ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

三国第八版:おとな・こども(2)

前回の続きです。

 

  おとな 1からだがじゅうぶんに成長した人。成人。(以下略) 
  こども 1おとなになる前の人。〔動物にも言う〕(以下略)  三国第八版

 

この記述では不十分だ、というのが前回の話でした。

「おとな」を「からだがじゅうぶんに成長した人」というだけでは、中学生や高校生にも言えてしまうでしょう。それで「こども」が「おとなになる前の人」というのではどうにもなりません。

中学生が、「こども・おとな」って、国語辞典ではどう説明しているんだろう、と思って上の記述を見たらがっかりするでしょう。
この記述で、なるほど、さすが国語辞典はしっかりした説明が書いてあるなあ、と思うとは、まあ、思えません。

 

それに、「ヤングアダルト」の項には、「おとなと子どもの間の若者」とあり、

  こども - ヤングアダルト - おとな

という区分があるように読めます。これは、一般的な考え方とは違うでしょう。
また、「こども」の「おとなになる前の人」という説明ともずれています。
どうも、三国の編集者がこれらの語について十分に考えたとは思えません。

さて、どう考えたらいいでしょうか。

 

前に「おとな」について書いたとき(「2019-04-04 おとな」)には、新明解の記述が比較的いいんじゃないかと思いました。

 

  おとな 一人前に成人した人。〔自分の置かれている立場の自覚や自活能力を
    持ち、社会の裏表も少しずつ分かりかけて来た意味で言う〕

  一人前 子供が成長し、社会人としての権利・義務を持つ段階に達した状態。

  成人 〔法律上の権利・義務などの観点から見て〕社会の一員とされるおとな
    (となること)。    新明解

 

また、明鏡の「成年」の項。

 

  成年 心身が十分に発達し、一人前の能力をもつ大人として認められる年齢。
                      明鏡第三版

 

これらを合わせて考えると、

  心身が十分に発達し、社会の一員として認められるような(自活)能力があり、
  社会人としての権利・義務を持つ人

ぐらいのところかな、と思います。(新明解の「社会の裏表」云々は要らないでしょう。)

「からだ」と「こころ(精神)」と、「社会的存在」としての「おとな」です。

これを、法律(民法)では満二十歳以上、としていたのです。(昨日から(!)十八歳に引き下げるということになりました。)

ただし、学生などは二十歳を越えても十分「おとな」であるとはみなされないことがあって、それはやはり「自活」していないと考えられるからでしょう。(もちろん、「自活」している学生もいますが、一般的な話として。)

鳥やけものなどで言えば、「自分でエサをとってこられるようになる」ということです。

 

以前、「おとな」の話に続けて、動物のことを書きました。

niwasaburoo.hatenablog.com

人が「成人」になるなら、動物、例えば魚は「成魚」になるわけです。
で、「成魚」とは、と辞書を引くと、(きちんと書いてある辞書では)

 

  成魚 生殖が営めるまでに十分に成長したさかな。     岩波
     稚魚・幼魚から成熟して生殖機能をもつようになった魚。 学研現代
 
となります。
動物が「成熟する」ということは、次の世代を産み出せるようになる、ということです。

魚だと、卵を産みっぱなしにして後は運命に任せることが多く、だから大量の卵を産むわけですが、鳥や哺乳動物になると産んだ後も面倒を見なければなりません。「産み育てる」わけです。

 

人間も、「おとな」になるということは、次の世代を生み育て(られるようにな)るということが一つの要件でしょう。身体的成熟と、社会的自立と。

なぜか、国語辞典ではこのことは触れられていないようです。

 

少し別の観点から考えてみます。

小さな子どもにとって、「おとな」の代表はまず自分の親たちでしょう。そして、近所の、自分の親に似たような人たち。おばさんやおじさんたち。

もう少し若そうな、しかし体の大きさは十分ある高校生や二十歳前後の人たちを、幼稚園児・小学生は「おとな」だと思うのか。
近所の「おにいさん・おねえさん」たち?

子ども自身は、自分がどうなったら「おとな」になるのだと思っているのでしょうか。

「おとな」ということばを、大人自身と、子どもたちがどう使っているのか、そして「こども」とは。