ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

北東・東北:岩波国語辞典の項目選択

6年前に、岩波七版について「2015-09-27岩波:北東」という記事を書きました。

 

  岩波国語辞典についての話です。
  「北東」が項目としてありません。「東北」も。
  方角はいらないという判断です。そうかなあ。
  驚いたのは、「南北」もないこと。「南北問題」も「東西南北」もこの辞書ではわからない。
  「東西」はあります。この辺の判断の根拠やいかに。
  「東西東西」「東西屋」という複合語が追い込み項目としてあります。これらを書きたかったからでしょうか。
  それより、「南北」や「北東」のほうが基本的で、重要な言葉だと思うのですが。(以下略)

 

この問題をもう一度考えてみます。

まず、国語辞典に収録する「語」の範囲についての考え方を、岩波の「語構成概説」から引用します。ちょっと長いですが。

 

  どれほど詳しい辞典でも、その対象とする言語に現れる語をすべて見出しに立てているものはない。いわゆる新語を別問題にするとしても、言語表現に託する概念の数は無限に多いと言ってよい。その一つ一つにまったく別の語を使うのでは記憶力の限界を越えてしまう。例えば、ここで使った「言語表現」「記憶力」という語は、この辞典の見出しに立てていない。それでも、「言語」と「表現」と、そして「記憶」と「力」との意味を知っていれば、それらの意味は推し測れるであろう。こうしてわれわれは、限りある基本的な語をもとにして、はるかに多様な語を構成している。中には、その場の必要で臨時に作りそのまま使い捨てにする語まである。だから辞書がすべての語を取り上げることはできず、またそうする必要もない。
  この辞典もこうした事情を考え、要素的な語によって割合たやすく分かるような語はかなり省いてある。したがって辞典を十分に利用するには、語構成の大要を心得ている方がいい。例えば「出演料」も「借用料」も動詞的意味の漢語名詞が「料」と結合しているが、前者が「出演者に払う料金」なのに後者は「借用者が払う料金」である。また、「管理人」が「管理する人」であっても、「使用人」は「使われる人」であり、「使用者」は「使う側の人」である。
  このように形式上同じ構成と見えながら意味的特徴の異なるものが多いから、その点に注意して語構成の概略を述べよう。  岩波八版「語構成概説」p.1696(前の版も同じ)

 

昔、ここを読んで、なるほどなあ、と思ったのですが、では、実際に岩波がどのような語を「要素的な語によって割合たやすく分かるような語」と見なし、「かなり省いてある」のかは考えませんでした。

6年前に問題にした語を例にして考えてみます。

 

まず、「北東」から。

岩波初版の「はじめに」は次のように述べています。

 

  この辞書は、現代の、話し、聞き、読み、書く上で必要な語を収め、それらの意味・用法を明らかにしようとした。携帯用であるため、採録の総語数は五万七千余に過ぎないが、どういう語を採録するかについては、厳密な検討を加えたので、現代人の生活に必要なものはほとんど収めてあるはずである。ただし、固有名詞は除いた。(以下略)     岩波初版「はじめに」から(引用は七版から)

 

「北東」が、ここで言う「現代人の生活に必要なもの」でないとは、とうてい言えないでしょう。(web検索でも、「書きことばコーパス」でもかなりの数があります。)

ではどうして項目として立てられていないのか。

おそらく、上の「語構成概説」の「要素的な語によって割合たやすく分かるような語」だと考えたからでしょう。

しかし、そうでしょうか。

「北」と「東」から、「北東」の意味がわかるものでしょうか。
「南北」は「南と北」ですが、「北東」は? 
「北と東」ではありませんし、「北の東」でもありません。

 

  【北東】〔風向などで〕北と東との中間にあたる方角。  新明解

 

どう考えても国語辞典の項目とすべき語だと思うのですが。

「東北」も岩波にはありません。「東北地方」の略語としてとらないのは、固有名詞だからでしょう。

それはまだわかるとしても、方角を表す言葉として「東北」は要るのではないでしょうか。

そして、「北東」と「東北」という二つの語の違いについても、国語辞典として何か述べておく必要があると思います。(違いがないなら、「同じ」と言えばいいのです。)

 

  【東北】1 東と北との中間にあたる方角。〔風向などでは、北東〕ひがしきた。
      2「東北地方」の略。「-大学」 
      3 中国の東北部の地方。もとの、満州。  新明解

 

新明解は、中国のことまで書いています。

「北東」との違いについては「〔風向などでは、北東〕」としています。古くからある地名などでは「東北」なのですね。South-East Asiaは「東南アジア」ですし。東西が南北より前に来ます。

ところが、反対の方角の場合は「西南戦争」と「南西諸島」というのがあって、どう考えればいいのか面倒なようです。(net上では色々な議論がなされています。新明解は〔風向などでは、南西〕としています。)

とりあえず、国語辞典としては「東北:北東」「西南:南西」など、二つの言い方があるのだということだけは示しておくべきでしょう。岩波のように、どちらも載せないのはよろしくないでしょう。「現代人の生活に必要な」語ですから。

 

「東北地方」という地方名についても一言。

岩波は「固有名詞は除いた」(上記引用「はじめに」から)ので、「東北」以外でも、「北海道・中国・四国・九州」などはありません。

しかし、関東と関西はあります。

 

  かんとう【関東】東京およびその近県一帯の地域。⇔関西。「―武士」▽関の東の地の意。
  かんさい【関西】京都・大阪およびその近県一帯の地域。⇔関東。「―弁」▽関の西の地の意。  岩波

 

これは、「関東地方」「関西地方」という現在の地方名の省略ではなく、漠然とその「一帯の地域」を示すと考えればいいのでしょう。

そう思って納得したのですが、さらにあれこれ見ていくと、なぜか「東海(地方)」がありました。

 

  とうかい【東海】①東の方の海。「―の君子国」(日本のこと)
   ②中部地方の太平洋岸。普通、静岡県・愛知県・三重県岐阜県の一部を指す。東海地方。  岩波

 

この②は「東海地方」の省略ですね。つまり、固有名詞。

中部地方の太平洋岸」とあるので、「中部」を引いてみました。

 

  ちゅうぶ【中部】(特に地理的位置が)中央の部分。「―地方」  岩波

 

この用例の「中部地方」は、固有名詞としての「中部地方」(「東海」の語釈での使い方と同じ)なのか、それとも一般的な言い方として、例えば「沖縄県中部地方」のような言い方のつもりなのか。(この語釈からはそちらの意味にとれそうです。)

用例としてあまりいい例とは言えないような。

 

我ながら、ずいぶん細かいことをごちゃごちゃと書いているとは思います。

私の問題意識は、この程度の「固有名詞」は国語辞典にあったほうがいいと思うんだけどなあ、というところにあります。

例えば、「中国」ということばが、国としての中華人民共和国の略称と、「中国地方」の略称でもあるという曖昧さがあることは、国語辞典として示しておくべきことだと考えるのです。(岩波に「中国」という項目はありません。)

 

しかし、いったん固有名詞を入れ始めると、では「東京」は国語辞典に載せないのか、「イギリス」は、という議論になります。どこまで入れるべきか、筋の通った論は立てにくいでしょう。(これらの語を載せている小型国語辞典は?)

