三国第八版:おとな・こども
三省堂国語辞典第八版が第七版からどう変わったか、このブログでこれまでにとりあげてきた項目を見てみます。
「おとな」の項について。
三国第七版の説明は循環しています。
おとな 一人前に大きくなった人。成人。
一人前 (りっぱな)ひとりのおとな。 三国第七版(用例その他省略)
これはひどいですね。
成人 1おとな。「-教育」2成年になった人。
成年 人の、知識・からだがじゅうぶんに発達したとされる年齢。〔民法では
満二十歳〕「-者」 (⇔未成年) 三国第七版
「成年」まで行くと、いくらか説明のある語釈にたどり着きます。
つまり、少なくとも次のように書けばずっといいのじゃないかと思うのですが。
おとな 知識・からだがじゅうぶんに発達したとされる人。成人。
(しかし、「成人」の用法1と2の関係は? 「おとな」と「成年になった人」は別の用法なのです。)
第八版ではどう「改訂」されたでしょうか。
おとな 1からだがじゅうぶんに成長した人。成人。(以下略) 三国第八版
おやおや、「知識」がおっこっちゃいましたね。知識は不要と考える?
知識が「充分に発達」しなくても「おとな」にはなってしまう、ということでしょうか。
いろいろ考えた末に、あえて「知識」を書かなかったのか。
それと、「からだ」だけを言うと、今の中高生あたりは十分「おとな」に含まれてしまわないでしょうか。
中高生は「おとな」とは言えないと考えるのが一般的でしょう。
つまり、やはり「からだ」だけで「おとな」と認めるには無理があるのでは?
第七版の「一人前」が意味するところは「からだ」だけではなかったはずです。(その語釈は非常に不十分だったとしても)
その分、改訂で後退したとも言えます。
では、「おとな」の反対語である「こども」とは。どのあたりまでを言うのでしょうか。そして、その根拠は。
「ヤングアダルト」ということばをとりあげた時に、「こども」についても考えました。
こども 1〔からだが〕一人前になる前の人間・動物。「-あつかい・おなかの-
〔=胎児〕」(⇔おとな) 三国第七版
「一人前になる」とはつまり「おとなになる」ことですね。八版ではそう書いています。
こども 1おとなになる前の人。〔動物にも言う〕(以下略) 第八版
しかし、「ヤングアダルト」の項には次のように書いてあります。
ヤングアダルト おとなと子どもの間の若者。特に、中学上級生から高校生を言う。 YA。「-小説」 三国第七版・八版
「おとなと子どもの間の若者」です。この項の執筆者によれば、子供と大人は続いていないんですね。
「中学上級生から高校生」は「おとな」ではありませんが、「こども」とも言いにくい部分があるのは、確かにそうです。
さて、どう考えたらいいのでしょうか。
三国の編集者は、第八版への改訂の際にこの辺のことを十分考えなかったようです。