三国第八版:-たち
三省堂国語辞典第八版が第七版からどう変わったか、このブログでこれまでにとりあげてきた項目を見てみます。
元の記事は新明解第八版の問題点を書いたものですが、三国の第七版も同じ問題を持っていました。
-たち(接尾)〔人間・動物などの〕複数をしめすことば。「あなた-・少年-
・母-・白鳥-」 三国第七版
「母たち」というのは「母」の複数でしょうか? 小学校の授業参観みたいな?
では、「山田さんたち」は? 「山田さん」の「複数」ではありませんよね。
第八版では、次のように第二の用法が加えられています。
たち[接尾]1〔人間・動物などの〕複数をあらわす。「たくさんの子ども-・
白鳥-がいっせいに飛ぶ」(略)2〔人間・動物などが〕そのほかにもいる
ことをあらわす。「田島さん-も加わった」 三国第八版
でも、「そのほかにもいる」というのはどういう人たちでしょうか。
たとえば、
切符売り場の前で、田島さんたちが列に並んでいたので声をかけた。
という場合、「田島さん」と「そのほかにも」人がいる、というだけの意味でしょうか。
まず思い浮かぶのは、「田島さん」と「そのほかの私(または田島さん)の知り合い」が、他の知らない人たちの間にいる、という状況じゃないでしょうか。
上の三国の用例「田島さんたちも加わった」の場合も、「田島さん」とそのほかの関係のない人が数人、ではなくて、「田島さんとその知り合いの人(たち)」でしょう。
明鏡第二版は次のように書いています。
人・動物の複数を表す。また、~を代表とする一団の意を表す。
「ぼく━・きみ━・若者━・小鳥━」「伯母━が遊びに来ている」 明鏡第二版
この「伯母たち」は、「伯母とその家族」というような意味でしょう。
「~を代表とする一団」というのは、ちょっとこなれていない感じがしますが、言いたいことはよくわかります。たんに、「そのほかにもいる」のではないのです。
そう考えると、「ぼくたち」というのも、「ぼく」の「複数」というよりも、「ぼく」と「そのグループ」と考えたほうがいい場合もあるのではないでしょうか。
複数の子どもが一緒に「僕たち」という意識を持つ場合は「僕」の複数と言えます。「我々」と同じような意識ですね。
「君たち」にも、二つの解釈があり得ます。目の前にいる「きみ」と「君のグループと考えられる人たち」を合わせた場合と、目の前にいる一人一人を「きみ」として全体に呼びかける場合(つまり「きみ」の「複数」)と。こちらは、「諸君」に当たるでしょうか。
もともと複数でもあり得る名詞「おとな・若者・子供・鳥」などは「-たち」が「複数」を表すと考えていいのでしょう。(ただし、英語などで言う「複数形」とはずいぶん使い方が異なります。「おとなは~」と「おとなたちは~」はどのように使い分けるのか、を考えようとすると、さて、かなり難しい問題だと思います。)
また、「牧場にいる牛たち」というとき、牛だけが複数いる場合と、牛を代表とする他の動物もいる場合があり得るでしょう。
その辺のことまで考えて、さて、いかに短く、的確な語釈を施すか、が問題となるのだと思いますが、そもそも、単に「複数を表す」でいいと思っているのではどうしようもありません。
たち 《人・生物を指す語に付けて》複数を表す語。▽連濁で「だち」ともなる。
「友―」。人・生物以外に使うこともある。「思い出をさそう古い机―」。古語
では、「ら」「ども」に対し、尊敬の気持を含む。「神―」「公―きんだち」
岩波 第八版
古語のことまで書いてあるのはいいんですが、現代語の用法をもう少し考えてくれたほうが…。「古い机たち」は必ずしも「複数を表す」のではないでしょう。
なお、明鏡の第三版は大いに問題があります。
人・動物の複数を表す。また、~を代表とする一団の意を表す。
「ぼく━・きみ━・若者━・小鳥━」 明鏡第三版
「伯母たち」の例が削られています!
これでは「~を代表とする一団」という説明が浮いてしまいます。
こういうのを「改訂」と言うのでしょうか。
追記:
「ぼくたち」の話のところで、言語学で言う "inclusive we" の場合を忘れていました。
「僕と君」を「ぼくたち」ということもあるのですね。「僕たち、一緒に頑張ろうね。」のように。
聞き手を「ぼくのグループ」に入れてしまう、と言うと変な感じがしますが。
こういう「-たち」はどう言ったらいいんでしょうか。