 

岩波の漢字項目「東」(とう)には、

 

  ②「東京」の略。「東大・東名」  岩波

 

という説明があります。
では、「東名」の「名」とは、と漢字項目「名」(めい)を見ても、「名古屋」の略であることは書いてありません。これも、どこまで書くべきか、です。

岩波は「固有名詞は除いた」とし、方針としてはすっきりしていますが、前回の記事の「文科相」があって「文科省」がないということ、なぜか「警視庁」があること、今回の地方名のことなど、問題があるように思います。

他の辞書は、それぞれの判断で、ある程度の固有名詞を入れているようです。上の日本の地方名や、外国名など。(新明解は付録に「世界の国名一覧」というものがあります。)

 

結局、その辞書を使う人がどのような語があることを期待しているか、を編集者がどう推測しているか、にかかっているのでしょう。

一般の使用者は、どういう評価をしているのでしょうか。

 

国語辞典と省の略称(2):岩波など

前回の続きですが、他の国語辞典を見る前に、問題を基本的なところから述べておきます。

まず、そもそも国語辞典が中央官庁名を項目としてたてるべきかどうかということから。

これは、一般的に国語辞典がいわゆる百科項目をどこまで載せるべきかという問題の一つです。国語辞典が百科項目をとりあげだすと、項目数が際限なく増えてしまいます。では、どうするか。社会常識として最低限のことはあったほうがいいでしょうが、「最低限」をどうやって決めるか。

小型国語辞典では、人名・国名・地名・歴史事項などは基本的に除外されることが多いようです。学習用を意識している辞典はこれらもとりあげることがあります。(以前、三省堂現代新国語辞典について「2019-12-14 固有名詞」という記事を書いたことがあります。)

いくつかの国語辞典でこれらのことを見ていくといろいろと興味深い違いが出てくるとは思うのですが、あまり話を広げても雑然としてしまいますから、現在問題にしている中央官庁名に話を絞ります。

 

普通の(?)短い名前の省庁、例えば「環境省」の場合は、それを項目として立てるかどうかがまず問題になります。国語辞典の編集者が、固有名詞をどう扱うか、固有名詞の中でも省庁名という日常生活の中でよく耳にするであろうことばの扱いをどう考えるか、という問題です。

その辞典の使用者が何を知りたいと考えるのか、それに対してどうこたえるのか、です。

環境省」のような省名は、私の見た限りではほとんどの辞書で項目とされています。

 

もう一つは、「かんきょうしょう」という音が持つもう一つの用法、「環境大臣」の通称としての「環境相」という語を項目にするかどうかです。

いくつかの国語辞典は省名だけを項目として載せ、「相」のほうは載せません。

 

前回の記事でとりあげたのは、長い名前の5つの省の短縮した言い方で、「-しょう」が「省」と「相」つまり大臣を表すことが両方とも書かれているだろうか、という話です。

「かんきょうしょう」の場合は、その音を耳にした時、「かんきょう+しょう」と分けられ、「省」の名前だということが文脈からわかれば、「環境」に関わる省だとわかりますし、「省」だとわからなくとも、「環境+しょう」と考えることは十分可能です。

また、「しょう」が大臣を表すことを思いだせば、「環境相」である可能性も考慮に入れることができます。

しかし、「けいさんしょう」と聞いて、「経産省」とすぐ浮かぶ人は少ないでしょうし、「けいさん+しょう」と分析してみても、「計算+しょう」(?)では何だかわかりません。(「けいざいさんぎょうしょう」なら、「経済+産業+しょう」だとわかります。)

「こうろうしょう」の場合は、「功労賞」が頭に浮かんでしまったら、文脈とぜんぜん合わないでしょう。

もともと、「経産」あるいは「厚労」ということばがないので、頭の中に「こうろうしょう」という音が全体として「厚労省」あるいは「厚労相」として登録されていないと、解釈ができないわけです。

ですから、国語辞典としては「厚生労働省」を項目として立てるならば、「厚労省厚労相)」も項目としたほうがいいのじゃないか、と思って調べてみました。

 

前回は、三国と明鏡、新明解を見たので、次は岩波です。

 

 岩波国語辞典第八版

  けいさんしょう 経産相 経済産業大臣の略称。
  こうろうしょう 厚労相 厚生労働大臣の略称。
  のうすいしょう 農水相 農林水産大臣の略称。
  もんかしょう  文科相 文部科学大臣の略称。

 

岩波は独特です。他の国語辞典は省名を項目とすることが多いのですが、岩波はそうせず、「相」つまり大臣のほうだけを項目とします。

経産省」「厚労省」「農水省」「文科省」という省名は項目としてありません。その省略していない形、「経済産業省」などもありません。(他の辞書にはあります。)
それらがない理由は、おそらく、固有名詞だから、ということでしょう。岩波は、固有名詞は基本的に載せていません。

 

しかし、テレビやラジオ、あるいは周りの人の話し声が聞こえた中で、「もんかしょう」ということばがわからず、辞書を引いてみて(まあ、こういう場合に紙の辞書を引いて調べる人は非常にまれなのかもしれませんが)、「文科相」しか出ていなかったら、おや?と思うのではないでしょうか。

文科相」を項目とするなら、「文科省」も載せるべきでしょう。せめて、「文科相」の説明の中で「文科省」に触れるとか。

 

前回の記事で問題にした「-しょう」ということばは、上の4つだけではありません。もう一つありました。「こっこうしょう」です。

岩波には「国交相」という項目はありません。その理由は、上の4省とは違って、「国交」ということばがあり、項目になっているからです。「国交」の項の、別の用法の用例として「国交省」「国交相」が出てきます。

 

  こっこう【国交】①国家間の交際。「―断絶」②省としての「国土交通」の略。「―省」「―相」  岩波第八版

 

すでに述べたように、「経産相」などは、「経産」ということばがないので、その複合語として用例で出すこともできないわけです。(「文科」という項目はありますが、「もんか」でなく「ぶんか」です!)

