岩波国語辞典と形容動詞(3)
前回の話の続きです。(一部、前回の話の要点をくり返します。)
岩波国語辞典の、形容動詞の扱いについて、その長所と問題点を考えます。
岩波は、いわゆる形容動詞をいくつかに分けます。
1 まず「きれい」のような、「きれいな景色」「きれいに描く・仕上げる」のように連体形「-な」と連用形「-に」の用法を持つもの、いわば典型的な形容動詞です。
辞典本文の品詞表示としては〔ダナ〕という記号で示されます。
2 次に、「元気」のような語で、名詞としての用法「元気がない・元気を出す」を持ち、「元気な祖母」「元気に暮らす・遊ぶ」のように連体形と連用形の用法を持つものです。名詞であり、形容動詞であるということで、品詞表示は〔名・ダナ〕です。
3 以上は問題ないのですが、三番目は岩波独自の分類です。(「C」「D」は前回の記事で引用部分に付けたものです。)
C ただし次の基準に合うものだけを形容動詞と認めた。口語で言えば、
(1)「-に」の形が広く(「なる」「する」の類と結合して結果を表す格助詞の
「に」だけでなく)動詞に対して副詞と同様の連用修飾の働きをすること。
D「有能な男」という言い方がある。しかし「有能に」の形は右の基準(1)に合わない
から、この辞典では「有能だ」という形容動詞は認めず、「有能」を名詞とした。
ただし、「-な」の形もあることを示すため、品詞の注記は前述した〔名ノナ〕を
用いた。
「有能」は形容動詞ではなく、名詞とします。他の多くの国語辞典では「有能」は形容動詞です。
他の国語辞典では、連体修飾が「-な」の形のものは基本的に形容動詞です。(「大きな」は「大きだ」という形がないので連体詞)
岩波は連体修飾だけではだめで、「-に」の形の「連用修飾の働き」も重要と考えます。
そう考えることは、理論的には一つの立場としていいのですが、学校で教える文法とは相違するので、学校の生徒には勧めにくい辞書になります。(岩波国語辞典は、社会人を主な購買者層と考えているのでしょう。)
「有能」は「-に」の形が「広く動詞に対して副詞と同様の連用修飾の働きを」しないと岩波は考え、形容動詞とせず、名詞だけれども「-な」の形でも連体修飾できるので、〔名ノナ〕という語類とします。
4 前回の記事では、以上の話の後、E、Fの部分(形容動詞「ダナ」と、名詞・形容動詞両用の「名・ダナ」を簡単に紹介し、
そのあとの、「達者」「特別」「主観的」の話は飛ばすことにして、
と書いて、
G 以上の通りこの辞典では、形容動詞かと思われる場合には、かなり細かい検討を
した。そこで〔名ノナ〕〔ダナ〕〔ダナノ〕のような注記の区別が生じたわけである。
とまとめの引用をしたのですが、ここはちょっと失敗でした。
Gの引用の中にある「〔ダナノ〕」の紹介が抜け落ちてしまいました。これは、上の「飛ばすことに」してしまった「特別」という副詞についての話で出てくる「語類」です。
「特別」は副詞として使い、また「特別に」の形でも同様に使う。これが連体修飾語
となる時には「特別の人」「特別な人」どちらの形もある。しかも形容動詞の活用形
のすべてがそろう。ゆえに前記三基準に照らして「特別だ」は形容動詞と言える
から、「とくべつ」という見出しには〔ダナノ・副〕と注記した。
水谷静夫(この「語類概説」を書いたのは明らかに水谷です)は、なぜか「特別」という〔ダナノ・副〕、つまり形容動詞で、「特別の人」という「~の」の形で連体修飾の形もあり、しかも副詞である語を例に出していますが、副詞でない、単に〔ダナノ〕である語の例を出すべきだったと思います。
例えば、「格安」「急激」「細心」などが〔ダナノ〕という記号(品詞の注記)を付けられています。
格安な/の お値段 格安に 行ける・泊まれる・提供する・購入する
連体修飾で「な/の」どちらも可能、連用修飾「~に」の形が「広く」使える、という条件に当てはまります。
以上のように、岩波国語辞典は他の多くの国語辞典が単に「形容動詞」として認めている語について検討を加え、次の3つに分類します。(上の1・2をまとめ、3と4の順を入れ替えます。)
(1)〔ダナ〕:形容動詞(「だ」の活用が揃い、連体修飾が「~な」の形で、連用形
「~に」が広く連用修飾の働きをする。)
(2)〔ダナノ〕:形容動詞で、「~の」の形の連体修飾もあるもの
(3)〔名ノナ〕:名詞だが、「~な」の形の連体修飾もあるもの
繰り返しますが、(3)は名詞とされます。形容動詞ではありません。
これらの語類に所属する語は、それぞれどのくらいあるのでしょうか。
岩波国語辞典のデジタル版では、「全文検索」という機能で例えば「〔ダナ〕」という品詞表示のある項目を数え上げることができます。
それをやってみました。
岩波国語辞典第八版
1 ダナ 1260
(名・ダナ 545)
2 ダナノ 232
3 名ノナ 1114
「形容動詞」と認める語は、1の「ダナ」と2の「ダナノ」を合わせて約1500語です。
