「おとな」の話の流れで、ちょっと方向を変えて動物の話。
人間の子供が成長して「成人」になるなら、他の動物は成長して何になるのか。例えば「魚」は。「成魚」ですね。
成魚 成長した魚。 明鏡
成長した魚。 例解新
成長した魚。 現代例解
成長した魚。 集英社
これらの語釈は、「成」と「魚」に分けてみました、ということですか。
もう少し何とかならないものでしょうか。
十分に成長した魚。 旺文社
十分に成長したうお。 新選
「十分に」をつけても意味ははっきりしません。
「魚」は「うお」なんでしょうか。私は「さかな」と読んでいました。
「さかな」とする辞書もあります。
成魚 じゅうぶんにそだったさかな。 三省堂国語
上の明鏡その他はどっちで読んでいるのでしょうか。
さて、「成長した」も「育った」も同じようなものですね。
では、成長とは。
成長 名・自サ変 人間や動物が育って一人前になること。
「子どもの━記録」「あそこで我慢できるとは、君も━したね」 明鏡
おやおや、また「一人前」ですか。どうもこの言葉が好きなようです。
もう少し、他の辞書の「成魚」。
成体の段階まで育った魚。 新明解
「成体の段階」というと、ずいぶん学問的な感じがします。
では、「成体」とは。
成体 生殖作用を営むことが出来る程度に成熟した動物。 新明解
そういうことですね。「成魚」になるということは。
「成魚」の項で、このことをはっきり書いている辞書もあります。
成魚 生殖が営めるまでに十分に成長したさかな。 岩波
稚魚・幼魚から成熟して生殖機能をもつようになった魚。 学研現代
動物が「成熟する」ということは、次の世代を産み出せるようになる、ということです。
で、前の回の話に戻って考えると、人間が「成人」つまり「おとな」になるということも、次の世代を産み育てられるようになることなのでしょう。
ただ、人間の場合には、身体的な成熟の他に、社会的に「一人前」になることが、次の世代の「親」となるために求められるのです。
多くの国語辞書は、この社会的なほうを「成人」の根拠にします。
「おとな」は、社会的な面と、生物学的な面の両方が求められるんじゃないでしょうか。
その辺のことを、「おとな」の項で書けというのはちょっと過大な要求でしょうか。