ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

広辞苑の名詞:外来語

:前回までは広辞苑の「形容動詞」の扱いを見てきました。広辞苑はいわゆる「形容動詞」を認めず、それらを名詞とします。「形容性の名詞」です。

では、それ以外にはどんな名詞があるのか。広辞苑の「名詞」は、他の一般の国語辞典に比べて、範囲が広いようです。

 

広辞苑第五版の「日本文法概説」の「名詞」には、名詞とされるいろいろな語についての説明がありましたが、その部分は第七版では削られてしまいました。(第五版・第七版の「文法概説」の筆者が誰なのかはわかりません。大いに知りたいところですが。)

それらの一つ、外来語の問題を。

 

   本書の見出しには多数の外来語を取り入れたが、名詞として扱った。それらの
  単語は、原語における品詞が何であれ、日本語としては文法的にはすべて名詞と
  同等に使われるからである。例えば、「ヒット」「ゴチック」「ロマネスク」「アベ
  ック」など。    広辞苑第五版 p.2889

 

「(外来語は)文法的にはすべて名詞と同等に使われる」とはっきり言い切っていますが、それは充分な根拠に基づくものなのでしょうか。

確かに、動詞の類は動作名詞として「~する」をつければいいので、名詞として扱えます。「カットする・ストップする・ヒットする」など。これは、原語が動詞でないものもあります。「アップする・ダウンする」など。

(「ストップする」を一語の動詞と見るか、「名詞+動詞」と考えるかは説によります。「ストップ」や「アップ」を名詞として扱うことは不当なことではないでしょう。)

 

「キュート・クリーン・シンプル・モダン」など、英語で形容詞である多くの語を日本語で「形容動詞」として取り入れるのは、外来語の品詞の取り入れ方としてなかなかうまいやり方だと思うのですが、広辞苑はそれらを名詞とします。

形容動詞を「名詞と同等に扱う」と「文法概説」で宣言したため、「文法的にはすべて名詞と同等に使われる」ことになっただけの話です。これは、いわば「そう決めたから、そうなった」のです。

 

しかし、外来語にはこれら以外の品詞のものもあり、それらを名詞とするには無理があります。「文法概説」の執筆者はそれらの語に気がつかなかったのでしょうか。

辞書本文の初めのページに「アー」で始まる外来語が並んでいます。

その中の「アーメン」。キリスト教の祈りのことばですが、これは名詞でしょうか。

また、「イ」を見ていくと「イエス」があります。キリスト教のイエス(人名)ではなく、「イエスかノーか」の「イエス」です。

 

  イエス 肯定・同意・承諾を表す語。はい。そうです。然り。「-とノーをはっきり
      させる」  

  ノー 否定・拒否を表す語。いや。いいえ。否。「-がなかなか言えない」 広辞苑

 

品詞の記号がないということは、名詞と考えているということです。日本語の「はい」「いいえ」は広辞苑でも感動詞です。

 

  感動詞 品詞の一つ。感動や応答・呼掛けを表す語。(略)「ああ」(感動)、
     「はい」「いいえ」「おい」(応答・呼掛け)の類。感嘆詞、間投詞、
     嘆詞。    広辞苑

 

「イエス」と「ノー」の用例は名詞としての用法をうまくとらえていますが、名詞と言えない使い方があることは言うまでもありません。「彼ははっきり「ノー」と言った」の「ノー」は名詞ではありません。

同じ出版社が出している「岩波国語辞典」は「アーメン」「イエス」「ノー」のどれも感動詞としています。

 

「オーケー」「オーライ」はどうでしょうか。

 

  オーケー 感動詞として、「合点だ」「よろしい」などの意。また、承知すること。
    「-を出す」「しぶしぶ-する」

  オーライ(感動詞として)「よろしい」「承知した」の意。オーケー。「バック、-」
                             広辞苑

 

「オーケー」の「承知すること」は名詞の用法です。用例はその例になっています。

しかし、「オーライ」の例のように「感動詞として」使われた場合は、「感動詞」なのでは?

品詞表示がないのは、名詞と見なしていることになりますが、それでいいのでしょうか。

 

日常の「あいさつ語」の類はどう考えるのでしょうか。

 

  バイバイ (親しい間での挨拶語)さよなら。  

  ハロー (呼びかけや挨拶の語)もしもし。やあ。こんにちは。

  グッドモーニング (午前の挨拶語)おはよう。    

  サンキュー (「あなたに謝する」の意)ありがとう。    広辞苑
   
みな名詞扱いのようです。(「ハロー」や「グッドモーニング」は「日本語として」言うのかどうか疑問に思いますが…。)

 

これらに対応する日本語の表現を見てみたら、そもそも広辞苑の「感動詞」の範囲がわからなくなりました。

 

  さよなら(感)「さようなら」に同じ。 

  おはよう(感)朝の挨拶のことば。「-ございます」    広辞苑 

 

これらは他の辞書と同じように「感動詞」としているのですが、 

 

  こんにちは (「今日は…」と言う挨拶語の下略)昼間の訪問または対面の時に
    言う挨拶語。 

  こんばんは (「今晩は…」と言う挨拶語の下略)夜間の訪問または対面の時に
    言う挨拶語。 

  ありがとう(アリガタクの音便。下の「ございます」「存じます」の略された形)
    感謝の意をあらわす挨拶語。             広辞苑

 

「こんにちは・こんばんは」と「ありがとう」には(感)がありませんでした。つまり、名詞と見なしているのでしょうか。「おはよう」は感動詞だが「こんにちは」はそうでない?

「こんにちは・こんばんは」は「今日・今晩+は」だから、「連語」で、「語」ではないから品詞は考えなくていい、というようなことでしょうか。

岩波国語辞典も「こんにちは・こんばんは」は「連語」としています。

でも、「ありがとう」はどうなのか。「挨拶語」というのはつまり「語」ではないのか…。

「あいさつ語」の類は、ふつうの「語」とは違うのだから、そもそも「品詞」は考えなくてよい、というのは一つの考え方だと思います。しかし、ある「挨拶語」は名詞で、別の「挨拶語」は連語だから品詞は考えない、というのはどうもうまくないように思います。

 

さて、広辞苑の「外来語はすべて名詞扱い」というのは適切な処置と言えるでしょうか。