それに対して、他の多くの国語辞典が(「-な」の形の連体修飾があるので)「形容動詞」と認めるであろう3の「名ノナ」が約1100語余りです。けっこうな語数です。
かなり多くの語が「形容動詞」と認められていないわけです。
具体的にはどのような語か。次のような語です。
岩波国語辞典〔名ノナ〕の例(のごく一部)
悪質 悪趣味 朝寝坊 アダルト アナログ アバウト あほ ありきたり 暗黒
安心 安定 遺憾 いじわる 偉大 いたずら 命知らず 嫌味 イレギュラー
色白 因果 陰惨 陰性 いんちき 隠微 淫乱 薄手 内弁慶 有頂天 内輪
移り気 うつろ うぶ 浮気 上滑り うわて 上の空 鋭利 エコ エスニック
エッチ 遠大 大型 オープン オールラウンド 臆病 おしゃれ お粗末 億劫
おませ 親不孝 愚か 温厚 温暖 温和 怪奇 皆無 架空 過激 寡作 過小
五十音順で初めのほうから拾ってみました。五十音順で後のほうから「いかにも形容動詞」らしいものを拾っていくと、
貴重 気の毒 嫌い 高級 残念 重大 重要 主要 神聖 好き
だめ 透明 鈍感 莫大 卑怯 卑劣 不純 優秀 有能
これらがみな、岩波によると「形容動詞」ではないのです。「好き・きらい」などは、一般的には形容動詞の代表みたいな語なんですが。
一つの例として「好き」をとりあげて考えてみます。
「好き・きらい」が〔名ノナ〕とされるというのは、「好きに・きらいに」が「広く連用修飾の働き」を持たない、と見なされたということです。そうでしょうか。
「きらいに」は、確かに「きらいになる」以外にはあまり使われないようですが、「好きに」は、
好きに やる・使う・選ぶ・作る・生きる・決める・食べる・書く
のように多くの動詞と結びつきます。
これらの例で、「好き」は動詞の「対象」ではありませんし、「好きに」は動作の様態を示しています。つまり、「好きに」が「広く連用修飾の働き」をしていると言えます。
したがって、「好き」は〔名ノナ〕ではなく、〔ダナ〕と考えたほうがよいのではないでしょうか?
ただし、この「好きに」は、「~が好きだ」という、いちばん基本的な「好き」の意味ではなく、
すき【好き】〘名ナノ〙①好くこと。㋐気に入って、心がそちらに向かうこと。
そういう気持。⇔きらい。「―な娘がいる」「酒が大―だ」「絵が―になる」
「―こそ物の上手じょうずなれ」(好きだからこそ上達するのだ)㋑ものずき。
また、好色。「あいつも―だなあ」「―も度が過ぎる」②気まま。「―な事を
言う」。勝手放題。「他人の財産を―にする」「―にしやがれ」「―に暮らす」
岩波
この②の「気まま」の意味ですね。
ですから「好き」を形容動詞とすることはやめ、用法別に「語類」を分けるとすれば、①は〘名ナノ〙で、②は〘ダナ〙とすることになるでしょう。
もう一つ、大きな問題があります。そもそも、「好き」は「名詞」でしょうか?
連体修飾が「-の」になるのが名詞ですが、「好きの」の後に名詞が普通に来るのでしょうか。
例えば、「好きの人」「好きの果物」などとは言いません。「動物好きの人」とは言いますが。
連体修飾の形が「-の」か「-な」かということとは別に、名詞とはどういうものかという基本的な条件があります。
名詞 品詞の一つ。事物の名称を表す語。自立語で活用がなく、主語になることが
できる。代名詞とともに体言と総称される。普通名詞・固有名詞・形式名詞など
にも分類する。代名詞を名詞に含める説もある。 明鏡
「主語になることができる」というのが、学校文法の言い方ですね。もう少し広く言うと、「ガ・ヲ・ニ などの格助詞を伴って述語の補語になることができるか」、です。
「好きが」「好きを」などの後に適切な述語をつなげて文が作れるでしょうか。
岩波の用例には「好きこそものの上手なれ」と「好きも度が過ぎる」という例がありますが、前者は現代語とは言えません(「~こそ~なれ」ですから。係り結び?)し、後者は「~も度が過ぎる」という慣用的な言い回しなので、「まずいも度が過ぎる」などとも言えます。この「まずい」が名詞だとは言えません。
ということで、具体的な用法を見ると、「好き」の①は「-だ/-な」、②は「-な/-に」(終止用法「-だ」はないようです。)とでもするしかないように思います。(①の用法でも「好きになる」という形があるので、「-に」が使えないわけではありません。そこをどうするか。)
岩波国語辞典の〔名ノナ〕という「語類」は、こうやって一語一語見ていくと、いろいろと議論になるところが出てきそうです。形容動詞というのは、そういう細かい問題を多く含んだ品詞なのです。
岩波が現在の「形容動詞」という品詞は問題を含むものだと考え、検討を加えてこれまで述べてきたような「語類」を立てたことはおおいに評価すべきですが、その結果は必ずしも説得力があるとは言えず、わかりやすいものでもありません。