さらに新明解の「かぞえ方」欄の話を続けます。
野菜編です。
にんじん (語釈は略)一本。小売の単位は一束・一把(イチワ)・一袋
だいこん 一本 新明解第八版
「にんじん」の「一本」は、省略した語釈の中の「畑に作る二年草」の数え方でしょう。前回の「だいず」の「一本」、「あずき」の「一株・一本」に対応する記述です。
食べるところ、あの赤い根の部分、我々が「にんじん」と聞いて思い浮かべるものはどう数えるのでしょうか。それは書いてありません。
「大根」の「一本」も同様でしょう。こちらは、「小売りの単位」も教えてくれません。
この「一本」が「食べるところ」のかぞえ方でないことは、次の「たまねぎ」の「かぞえ方」を見てもわかります。
たまねぎ 一本・一玉。小売の単位は一袋
ながねぎ 一本。売買の単位は一束・一把(イチワ)・一箱 新明解第八版
「たまねぎ」の「一本」はやはり「多年草」のほうで、「一玉」は球形の食べる部分でしょう。
そのかぞえ方の違いを、このように並べてしまっていいものでしょうか。
辞典の利用者はどうしてそれがわかるのか。結局、利用者がそれを知っていることを前提にして書いているということでしょう。
そして、「一玉」は「小売りの単位」とは別です。「一袋」に入ったものを買わなければいけない。
「ながねぎ」の「一本」も、あくまで「多年草」のかぞえ方であって、店で売っているもののかぞえ方ではない。それは、単独では数えてもらえず、「売買の単位」として「束」になっていないといけない。
しつこく同じことを書いていますが、本当におかしな話だと思うのです。
「かぞえ方」と言いながら、我々が普通、そのものを目にして、あるいは手にとって、その数を言う言い方は書いていない。(「たまねぎ」を除いて)
はくさい むいた部分は一枚。小売の単位は一束・一把(イチワ)
レタス 一株・一玉
キャベツ 一株:一玉(ヒトタマ)
かぼちゃ 一本:実は一玉(ヒトタマ) 新明解第八版
なぜ白菜だけ「むいた部分」を考えるのでしょう。キャベツやレタスは「一枚」と言わないのか。それらの「小売りの単位」は?
白菜で「一束」になっていないものは何とかぞえるのでしょうか。あれは丸くないから、「一玉」ではないですね。単に「一つ」なのでしょうか。
(本当にささいなことですが、「一玉」に読み方がついていたり、なかったりするのも不統一です。さらにささいなこと。「一株」と「一玉」の間の「・」と「:」の違いやいかに?)
新明解の「かぞえ方」欄は、項目ごとに書き方がばらばらで、第四版以来このままで来ているというのが本当に不思議です。
「改訂」とは何なのか、です。