ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

おいそれと

また三省堂国語辞典の語釈が不十分、と思ったら、そんなに簡単な話ではなかった、という項目です。

 

  おいそれと  (副)〔下に打消しのことばが来る〕すぐに。簡単に。「-(は)できない」 三国

 

私の感覚では、「おいそれと」は「すぐに。簡単に。」という語釈では明らかに足りない、もっと限定された用法をもつ語です。
次に引用する新明解や現代例解、岩波の言うところに賛成です。

 

    〔「おい」は応答の語「はい」で、「はい、それでは」と応じる意〕その場で簡単に相手の依頼や要求に応じる様子。〔否定表現を伴って用いられる〕「-(は)出来ない/こうなると私には-返事が出来なくなります」  新明解

  依頼や必要に応じて、簡単にことをするさまにいう。「おいそれと引き受けられない」▽「おい」と言われて「それ」と応じるの意から。  現代例解

  おいそれ《副と》<「-と(は)…できない」などの形で> 依頼・必要に対して、すぐさまには(応じられない)。きがるに。「-と承知はできない」「-とは決めかねる」▽「おい」と呼ばれて「それ」と呼応する形から。  岩波

 

「おい」と応じる「それ」、という語源はなくてもかまいませんが、「その場で簡単に相手の依頼や要求に」「依頼や必要に応じて/対して」という部分は必要だと思います。

それがないと、「ダイエットは、おいそれと(=すぐに、簡単に)はできない」と言えることになります。私の語感では、この使い方はどうもぴったり来ません。

 

他の辞書を簡単に紹介します。

明鏡は「要求に即座に応じるさま」と短いですが、趣旨は同じでしょう。

学研現代新は「即座に物事に応じるようす」と書いています。「物事」の範囲がはっきりしません。

三省堂現代新は「すぐかんたんに」としていて、三国とほぼ同じです。類語に「ちょっとやそっとで」をあげていて、「依頼や要求」とは特に関係がないと考えているようです。

旺文社、新選、集英社、例解新も特に「依頼や要求」に触れていません。

これは、結論ははっきりしているなあ、と思ったのですが、念のため、書きことばコーパス(NINJAL-LWP for TWC)を調べてみたら、「相手の依頼や要求」とは関係のない例がたくさんあって、ちょっと考えてしまいました。

以下はそれらの例のいくつかです。
  
 1 たとえどんなにほしくても、家や車ならおいそれと手は出せない。

 2 子供を抱えて実家に帰っても、おいそれと仕事は見つからない。

 3 このような女性の写真などは肖像権などの問題があり、おいそれとネットで使う事は出来ません。

 4 相手は皇太子殿下の愛人。おいそれと声をかけていい相手じゃない。 

 5 それにしても、中国大陸の北半部に強大な勢力を築いている魏が相手である。おいそれと戦いを仕掛けることはできない。

 6 やむなくその増加のために、区は都営住宅用敷地を探して、誘致することに努めた。だが土地を区が確保しても、おいそれと住宅が建つわけではない。

 7 外出の時に予約が必要、というのではおいそれと外出もできない、と。 

 8 船内機型はエンジンの寿命が船の寿命、なんてこともあるのではないでしょうか。おいそれと交換できないですから。 

 9 >とにかく毛皮は無駄としか思えないです。 
  私もおおむね同感ですが、長い歴史の中で利用されてきた素材でもありますからおいそれと代替品に変えられないのかもしれません。 

 10 いや、そもそも転職を考えていることを、女房にも内緒にしたいんだ本当は。だから、おいそれと転職雑誌なんてとても買えない。 

 11 仮に結婚し、子供が生まれたり、奥さんも働いていたりすると、おいそれと他の都道府県に移り住むのは難しくなります。

 12 建物のイメージや機能は、ライフスタイルの変化などによって、将来的に変更が可能。しかし、一度選んだ土地はおいそれと変更がききません。

 13 しかし、朝日らが宿泊したこの旅館は、皇族方が常宿にされる甲府随一の高級旅館である。一介のサラリーマンがおいそれと利用出来るものではない。 

 14 この際、被害者(ロープで縛られている方)はその縄を解こうと抵抗をするのが普通である。おいそれと、死ぬつもりもないのに死ぬことはないからである。 

 15 当然ながら煙はテント内に侵入し、やがて充満するのは必至です。ひとたび侵入した煙はおいそれと簡単には出て行ってくれません。

 

ちょっと多めに例を並べました。

これらの例を一つ一つ見ていくと、必ずしも新明解の言う「相手の依頼や要求」でないことがわかります。
「自分の希望・必要」あたりでしょうか。岩波の「必要」はこれでしょう。

さらに、「おいそれとは」の形の例を並べてみます。


 1 (雪は)想像するに5〜6mは積もるのではないかと思います。おいそれとは消えないのです。

 2 今は55kgでずっと安定しています。これ、限界ですね。もうおいそれとは太れないでしょう。

 3 減反に協力しなかったことで、自治体からの有機への補助金が打ち切られた。 
これはもう、おいそれとは引き下がれない。 

 4 竹のしたたかなしなやかさ。木綿の、おいそれとは擦り切れない柔らかさ。

 5 この寺を造るとき,棟梁が大事な大黒柱となる大木を切りすぎてしまう。代わりになる木はおいそれとは手に入らない。

 6 ご回答ありがとうございました。おいそれとは決められない大きな問題ですよね。

 7 カルガリーも他の北米大陸都市と同じように規模が大きい。よってどこに行くにもおいそれとは動けはしない。 

 8 近頃、ものを思い出すのに時間がかかるようになった。  映画俳優の名前なども、おいそれとは出てこない。

 9 しかし今日、国税不服審判所はもちろん裁判所も、実質的には行政機関を守ることをその使命としています。ですからおいそれとは勝てないのかもしれません。

 10 この責任はいったい誰がとるというのでしょうか?これからその責任が問われてしかるべき時にきますが、敵もおいそれとは自首しないでしょうから厄介です。 

 11 それは至極簡単なことのように思われる。しかし,実はこれが大変で,おいそれとは実現しない。

 12 欲しくて欲しくてたまらなかったジャケット。欲しくてもおいそれとは買えないほど高価なジャケット。

 13 長年培われた考え方はおいそれとは変えられないものです。 

 14 脱原発を宣言した首相を、その一点において、支持したい。道は険しいだろう。 横槍は入るだろう。おいそれとは、この国のシステムが変わるとも思えない。

 15 中でも下記のシーンは、少女漫画どころか少年・青年漫画でも、おいそれとは書けないであろう超危ないセリフでした。 

 

これらの実際の使用例を見ていると、上で述べた「その場で簡単に相手の依頼や要求に」「依頼や必要に応じて/対して」という限定は強すぎるように思われます。

それでも、三国の「すぐに。簡単に。」というのでは、「おいそれと」の含む意味合いをとらえられていないという感覚は間違っていないように思います。

「相手の依頼・要求や、自分の希望、その状況での必要性、などに応じて、すぐさま、簡単に」というと長くなってしまいますね。

さて、どういう風に書けばいいでしょうか。