前回の「めった(な)」に関連した話です。
「めったな」という形はいかにも形容動詞風ですが、「×めっただ」という形(終止形)がないことを考えると、形容動詞とは言い難いものです。そこで、「連体詞」とする考え方があるということを前回書きました。
同じような例として知られているのが「大きな・小さな」「おかしな」という三語です。この三語は「連体詞」とされることが多いのですが、形容動詞とする辞書もあるので少し紹介します。(品詞に関するところだけ引用します)
おかしな(連体) 明鏡
おかしな(連体) 新明解
おかしな(連体)[形容動詞とする説もある] 三国 三現新
これらの辞書は「おおきな・ちいさな」も同じ扱いです。
岩波は「おかしな」と「大きな・小さな」の扱いが違います。
おかしい(形) ▽連体形相当の「おかしな」の形もある。
大きな〘連体〙大きい①②。⇔小さな。
小さな〘連体〙小さい。⇔大きな 岩波
「おかしな」は形容詞の「おかしい」の「連体形相当」扱いですが、「大きな・小さな」は(「大きい・小さい」とは別の)連体詞とします。
広辞苑も「大きな・小さな」は連体詞とします。
「おかしな」という独立した項目はなく、びっくりしたのですが、
おかし(形容詞語幹)
という項目があり、その子見出しとして「おかしな(連体)」がありました。つまりは明鏡/新明解などと同じです。
旺文社と新選は、もう少し詳しい注釈をつけます。同じ事実に基づいて、違う判断をするところが面白いです。これらの語を、旺文社は「連体詞」、新選は「形容動詞」とするのですが、
おかしな(連体) [参考]「態度のおかしな人」のように、上の言葉を受ける
はたらきのあるところから、連体形だけが使われる形容動詞とする説もある。
おおきな(連体) [参考]「体の大きな子」のように、上の言葉を受けるはたらき
のあるところから、連体形だけが使われる形容動詞とする説もある。
旺文社
おかしな(形動) [参考]連体形だけが使われる。連体詞とする説もあるが、
「服装のおかしな人」のように、上にくることばを受けるはたらきのある
ところが、ふつうの連体詞とちがう。
おおきな(形動) [参考]連体形だけが使われる。連体詞とする説もあるが、
「頭の大きな人」のように、上にくることばを受けるはたらきのある
ところが、ふつうの連体詞とちがう。 新選
同じことを反対側から述べています。
ただ、この「上の/上に来る 言葉」だけでは説明が足りないように思います。
この「の」は、「が」でも言える、いわば主格を表す「の」です。(「態度/服装 がおかしな人」「体/頭 が大きな 子/人」)
そう考えると、新選が言うように「ふつうの連体詞とちがう」のは確かです。しかし、「連体形だけが使われる形容動詞」というのは、どうでしょうか。あるいは、岩波の「おかしい」の項の「連体形相当の「おかしな」の形もある」という説明も、なんだか。
明鏡は、「大きな」の用例には「が」、「小さな」の用例には「の」を使っています。これは不統一なのか、意識的に変えたのか。「おかしな」にはこの注記はありません。
大きな(連体)[使い方](1)「体[肝っ玉]が-人」のような、形容動詞の名残を
とどめた述語用法もある。
小さな(連体)[使い方](1)「背[気]の-人」のような、形容動詞の名残をとど
めた述語用法もある。 明鏡
「形容動詞の名残をとどめた述語用法」ですか。連体詞だけど、述語用法がある。
ふーむ。
大辞林は新選と同じく形容動詞説です。
大きな(形動)〔「大きな」を連体詞とする説もあるが、この語は「耳の大きな
人」などのように、述語としてのはたらきをもっている点が、一般の連体詞
とは異なっている〕
小さな(形動)〔「大きな」を連体詞とする説もあるが、この語は「手の小さな
人」などのように、述語としてのはたらきをもっている点が、一般の連体詞
とは異なっている〕
おかしな(形動)〔「おかしな」を〕連体詞とする説もあるが、この語は「大き
な」「小さな」と同様、述語としての働きを持つことが、一般の連体詞とは
異なっている〕 大辞林
この辺りの問題は、どちらが「正しい」かというより、その辞書の編集者の考え方の違い、と言っていいのでしょう。
結論はともかく、言語事実に基づいたいろいろと細かい記述を見つけると、国語辞典が少しずつ進歩しているようでうれしく思います。
(それにしても、三省堂の辞書は、現代語の小型辞書三冊は連体詞とし、中型辞書である大辞林が形容動詞とする、というのはどうなんでしょうか。辞書編集部の人たちはどう思っているのか。語釈が多少違うのは辞書の個性ですが、品詞判定が違うのはちょっと。岩波書店の広辞苑と岩波国語辞典も違っているわけですが。)