国交相」が項目にならないように、「外務相」や「防衛相」などは項目になっていません。
それらは「外務」+「相」でわかるだろう、と考えているのでしょう。(「外務」の項の用例に「-省」がありますが、「防衛」の項には「-省」はありませんでした。)

この辺は、理屈が通っているというか、なんというか、なるほどなあ、と思います。

岩波は、独自の方針を決めて、いかにもその通りにやっている、という感じです。

ただ、例えば「文部科学省」もなく、「文科省」もなく、「文科相」だけが項目になっている、というのは、結局どうにも不自然な形になっていると言わざるを得ません。
使用者にすれば、「文科省」は固有名詞で(だから国語辞典の項目としない)、「文科相」はそうでない(だから項目とする)というようなことは意識されません。

 

さて、岩波は固有名詞を(基本的に)載せない、と上に書きましたが、例外は何事にもあります。

省庁名では、なぜか「警察庁」と「警視庁」がありました。他にもあるかもしれません。(「国税庁」「気象庁」「宮内庁」などはありませんでした。)

 

  けいさつちょう【警察庁】警察行政の中央機関。▽一九五四年に始まる。
  けいしちょう【警視庁】東京都の警察の本部。            岩波

 

明らかに固有名詞ですよね。なぜ警察関係は別なのか、まったくわかりません。
これは、意図的なものでなく、つい入れてしまったのでしょうか。

 

他の辞典にも簡単に触れておきます。

三省堂現代新国語辞典は、三国に近く、4つの省・相はきちんと書いているのですが、なぜか「農水省農水相」だけがありません。編集者の見落としでしょうか。

新選は「省」は一通りあり、なぜか「農水相」だけ大臣もあります。

現代例解は「省」のみで、「相」はなし。新明解と同じ考え方ですね。

集英社は「けいさんしょう・こうろうしょう・こっこうしょう」は項目がありません。「もんかしょう」は「文科省文科相」共にあり、「のうすいしょう」は「農水省」だけでした。前回とりあげた明鏡に似たような不統一さでした。

旺文社は、なぜか「農水省農水相」だけあり、他は「省」も「相」もなし。

デイリーコンサイスという小さな辞典を見てみたら、「農水相」以外はすべてあり、三国に次いできちんと書いてありました。

 

編集者の考え方がきちんとあって、そのようにしているという点では、三国・新明解・現代例解がいいですね。デイリーコンサイスと三省堂現代新がそれに続き、岩波は、ちょっと変だけれども、一応そうだと言えます。

 

追記 21.11.16

岩波の省庁で「検察庁」がありました。

警察庁・警視庁・検察庁」ですか。なんかかたよってますねえ。

新明解だと、「海上保安庁科学技術庁・(旧)環境庁気象庁金融庁宮内庁経済企画庁」などなど、たくさんあります。というか、実際にあるものは全部載せているのでしょう。

岩波はなぜ上の三つだけを載せたのか。編集者の好み?

 

国語辞典と省の略称

形容動詞周辺の品詞の話はまだ続けたいと思っていますが、気分転換に違う話を。

以前、「もんかしょう・こっこうしょう」の話を書いたことがあります。(「2015-05-10  もんかしょう」「2015-05-16  他の省庁」)

これらの「-しょう」は、「省」つまり役所も、「相」つまり大臣も指すはずだけれど、国語辞典はそれらを両方書いているだろうか、という疑問が始まりでした。結果は、

 

  もんかしょう 文科省      明鏡・新明解・現代例解
         文科相      岩波
              文科省文科相  三国

 

でした。他に「こっこうしょう・のうすいしょう」も調べてみましたが、三国の独走でした。

 

この2015年の記事を書いたときは、三国以外の国語辞典はみな一つ前の版でした。その後、それぞれ改訂されたので、新しい版を見てみたいと思います。

長い名前の省で、短縮した言い方がある五つの省を調べます。

まず三国の模範的な記述から。(〔文〕は「文章語」の略語です。品詞表示などは略。)

 

  けいさんしょう 経産省 ←経済産業省
  けいさんしょう 経産相 〔文〕経済産業大臣。経産大臣。

  こうろうしょう 厚労省 ←厚生労働省
  こうろうしょう 厚労相 〔文〕厚生労働大臣。厚労大臣。

  こっこうしょう 国交省 ←国土交通省。こくこうしょう。 
  こっこうしょう 国交相 〔文〕国土交通大臣。国交大臣。こくこうしょう。

  のうすいしょう 農水省 ←農林水産省
  のうすいしょう 農水相 〔文〕農林水産大臣。農水大臣。農相。   

  もんかしょう  文科省 ←文部科学省
  もんかしょう  文科相 〔文〕文部科学大臣。文科(モンカ)大臣。  三国七版

 

「こくこうしょう」という発音まで書いているあたり、さすがです。

次に明鏡。

 

  けいさんしょう  項目なし(「経済産業省」はあります)
  こっこうしょう  項目なし(「国土交通省」はあります)
  のうすいしょう  項目なし(「農林水産省」の項があり、そこに「農水省」とあります)
  こうろうしょう 厚労省 「厚生労働省」の略。
  こうろうしょう 厚労相 厚生労働大臣の通称。
  もんかしょう  文科省 「文部科学省」の略。   明鏡三版

 

不揃いですね。「こうろうしょう」だけ、きちんと書いてあります。文科省は省だけ。編集者が仕事をしていない。これは二版から変わっていません。つまり、改訂の際に見直した形跡はありません。

 

新明解はどうでしょうか。七版から八版への改訂で大きく変わりました。両方並べます。

 

 七版
  けいさんしょう  項目なし  (「経済産業省」の項に「経産省」あり)
  こうろうしょう 厚労相 「厚生労働大臣」の別称。
   (「厚生労働省」の項に「厚労省」あり)
  こっこうしょう 国交相 「国土交通大臣」の別称。
   (「国土交通省」の項に「国交省」あり) 
  のうすいしょう 農水相 「農林水産大臣」の別称。
   (「農水省」は「農林水産省」の項になし)
  もんかしょう 文科省 「文部科学省」の略。   新明解七版

 

七版は不揃いでした。文科省だけが役所名で、他の三つは大臣のほうだけ。「けいさんしょう」はどちらもなし。この時は、編集者はこの不揃いに気付いていませんでした。(気づいていて直さない、ってことはないですよねえ。)

