ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

国語辞典の「自動詞・他動詞」(27):宮島達夫の「自他比較表」

国語辞典の自他表示を調査し、その違いを一覧表にするという作業を、50年前にやった人がいます。
宮島達夫(1931-2015)です。

宮島は1972年に『動詞の意味用法の記述的研究』というスゴイ本を出しました。動詞研究の基本書です。(この時、宮島は40歳と少し。なんとまあ。)

その副産物として『動詞・形容詞問題語用例集』(1971年、西尾寅弥と共著)という変わった題名の本を出しています。その目次を紹介すると、

  Ⅰ 辞典にあまり登録されていない動詞・形容詞の用例
  Ⅱ いくとおりにも読みうる動詞・形容詞の用例
  Ⅲ 自動詞か他動詞か決めにくい語の用例
     1 辞典によってゆれているものの表
     2 自・他の決定に参考となる用例
  Ⅳ 語末からの逆びきによる動詞・形容詞一覧

というもので、こういうことの好きな人にとっては何ともたまらない本です。(全272頁)

 

で、そのⅢの1が12種の辞典を調べ、一覧表にしたものです。例えば、

       言 大 辞 明 広  三  角 新 岩 講 三  広
       海 日 苑 解 辞  省  川 選 波 談 省  辞
         本     苑一 堂小       社 堂中 苑二

  あがる  両 両 両 両 自  自  自 自 自 両 両  自
  言いよる 自 他 自 自 自  自  自 自 他 他 自  自 

このような調子で(「両」は自他両用)24ページ、1ページ約35語、約840語の動詞が比較されています。(漢語サ変動詞の割合が高いです。)

並んでいる辞書がすごいですね。

  大槻文彦言海』(1889・明治22年~1991・明治24年
  松井簡治大日本国語辞典』(1915・大正4年~1919・大正8年)
  新村出 『辞苑』(1935・昭和10年
  金田一京助『明解国語辞典(改訂版)』(1952年)[見坊豪紀]  (以下元号省略)
  新村出 『広辞苑(第1版)』(1955年)
  金田一京助三省堂国語辞典』(1960年)[見坊豪紀]
  武田・久松『角川国語辞典(改訂版)』(1961年)
  金田一・佐伯・大石『新選国語辞典』(1963年)
  西尾・岩淵『岩波国語辞典』(1963年)
  久松・林・阪倉『講談社国語辞典』(1966年)
  三省堂編修所『三省堂新国語中辞典』(1967年)
  新村出 『広辞苑(第2版)』(1969年)

言海・大日本・辞苑ですよ。広辞苑は初版と2版。
三国・新選・岩波は初版です。新明解はまだ出ていないので明解の改訂版。金田一京助は名ばかり編者なので、見坊の名を添えておきました。それを言えば新村も、となるのですがそれはいいことにして。

その前書きが面白いので引用します。(p.162-3)

 

   比較は、まず岩波・新選等数種の小辞典についてだけ行ない、これらのあい
  だに食いちがいがみられる語にかぎって、ほかの辞典もしらべることにした。
  したがって、最初から厳密にこれらすべてを比較すれば、まだ自他の注記が一
  致しない動詞があるだろうと思われる。
   自他の不一致がこのようにおこる理由は、いくつか考えられる。
   第1に、単純な誤記・誤植である。これは、版をかさねた辞典にも、意外に
  多くみられるのであって、この表で、ある一つの辞典だけが他と逆の注記をし
  ているばあいには、その可能性がたかい。
   第2に、用法に対する編者のけっぺきさである。ある動詞が主として自動詞
  としてつかわれるが、他動詞的な例もないことはない、というときに、ある編
  者は後者の例を意識的に無視して「自」とし、別の編者は基準をゆるくとって
  「自他」とするであろう。
   第3に、自動詞・他動詞というものをどう規定するかということである。
  「かみつく」という動詞はその「かみつかれる」という受け身形が「なぐられ
  る」と同じようなもので、このような受け身のあることが他動詞の特徴として
  大事である、と考えれば他動詞にはいる。しかし、目的語として「~を」では
  なく「~に」の形をとる点を重視すれば自動詞にいれてもよいであろう。

 

まったく、いろいろうなずけることが書いてあります。

今回、「国語辞典の自動詞・他動詞」として比較一覧表を作ってみようと思った時、この宮島の仕事が頭にありました。ちょうど50年後に、本物の研究者の仕事をまねたことをしてみるのもいいかな、と。私のコメントはともかく、資料として役に立つだろう、とも。

動詞を探すのに、宮島の表を大いに参考にさせてもらいました。そうでなければ「畳みかける」なんて語の自他が揺れているなんて気づきません。

宮島のあとで、同じようなことをした人がいるかどうかは知りません。ご存じの方がありましたら、教えて頂けるとうれしいです。