人体・肉体
新明解の「人体」はちょっと問題があります。
人体 人間のからだ。「喫煙が━に及ぼす影響」 明鏡
生きている人のからだ。「-実験」 新明解
「人体」は「生きている人のからだ」ですか?
「人体実験」はそうかもしれないけれど、では、「人体解剖」は?
解剖 -する (他サ)〔「剖」は開き分ける意〕病原・死因を探ったり 部分の構造・
作用などを調べたり するために、(死んだ)生物のからだを切り開く
こと。「-学」 新明解
「生きている人」だったら、それは「生体解剖」と言うのでは?
ただ「人の体」というだけでは足りないと思ったのでしょうか。
では、「人体」はたんに「人の体」ではないのだ、というような使い方はあるでしょうか。
「人体」という語について私がちょっと思いついたことは、「私/彼 の人体」「この人体」とはふつう言わないだろう、ということです。「人体」というのは、個別の体でなく、一般的に「人の体」について言う場合のことばのようです。(「私/彼 の肉体」は言えます。)
学研現代新は次のように書いています。
人体 〔生理学的な立場から見た〕人間の体。「-の解剖」「-模型」[類語]身体。
学研現代新
なるほど。このあたりが、たんなる「人の体」との違いでしょうか。
人体 「生理・物理・化学的な反応をする物」として見たときの、人のからだ。
「この薬品に含まれる成分は、~に悪影響を及ぼすことが報告されている」
▽~実験・~解剖 講談社類語
ただ、「人体デッサン」という場合は、「~的な反応をする」わけではないでしょうから、もう少しゆるやかな限定のほうがいいように思います。
「人体デッサン」では、人の、一般的、物理的な「形」の問題です。
「客観的・科学的にとらえられる、様々な性質・特徴を持ったものとしての人の体」でしょうか。
なお、私が見た中では、例解新国語辞典第九版も新明解と同じ説明です。(第十版はどうでしょうか?)
人体 生きている人間のからだ。[用例]人体に影響がある農薬。 例解新第九版
一方、明鏡は「肉体」について「生きている」ということばを使っています。
肉体 生きている人間の体。なまみの体。「堂々たる━」 明鏡
「肉体」も生きている場合だけでしょうか。また、人間にしか言えないのか。
肉体 人間の体。生身(なまみ)の体。「―美」「―労働」▽精神・霊魂に対して
言う。 岩波
〔精神活動にかかわる面を除いた〕人のからだの動物的側面を強調して言う
語。「-美」 新明解
「人が死ぬと、魂はその肉体を離れ~」という風に言われますから、死んですぐはまだ「肉体」であるのでしょうね。
と言うか、死んでしまったら「肉体」あるいは「体」もその形を長く保てないでしょうから、同じことなんじゃないでしょうか。「からだ」というのも、そもそも「生きている」時のものなのでは?
「肉体」も「体」も、「心」あるいは「魂」と対立するもので、死によって消え去るものです。「心」あるいは「魂」が死後どうなるかは別として。
つまり、あえて「[生きている]人間の体]という必要はないんじゃないかと思います。
死んでしまった後の「体」は、「死体」または「遺体」と言われるわけですが、では、生きているときは「肉体」で、死んだら「死体」なのか、と言うと、そういう使いわけではないような気がします。(「生きている体」は「生体」ですね。)
それと、頻度は少ないですが、「動物の肉体」「生物の肉体」という言い方が書きことばコーパスで見られます。こちらは、「精神」との対比はないので、どうして「体」でなく「肉体」ということばを使うのか、別の説明が必要です。
はあ。とにかく、ことばは難しい。