 

 八版  
  けいさんしょう 経産省 「経済産業省」の略。
    (経済産業省の項に〔長官は、経済産業大臣。別称は経産相〕とある)
  こうろうしょう 厚労省 「厚生労働省」の略。
    (厚生労働省の項に〔長官は、厚生労働大臣。別称は厚労相〕とある)
  こっこうしょう 国交省 「国土交通省」の略。 
    (国土交通省の項に〔長官は、国土交通大臣。別称は国交相〕とある)
  のうすいしょう 農水省 「農林水産省」の略称。
    (農林水産省の項に〔長官は、農林水産大臣。別称は農水相〕とある)
  もんかしょう  文科省 「文部科学省」の略。
    (文部科学省の項に〔長官は、文部科学大臣。別称は文科相〕とある)

                           新明解八版

 

編集者が仕事してますねえ。こうでなくっちゃ。しかし、私はやはり三国のほうがいいと思います。

誰かの話し声や、テレビやラジオからの音で「けいさんしょう」と聞いた時、意味に二つの可能性があるからです。新明解のこの書き方では、「経産相」に行きつくのは難しいでしょう。

 

三国が大臣のほうに〔文〕とつけているのは、話しことばではあまり言わないだろうということでしょうが、必ずしもそうだとは言えません。

 

新明解は七版のばらばらの状態を、八版できちんと揃えました。これが「改訂」というものです。明鏡も次の改訂で直してほしいものです。

(新明解で、一か所だけ、揃っていないところがあるのに気づきましたか? 「農水省」だけ、「略」でなくて「略称」となっています。私の打ち間違いではありません。)

 

疲れてきたので、他の辞書はまた次回に。

 

岩波国語辞典の「口語」

岩波国語辞典の「口語」と「文語」について。

 

    こうご【口語】話し言葉。口頭語。⇔文語。   岩波

 

これだと、「文語」は「書きことば」になってしまいます。

 

  ぶんご【文語】①文章だけに用いる特別の言語。平安時代の文法を基礎として発達した。⇔口語。「―文法」②文字で書かれた言語。書き言葉。   岩波

 

「文語」と言えばまずこの①ですね。「古語(古典語)」です。「古語辞典」にあるような。

②の「書き言葉」は、「文語」というより「文章語」だと思いますが、それはともかくとして、反対語として「⇔話し言葉」を書いておいてほしいですね。

 

  はなしことば【話し言葉】日常生活で、口頭でやりとりする時に使う言葉。⇔書き言葉

  かきことば【書き言葉】文章を書く時、使う言葉。⇔話し言葉   岩波

 

話し言葉」と「書き言葉」は1対のセットです。

「口語」と「文語」も対なのですが、それぞれ「話し言葉」、「書き言葉」の意味でも使われるので、混乱が起こりかねません。しかし、辞書編集者がそれをしっかりわかっていないとは。

 

  こう‐ご【口語】1 日常の会話で用いられることば。話しことば。口頭語。
   2 話しことばと、それをもとにした書きことばを合わせた言語体系。現代語の総称。「━体」「━文(=現代の話しことばをもとにして書かれた文)」⇔文語   明鏡

 

岩波の編集者は、明鏡の2の用法をしっかり理解してほしいと思います。  

 

三国は明鏡と少し違います。

 

  口語 1音声で表現することば。話しことば。口頭語。音声言語。2現代のふつうの書きことば。話しことばにかなり近い。「-訳」⇔文語   三国

 

現代の「書きことば」のことを「口語」と言っています。これはどうなんでしょうか。「口語訳聖書」の会話の部分も、「文語」に対する「口語」だと思うのですが。私は明鏡の「~合わせた言語体系」という表現のほうがよいと思います。

 

新明解は、いつもの通り、かなり独特です。

 

  口語 音声で表現される言語のうち、その社会の人が日常の生活でごく一般的に使用するもの。〔話し言葉そのものとは異なる整合性が求められ、同時に文語に対して、独自の文法・語彙(ゴイ)の体系が備わっている〕「-文」⇔文語   新明解

 

ざっと読むと、なんだかわからない説明です。一言一言考えながら読むと、意味のはっきりしない(あいまいな)ところがあります。

とりあえず、「書きことば」のことに直接ふれていないということだけを指摘しておきます。(でも用例に「口語文」とありますね。)

 

さて、岩波に戻ります。

「口語」がおかしいので、その複合語もおかしくなっています。

 

  こうごたい【口語体】話し言葉風の文体。⇔文語体。

  こうごぶん【口語文】口語体の文章。⇔文語文

 

話し言葉風の文体」と「文語体」は、反対語の関係にはないでしょう。「口語文」もおかしいです。法律や裁判の判決文なども「口語文」でしょうが、「話し言葉風の文体の文章」ではありません。

 

  ぶんごたい【文語体】文語①でつづった文章の体。⇔口語体。
  ぶんごぶん【文語文】文語体で書いた文章。和文・和漢混淆文・漢文書き下し文・候文など。⇔口語文

 

こちらは、きちんと書かれています。

 

「口語」と「文語」がきちんと対立してくれないと、辞典巻末付録の「動詞活用表」などで「口語」と「文語」を分けることの根拠が不明確になってしまいます。

まったく、第八版まで「改訂」を繰り返していて、こんな基本的なところで誤りが残ったままというのはどういうことでしょうか。

 

岩波国語辞典と品詞名など

このところ、国語辞典が「形容動詞」をどう扱っているかを見ています。

岩波国語辞典は本文で「形容動詞」をどう説明しているのかと見てみたら、項目がありませんでした。

ちょっと驚いて、「名詞」「動詞」「形容詞」などを見ると、どれもありません。
品詞名はとりあげない方針(?)なのですね。

 

  岩波にない項目
   名詞 動詞 形容詞 形容動詞 副詞 接続詞 連体詞 助詞 助動詞

   感動詞(感嘆詞)

 

どういう理由なのでしょうか。特殊な「専門分野の語」だから? 小中学生が習っている語です。

巻末の付録「語類概説」を読めということ? それはあまりに勝手な言い分ですね。(もしそうなら、「名詞 巻末の[語類概説]を参照。」という項目をたてておくべきです。)

岩波は、こういう、収録項目に関する独善性があるように思います。(まさか、単純なポカではないでしょう。)

 

