあります。(「二十歳以上の大人は~」などの場合は、「二十歳以上」=「大人」で一致します。)

「大人と子供の間の年代の若者」でも同じです。ところが、私は「大人:若者」という対立を頭に浮かべてしまったので、「若者」は「大人」とは別、「ヤングアダルト」は「若者」とほぼ同じ、と思ってしまったのです。

 

さて、私のかんちがいがあるとしても、あいまいさを残さないような書き方のほうが望ましいでしょう。

 

  ヤングアダルト  おとなと子どもの間の若者。特に、中学上級生から高校生を言う。YA。「-小説」  三国

 

三国は「特に、中学上級生から高校生」とかなり限定しています。これが正しいのなら、このようにはっきり書いたほうがいいでしょう。(「若者」というより、「若い人」のほうがいいように思いますが、それは大きな問題ではありません。)

 

ただし、まだ次の問題が残っています。「大人」との違いは明確にできたとしても、「子供」との境目ははっきりしたのでしょうか。

三省堂現代新の「年のいかない(・おさない)子」という「子供」の語釈はあまりにもあいまいだとしても、他の辞書の「子供」は、「ヤングアダルト」と区別できるでしょうか。