国語辞典の自他表示を調査し、その違いを一覧表にするという作業を、50年前にやった人がいます。
宮島達夫(1931-2015)です。
宮島は1972年に『動詞の意味用法の記述的研究』というスゴイ本を出しました。動詞研究の基本書です。(この時、宮島は40歳と少し。なんとまあ。)
その副産物として『動詞・形容詞問題語用例集』(1971年、西尾寅弥と共著)という変わった題名の本を出しています。その目次を紹介すると、
Ⅰ 辞典にあまり登録されていない動詞・形容詞の用例
Ⅱ いくとおりにも読みうる動詞・形容詞の用例
Ⅲ 自動詞か他動詞か決めにくい語の用例
1 辞典によってゆれているものの表
2 自・他の決定に参考となる用例
Ⅳ 語末からの逆びきによる動詞・形容詞一覧
というもので、こういうことの好きな人にとっては何ともたまらない本です。(全272頁)
で、そのⅢの1が12種の辞典を調べ、一覧表にしたものです。例えば、
言 大 辞 明 広 三 角 新 岩 講 三 広
海 日 苑 解 辞 省 川 選 波 談 省 辞
本 苑一 堂小 社 堂中 苑二
あがる 両 両 両 両 自 自 自 自 自 両 両 自
言いよる 自 他 自 自 自 自 自 自 他 他 自 自
このような調子で(「両」は自他両用)24ページ、1ページ約35語、約840語の動詞が比較されています。(漢語サ変動詞の割合が高いです。)
並んでいる辞書がすごいですね。
大槻文彦『言海』(1889・明治22年~1991・明治24年)
松井簡治『大日本国語辞典』(1915・大正4年~1919・大正8年)
新村出 『辞苑』(1935・昭和10年)
金田一京助『明解国語辞典(改訂版)』(1952年)[見坊豪紀] (以下元号省略)
新村出 『広辞苑(第1版)』(1955年)
金田一京助『三省堂国語辞典』(1960年)[見坊豪紀]
武田・久松『角川国語辞典(改訂版)』(1961年)
金田一・佐伯・大石『新選国語辞典』(1963年)
西尾・岩淵『岩波国語辞典』(1963年)
久松・林・阪倉『講談社国語辞典』(1966年)
三省堂編修所『三省堂新国語中辞典』(1967年)
新村出 『広辞苑(第2版)』(1969年)
言海・大日本・辞苑ですよ。広辞苑は初版と2版。
三国・新選・岩波は初版です。新明解はまだ出ていないので明解の改訂版。金田一京助は名ばかり編者なので、見坊の名を添えておきました。それを言えば新村も、となるのですがそれはいいことにして。
その前書きが面白いので引用します。(p.162-3)
比較は、まず岩波・新選等数種の小辞典についてだけ行ない、これらのあい
だに食いちがいがみられる語にかぎって、ほかの辞典もしらべることにした。
したがって、最初から厳密にこれらすべてを比較すれば、まだ自他の注記が一
致しない動詞があるだろうと思われる。
自他の不一致がこのようにおこる理由は、いくつか考えられる。
第1に、単純な誤記・誤植である。これは、版をかさねた辞典にも、意外に
多くみられるのであって、この表で、ある一つの辞典だけが他と逆の注記をし
ているばあいには、その可能性がたかい。
第2に、用法に対する編者のけっぺきさである。ある動詞が主として自動詞
としてつかわれるが、他動詞的な例もないことはない、というときに、ある編
者は後者の例を意識的に無視して「自」とし、別の編者は基準をゆるくとって
「自他」とするであろう。
第3に、自動詞・他動詞というものをどう規定するかということである。
「かみつく」という動詞はその「かみつかれる」という受け身形が「なぐられ
る」と同じようなもので、このような受け身のあることが他動詞の特徴として
大事である、と考えれば他動詞にはいる。しかし、目的語として「~を」では
なく「~に」の形をとる点を重視すれば自動詞にいれてもよいであろう。
まったく、いろいろうなずけることが書いてあります。
今回、「国語辞典の自動詞・他動詞」として比較一覧表を作ってみようと思った時、この宮島の仕事が頭にありました。ちょうど50年後に、本物の研究者の仕事をまねたことをしてみるのもいいかな、と。私のコメントはともかく、資料として役に立つだろう、とも。
動詞を探すのに、宮島の表を大いに参考にさせてもらいました。そうでなければ「畳みかける」なんて語の自他が揺れているなんて気づきません。
宮島のあとで、同じようなことをした人がいるかどうかは知りません。ご存じの方がありましたら、教えて頂けるとうれしいです。