「語類概説」に詳しい説明があるからいいんだ、と本気で思っているとしても、その方針は徹底していません。

品詞名ではありませんが、「接頭語」「接尾語」を「語類概説」で説明なしに使っており、やはり辞典本文に項目はありません。(「接頭」「接尾」ももちろんありません。)

また、「語類概説」では繰り返し「連体修飾(語)」「連用修飾(語)」という用語が使われますが、この説明はなく、本文にもありません。

「修飾」の用例に「-語」があるので、「修飾語」の意味はわかるようになっています。

 

  しゅうしょく【修飾】〘名・ス他〙①美しくつくろい飾ること。「―の多い話」
    ②〔文法〕ある語句によって他の語句の意味を限定すること。「―語」  岩波

 

けれども、「連体」はありませんから、「連体修飾」の意味はわかりません。

面白いことに、「連用」は項目があります。

 

   れんよう【連用】〘名・ス他〙同じものを続けて使うこと。「薬の―」  岩波

 

一方、本文に項目のある品詞名も、なぜか、あります。

 

  だいめいし【代名詞】①(名の代わりに)人・事物・場所などを指示するのに使う語。②転じた俗用で、代表的・典型的なもの。そのものをよく表している例。 「エジソンは発明家の―だ」  岩波

 

「転じた俗用」のほうを書く必要があったためでしょうか。

 

他に、品詞・文法関係の語で、次のような語がありました。

 

  数詞  前置詞   接辞  繋辞  主語 述語 客語

 

「数詞」は「語類概説」には出てこないようです。

「前置詞」は英文法などの用語ですね。それは必要だと考えたらしい。外国語を習うことは、日本人にとってごく普通のことで、そこでよく出てくる言葉は「日本語」として国語辞典に載せるべきだと考える。それはわかります。

 

  ぜんちし【前置詞】ヨーロッパ語の文法で、品詞の一つ。名詞や代名詞の前に置かれて、それの、他の語に対する関係を示す。  岩波

 

しかし、この「ヨーロッパ語」というのはひどいですね。そんな言語はない。「アジア語」「アフリカ語」ってあります? 編集者の言語学的素養というか、教養というか、問題を感じますね。

 

明鏡は「前置詞」について、「ヨーロッパ諸語の品詞の一つ。」と書いています。この「諸」の一字が重要です。

新明解は「〔英語・ドイツ語・フランス語などの文法で〕」としています。わかりやすいです。

 

でも、考えてみると、「助動詞」は日本語と英語でずいぶん違いますね。そこの説明は必要ないと考えた?

「語類概説」には、

 

   助動詞は、単独では文節とならず、常に他の言葉のあとにつく点で助詞と似ているが、活用する点が助詞と異なる。  岩波「語類概説 助動詞」

 

などと書いてあります。これはまったく「ヨーロッパ語の文法」には当てはまりません。

新明解は日本語以外の「助動詞」のことにも触れています。

 

  助動詞 1〔日本語文法で〕おもに動詞に付属して叙述に何らかの意味的な限定を加える語。

   2〔auxiliary verb の訳〕〔英文法などで〕will, can など、動詞の意味に何らかの限定を加える語。  新明解

 

「意味的な限定を加える」というのはよくわかりませんが、英文法では違うんだということをかいています。

 

明鏡・三国は日本語のことしか書いていません。

 

  助動詞 品詞の一つ。付属語のうち活用のあるもの。用言や体言、そして他の助動詞に付いて意味を加え、叙述の働きを与える。  明鏡

 

明鏡の説明はきちんとしていると思いますが、英文法の「助動詞」にはあてはまりません。

 

岩波は、英語などの文法で言う「前置詞」が国語辞典としても必要な項目だと考えるなら、「助動詞」が英語などではかなり違うものだということを書いておくべきだと思います。

 

品詞から少し離れた文法用語などを。

 

   せつじ【接辞】接頭語・接尾語の総称。  岩波

 

こういう項目があって、「接頭語」「接尾語」がないというのは変な話です。

 

また、英文法でおなじみの「目的語」はなく、「客語」という一般には耳慣れない言葉があります。

 

   きゃくご【客語】〔文法〕動詞が、他に動作・作用を及ぼす意味のものである時、その動作・作用の受け手であるものを表す語。目的語。賓辞ひんじ。▽動作・作用のし手を表す「主語」に対して言う語。「かくご」とも言う。  岩波

 

語釈の後に類語として「目的語」が出ていますが、その項目はありません。

 

岩波は、何を項目として立てるかという基本問題の検討が不十分なようです。

 

岩波国語辞典と形容動詞(3)

前回の話の続きです。(一部、前回の話の要点をくり返します。)

岩波国語辞典の、形容動詞の扱いについて、その長所と問題点を考えます。

 

岩波は、いわゆる形容動詞をいくつかに分けます。

1 まず「きれい」のような、「きれいな景色」「きれいに描く・仕上げる」のように連体形「-な」と連用形「-に」の用法を持つもの、いわば典型的な形容動詞です。
辞典本文の品詞表示としては〔ダナ〕という記号で示されます。

 

2 次に、「元気」のような語で、名詞としての用法「元気がない・元気を出す」を持ち、「元気な祖母」「元気に暮らす・遊ぶ」のように連体形と連用形の用法を持つものです。名詞であり、形容動詞であるということで、品詞表示は〔名・ダナ〕です。

 

3 以上は問題ないのですが、三番目は岩波独自の分類です。(「C」「D」は前回の記事で引用部分に付けたものです。)

 

  C ただし次の基準に合うものだけを形容動詞と認めた。口語で言えば、
   (1)「-に」の形が広く(「なる」「する」の類と結合して結果を表す格助詞の
   「に」だけでなく)動詞に対して副詞と同様の連用修飾の働きをすること。

  D「有能な男」という言い方がある。しかし「有能に」の形は右の基準(1)に合わない
   から、この辞典では「有能だ」という形容動詞は認めず、「有能」を名詞とした。
   ただし、「-な」の形もあることを示すため、品詞の注記は前述した〔名ノナ〕を 
   用いた。

 

「有能」は形容動詞ではなく、名詞とします。他の多くの国語辞典では「有能」は形容動詞です。

他の国語辞典では、連体修飾が「-な」の形のものは基本的に形容動詞です。(「大きな」は「大きだ」という形がないので連体詞)

岩波は連体修飾だけではだめで、「-に」の形の「連用修飾の働き」も重要と考えます。

そう考えることは、理論的には一つの立場としていいのですが、学校で教える文法とは相違するので、学校の生徒には勧めにくい辞書になります。(岩波国語辞典は、社会人を主な購買者層と考えているのでしょう。)

 

「有能」は「-に」の形が「広く動詞に対して副詞と同様の連用修飾の働きを」しないと岩波は考え、形容動詞とせず、名詞だけれども「-な」の形でも連体修飾できるので、〔名ノナ〕という語類とします。

 

4 前回の記事では、以上の話の後、E、Fの部分(形容動詞「ダナ」と、名詞・形容動詞両用の「名・ダナ」を簡単に紹介し、

 

   そのあとの、「達者」「特別」「主観的」の話は飛ばすことにして、

 

と書いて、

  G 以上の通りこの辞典では、形容動詞かと思われる場合には、かなり細かい検討を
   した。そこで〔名ノナ〕〔ダナ〕〔ダナノ〕のような注記の区別が生じたわけである。

 

とまとめの引用をしたのですが、ここはちょっと失敗でした。

Gの引用の中にある「〔ダナノ〕」の紹介が抜け落ちてしまいました。これは、上の「飛ばすことに」してしまった「特別」という副詞についての話で出てくる「語類」です。
                                                    

  「特別」は副詞として使い、また「特別に」の形でも同様に使う。これが連体修飾語
  となる時には「特別の人」「特別な人」どちらの形もある。しかも形容動詞の活用形
  のすべてがそろう。ゆえに前記三基準に照らして「特別だ」は形容動詞と言える
  から、「とくべつ」という見出しには〔ダナノ・副〕と注記した。

 

水谷静夫(この「語類概説」を書いたのは明らかに水谷です)は、なぜか「特別」という〔ダナノ・副〕、つまり形容動詞で、「特別の人」という「~の」の形で連体修飾の形もあり、しかも副詞である語を例に出していますが、副詞でない、単に〔ダナノ〕である語の例を出すべきだったと思います。

例えば、「格安」「急激」「細心」などが〔ダナノ〕という記号(品詞の注記)を付けられています。
   格安な/の お値段   格安に 行ける・泊まれる・提供する・購入する
連体修飾で「な/の」どちらも可能、連用修飾「~に」の形が「広く」使える、という条件に当てはまります。

 

以上のように、岩波国語辞典は他の多くの国語辞典が単に「形容動詞」として認めている語について検討を加え、次の3つに分類します。(上の1・2をまとめ、3と4の順を入れ替えます。)

 

  (1)〔ダナ〕:形容動詞(「だ」の活用が揃い、連体修飾が「~な」の形で、連用形
   「~に」が広く連用修飾の働きをする。)

  (2)〔ダナノ〕:形容動詞で、「~の」の形の連体修飾もあるもの   
  (3)〔名ノナ〕:名詞だが、「~な」の形の連体修飾もあるもの

 

繰り返しますが、(3)は名詞とされます。形容動詞ではありません。

これらの語類に所属する語は、それぞれどのくらいあるのでしょうか。

 

岩波国語辞典のデジタル版では、「全文検索」という機能で例えば「〔ダナ〕」という品詞表示のある項目を数え上げることができます。
それをやってみました。

 

   岩波国語辞典第八版
   1 ダナ   1260 
        (名・ダナ 545)
   2 ダナノ    232 
      3 名ノナ  1114

 

「形容動詞」と認める語は、1の「ダナ」と2の「ダナノ」を合わせて約1500語です。

それに対して、他の多くの国語辞典が(「-な」の形の連体修飾があるので)「形容動詞」と認めるであろう3の「名ノナ」が約1100語余りです。けっこうな語数です。

かなり多くの語が「形容動詞」と認められていないわけです。

 

具体的にはどのような語か。次のような語です。

 

  岩波国語辞典〔名ノナ〕の例(のごく一部)
   悪質 悪趣味 朝寝坊 アダルト アナログ アバウト あほ ありきたり 暗黒
   安心 安定 遺憾 いじわる 偉大 いたずら 命知らず 嫌味 イレギュラー
   色白 因果 陰惨 陰性 いんちき 隠微 淫乱 薄手 内弁慶 有頂天 内輪
   移り気 うつろ うぶ 浮気 上滑り うわて 上の空 鋭利 エコ エスニック
   エッチ 遠大 大型 オープン オールラウンド 臆病 おしゃれ お粗末 億劫
   おませ 親不孝 愚か 温厚 温暖 温和 怪奇 皆無 架空 過激 寡作 過小

 

五十音順で初めのほうから拾ってみました。五十音順で後のほうから「いかにも形容動詞」らしいものを拾っていくと、

 

   貴重 気の毒 嫌い 高級 残念 重大 重要 主要 神聖 好き
   だめ 透明 鈍感 莫大 卑怯 卑劣 不純 優秀 有能 

 

これらがみな、岩波によると「形容動詞」ではないのです。「好き・きらい」などは、一般的には形容動詞の代表みたいな語なんですが。

 

一つの例として「好き」をとりあげて考えてみます。

「好き・きらい」が〔名ノナ〕とされるというのは、「好きに・きらいに」が「広く連用修飾の働き」を持たない、と見なされたということです。そうでしょうか。

「きらいに」は、確かに「きらいになる」以外にはあまり使われないようですが、「好きに」は、 

   好きに やる・使う・選ぶ・作る・生きる・決める・食べる・書く

のように多くの動詞と結びつきます。

これらの例で、「好き」は動詞の「対象」ではありませんし、「好きに」は動作の様態を示しています。つまり、「好きに」が「広く連用修飾の働き」をしていると言えます。

したがって、「好き」は〔名ノナ〕ではなく、〔ダナ〕と考えたほうがよいのではないでしょうか? 

 

ただし、この「好きに」は、「~が好きだ」という、いちばん基本的な「好き」の意味ではなく、

 

  すき【好き】〘名ナノ〙①好くこと。㋐気に入って、心がそちらに向かうこと。
   そういう気持。⇔きらい。「―な娘がいる」「酒が大―だ」「絵が―になる」
   「―こそ物の上手じょうずなれ」(好きだからこそ上達するのだ)㋑ものずき。
   また、好色。「あいつも―だなあ」「―も度が過ぎる」②気まま。「―な事を
   言う」。勝手放題。「他人の財産を―にする」「―にしやがれ」「―に暮らす」
      岩波

 

この②の「気まま」の意味ですね。
ですから「好き」を形容動詞とすることはやめ、用法別に「語類」を分けるとすれば、①は〘名ナノ〙で、②は〘ダナ〙とすることになるでしょう。

 

もう一つ、大きな問題があります。そもそも、「好き」は「名詞」でしょうか?

連体修飾が「-の」になるのが名詞ですが、「好きの」の後に名詞が普通に来るのでしょうか。

例えば、「好きの人」「好きの果物」などとは言いません。「動物好きの人」とは言いますが。

 

連体修飾の形が「-の」か「-な」かということとは別に、名詞とはどういうものかという基本的な条件があります。

 

  名詞 品詞の一つ。事物の名称を表す語。自立語で活用がなく、主語になることが
   できる。代名詞とともに体言と総称される。普通名詞・固有名詞・形式名詞など
   にも分類する。代名詞を名詞に含める説もある。   明鏡

 

「主語になることができる」というのが、学校文法の言い方ですね。もう少し広く言うと、「ガ・ヲ・ニ などの格助詞を伴って述語の補語になることができるか」、です。

「好きが」「好きを」などの後に適切な述語をつなげて文が作れるでしょうか。

岩波の用例には「好きこそものの上手なれ」と「好きも度が過ぎる」という例がありますが、前者は現代語とは言えません(「~こそ~なれ」ですから。係り結び?)し、後者は「~も度が過ぎる」という慣用的な言い回しなので、「まずいも度が過ぎる」などとも言えます。この「まずい」が名詞だとは言えません。

 

ということで、具体的な用法を見ると、「好き」の①は「-だ/-な」、②は「-な/-に」(終止用法「-だ」はないようです。)とでもするしかないように思います。(①の用法でも「好きになる」という形があるので、「-に」が使えないわけではありません。そこをどうするか。)

 

岩波国語辞典の〔名ノナ〕という「語類」は、こうやって一語一語見ていくと、いろいろと議論になるところが出てきそうです。形容動詞というのは、そういう細かい問題を多く含んだ品詞なのです。

岩波が現在の「形容動詞」という品詞は問題を含むものだと考え、検討を加えてこれまで述べてきたような「語類」を立てたことはおおいに評価すべきですが、その結果は必ずしも説得力があるとは言えず、わかりやすいものでもありません。

 

岩波国語辞典と「形容動詞」(2)

前回の記事からの続きです。

 

岩波国語辞典の「語類概説」の「形容動詞」から、少し長く引用します。

 

  形容動詞の語幹は、しばしば名詞と紛れる。学者によってはこの品詞を認めないが、
この辞典は通説に従って、語類を〔ダナ〕で表示した。表示が〔名・ダナ〕の場合には
名詞・形容動詞両用なので、連体修飾には当然「-の」も「-な」も現れる。ただし
次の基準に合うものだけを形容動詞と認めた。口語で言えば、
   (1)「-に」の形が広く(「なる」「する」の類と結合して結果を表す格助詞の
   「に」だけでなく)動詞に対して副詞と同様の連用修飾の働きをすること。
   (2) 連体修飾語となるときの形が「-な」であること。
   (3)「だろ・だっ・で・に・だ・な・なら」の活用語尾が、原則としてそろって
    いること、
などである。

  「有能な男」という言い方がある。しかし「有能に」の形は右の基準(1)に合わない
から、この辞典では「有能だ」という形容動詞は認めず、「有能」を名詞とした。
ただし、「-な」の形もあることを示すため、品詞の注記は前述した〔名ノナ〕を用いた。
  「清らか(だ)」「きれい(だ)」などは右の三基準に合うから形容動詞であり、前述の
通り〔ダナ〕と注記した。
  「健康」「自由」などには、名詞の場合と形容動詞の場合とがある。形容動詞は
意味上、事物のありさまを表す言葉であるから、そのうちのあるものは、「健康を
保つ」のように、そのありさまの呼び名として名詞になる。これらは〔名・ダナ〕と
注記した。
  また元来は名詞であった「達者」「じょうず」「大幅」などのように、それが指す
物の特色的な性質を取り出して使い、形容動詞に転じた例もある。こうした言葉には
「大幅の値上げ」のように「-の」の形もある。
  「特別」は副詞として使い、また「特別に」の形でも同様に使う。これが連体修飾語
となる時には「特別の人」「特別な人」どちらの形もある。しかも形容動詞の活用形の
すべてがそろう。ゆえに前記三基準に照らして「特別だ」は形容動詞と言えるから、
「とくべつ」という見出しには〔ダナノ・副〕と注記した。
  「主観的」など「-的」の形をした言葉も、この辞典では〔ダナ〕と注記した。
「主観的だ」などを形容動詞と認めたわけである。この類の単語には次の特色がある。
それは「主観的な見解」のほかに「主観的見解」ともいうことで分かる通り、語幹が
連体詞的な用法も持つ点である。この用法は「特別立法」「きれいどころ」などに
見られるように、「的」を含まない形容動詞の一部にも認められる。
  以上の通りこの辞典では、形容動詞かと思われる場合には、かなり細かい検討を
 した。そこで〔名ノナ〕〔ダナ〕〔ダナノ〕のような注記の区別が生じたわけである。
  なお文語では形容動詞である「堂々たり」の類は、口語では「堂々と」「堂々たる」
の形でしか使わない。これらは〔ト タル〕と注記した。「切に」「切なる」や「単に」
「単なる」の「切」「単」なども、品詞論的には同類である。
  国語では形容詞があまり豊かでなかった。その不足を補うために発達した品詞が、
 形容動詞である。したがってその文法的性質は、形容詞とかなりよく似ている。
   (見やすさのため一部改行を加えた:引用者)
          『岩波国語辞典 第八版』「語類概説 形容動詞」[p.1701]

 

重要なところを少しずつ見ていきます。

 

A 形容動詞の語幹は、しばしば名詞と紛れる。学者によってはこの品詞を認めないが、
  この辞典は通説に従って、語類を〔ダナ〕で表示した。

 

形容動詞と名詞をどう分けるかが問題です。形容動詞否定論者の多くは、名詞と同じだとします。

「学者によってはこの品詞を認めない」という学者とは、岩波の編者である水谷静夫の「私の師匠である時枝誠記」と、水谷自身がその代表です。(広辞苑新村出もその一人です。)

しかし、岩波国語辞典は「通説に従って」形容動詞という品詞を立てます。立てますが、品詞名の略称を他の辞書のように「形動」とはせず、〔ダナ〕で表示します。

 

名詞と形容動詞の両方の用法を持つ語(安静・安全・粋・異質・異常・違法などたくさんある)は、

 

B 表示が〔名・ダナ〕の場合には名詞・形容動詞両用なので、連体修飾には当然
 「-の」も「-な」も現れる。

 

となります。

 

ここまでは通説と同じと言っていいでしょう。問題は次のところです。

 

C ただし次の基準に合うものだけを形容動詞と認めた。口語で言えば、

  (1)「-に」の形が広く(「なる」「する」の類と結合して結果を表す格助詞の
  「に」だけでなく)動詞に対して副詞と同様の連用修飾の働きをすること。

 

「広く動詞に対して副詞と同様の連用修飾の働きをする」とはどういうことか。「広く」とは。

カッコの中の注記が重要で、「格助詞の「に」だけでなく」ということですね。

「なる」「する」は、名詞にも接続します。「~になる」という形があっても、それが「名詞+格助詞+なる」なのか、「形容動詞-に なる」なのかをどう判別するか。そこが問題になります。

例えば、

 

  病気になる  貧乏になる  元気になる  きれいになる

 

これらの中で、格助詞の「に」はどれか、形容動詞連用形の「に」はどれでしょうか。

 

学校文法をはじめ、一般的な文法では「名詞を連体修飾する形が「-な」になるのが形容動詞、「-の」になるのが名詞」と言われます。上の引用の「基準」の(2)ですね。

普通に考えて、「病気」は「病気な母」とは言わない(「病気の母」)ので、名詞と考えられ、「病気になる」の「に」は格助詞です。(「病気な人」という言い方がありますが、この場合は本当の病気というより、「変な人、おかしい人」の意味で使われるので別の用法です。)

また、「きれい」は「きれいな姉」で、「きれいの姉」とは言わないので、名詞ではなく、形容動詞です。「きれいに」は、形容動詞「きれいだ」の連用形と考えられます。

 

「病気」と「きれい」の間の二つ、「貧乏」と「元気」は、「貧乏な私・貧乏の原因」「元気な父・元気のもと」のように「-な/の」どちらの形も普通にあり得ます。つまり、形容動詞・名詞の両方の用法があります。

では、「貧乏になる・元気になる」はどう考えたらいいのか。「名詞+に」か、「形容動詞の連用形」か。ある状態を表すような名詞の場合、形容動詞と意味で区別することは難しいでしょう。

 

ここで、(1)の「広く動詞に対して副詞と同様の連用修飾の働きをする」ということを考えます。「広く」とはどういうことか。

「貧乏」の、「貧乏になる(する)」以外の「~に」にはどういうものがあるでしょうか。

  貧乏に 耐える・慣れる・おちいる・甘んじる・あえぐ・苦しむ(NINJAL-LWP for TWCから)

これらを見てすぐ気づくのは、これらの動詞は「名詞+に」をとる動詞だということです。
例えば、

  痛みに 耐える・慣れる・苦しむ   罠におちいる  最下位に甘んじる

などのように、動詞として「名詞+に(格助詞)」をとる動詞です。
これらと同じように、上の「貧乏に耐える」などは、「名詞+格助詞」で、この「貧乏」は「耐える」の対象です。「副詞と同様の連用修飾の働きをする」ものではありません。

 

それに対して、「元気に」の例を見ると、

  元気に 育つ・過ごす・遊ぶ・生きる・がんばる・働く・暮らす

などがあり、これらの動詞は「対象+に」を補語としてとる動詞ではありません。
そして、「元気に」は、「育つ」「遊ぶ」などの動詞が表す行動の様子を示しています。

つまり、この「元気に」は「広く動詞に対して副詞と同様の連用修飾の働きをする」ものと言えます。

そこで、岩波は

 

  げんき【元気】〘名・ダナ〙   岩波 

 

と、「元気」を「形容動詞」であると認めます。

 

さきほど「「きれいな姉」で、「きれいの姉」とは言わない」として形容動詞だとした「きれい」はどうでしょうか。

「きれいに描く・撮る・仕上げる・咲く」など、「広く」連用修飾に使えるので、この点でも形容動詞としての基準を満たしていると言えます。

 

一方、「貧乏」は次の「有能」と同じ語類になります。

 

D 「有能な男」という言い方がある。しかし「有能に」の形は右の基準(1)に合わない
  から、この辞典では「有能だ」という形容動詞は認めず、「有能」を名詞とした。
  ただし、「-な」の形もあることを示すため、品詞の注記は前述した〔名ノナ〕を 
  用いた。

 

「有能に」は、「なる・する」以外には、「見える」がある以外は、「こなす・調整する・語る・動き回る」などの例がごくわずかあるだけです。「元気に」ほど広く(多く)は使えません。(「見える」については、あとで触れる予定です。)

それを岩波は、

 

  「-な」の形もあることを示すため、品詞の注記は前述した〔名ノナ〕

 

という形で示します。「貧乏」も同様です。

 

  ゆうのう【有能】〘名ノナ〙才能・能力があること。無能。「―な人材」
  びんぼう【貧乏】〘名ノナ・ス自〙収入・財産が少なくて、生活が苦しいこと。 岩波

 

この「前述した〔名ノナ〕」というのは、「類語概説」の「形容動詞」の解説の前に名詞の解説があり、その中で、

 

  名詞でありながら連体修飾に「-な」の形が使えるものもかなりある。
  これには〔名ノナ〕の表示をした。 (「語類概説 名詞・代名詞」)

 

とあることを指します。(しかし、ここで「名詞でありながら」と簡単に言っていいのかという問題があります。これもまた後で議論する予定です。)

 

E 「清らか(だ)」「きれい(だ)」などは右の三基準に合うから形容動詞であり、前述の
  通り〔ダナ〕と注記した。

F 「健康」「自由」などには、名詞の場合と形容動詞の場合とがある。形容動詞は
  意味上、事物のありさまを表す言葉であるから、そのうちのあるものは、「健康を
  保つ」のように、そのありさまの呼び名として名詞になる。これらは〔名・ダナ〕
  と注記した。

 

「きれい」が形容動詞〔ダナ〕であること、「元気」が「健康」「自由」などと同様に〔名・ダナ〕であることは、以上の解説から問題がないでしょう。  

 

そのあとの、「達者」「特別」「主観的」の話は飛ばすことにして、

 

G 以上の通りこの辞典では、形容動詞かと思われる場合には、かなり細かい検討をし
  た。そこで〔名ノナ〕〔ダナ〕〔ダナノ〕のような注記の区別が生じたわけである。
  
ということばでまとめられます。

 

岩波の考え方の紹介だけで十分疲れてしまったので、その内容の検討はまた次回に。