ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

今頃・今日

形容動詞の話はひとまず終わりにして、また副詞を。

三省堂国語辞典から。
   
  今頃 「今1①」を中心とした、おおよその時間をさすことば。「-何をして
     いるだろう・去年の-」  三国

 

「今1①」とは。

 

  今 ①過ぎ去ったときでもなく、これから先のときでもないとき。目の前のとき。現在。  三国

 

これはだめでしょう。

「今頃」の用例「去年の今頃」とはどういう意味なのか。「去年の目の前のとき」?
「去年」は「過ぎ去ったとき」です。「今」ではありません。

「去年の今頃」という用例をあげるのは大いにいいのですが、それは「おおよそ今」ではない。

「今頃」に二つの用法があることに気付いていないのでしょうか。

 

   2現在。今時分。〔直接観察し得ない他人の行動について推測したり 過去や
    将来の同一月日・時刻における状態を あるいは思い出し あるいは推測したり
    する場合に用いられる〕「-はもう着いているだろう」   新明解

 

この「過去や将来の同一月日・時刻」ですね。この例として「去年の今頃・明日の今頃」のような用例があるとよかったのですが。

 

   現在の時刻・時期とだいたい同じころ。また、過去または未来で、現在の
   時刻・月日とだいたい同じころ。今時分。「いつも━になると眠くなる」
   「━はもう着いているはずだ」「去年の━は入院していた」  明鏡

 

「過去または未来で、現在の時刻・月日とだいたい同じころ。」という説明と、それに合った用例があります。

ただ、用例の順番を変えたほうがいいように思います。「~眠くなる」を「~着いているはずだ」の後にしたほうが語釈と合っていいのじゃないでしょうか。

 

岩波はこの用法に気付いていないようです。

 

   大体今。今時分。「―は雪が降っているだろう」「―来てもしかたがない」。
   当世。ちかごろ。「―の若い者」  岩波

 

「きょう」にも同じような用法があります。

 

  きょう ①いま経過している、この日。こんにち。(例略)
      ②同じ日付の日。「去年の-」  三国

 

三国もこちらは分けて書いています。

新明解・明鏡も分けています。

 

   2 同じ日付(曜日)の日。「去年の-/来週の-」  新明解

   2 その日と同じ日付の日。「去年の━近所で火事があった」  明鏡

 

岩波はこちらもなし。

 

   (今経過しつつある)この日。「―このごろ」(きょうを含めて最近の期間を指す
   言い方)▽「このごろ・現代」の意味は無い。その時には「きょうび」と言う。 岩波

 

三国・岩波はまだまだ改訂すべきところが多くあるようです。(もちろん、新明解・明鏡は他の項目で)

 

「形容動詞」:新明解・岩波・明鏡の比較(3)

「形容動詞」の話の続きです。3冊の国語辞典の扱いを比較します。参考に三国も。
岩波の新しい「語類」が出てきます。

 

        新明解    岩波    明鏡     三国
汗だく            ノダ    名・形動   名・形動ダ
汗みどろ                 名・形動   名・形動ダ
当たり前    ーなーに   ダナノ    名・形動   形動ダ
アダルト           名ノナ    名・形動   名・形動ダ
あつあつ    ーな     名・ノダ  名・形動   名・形動ダ
厚手                   名・形動    

 

〇「汗だく」「汗みどろ」「あつあつ」

まず、「汗だく」です。新明解は名詞とします。明鏡は、名詞+形容動詞。

岩波は「ノダ」という語類とします。この「ノダ」については、前に岩波の「ダナ」「名ノナ」などの話を書いたときに触れようかと思ったのですが、どうもよくわからないので後回しにしてしまいました。

 

岩波の「語類解説」の名詞の部分を引用します。少し長いです。

 

 「語類概説 名詞・代名詞」から。(第八版 p. 1700)

   名詞と代名詞とは、文法上は区別する必要がない。その区別は意味上のもの
  である。

   名詞は事物を表すのに使う呼び名であって、活用しないことが文法上の特色
  である。「山」「女」「インク」「会社」などの物や、「家事」「試合」
  「労働」「納税」などの事柄を始め、「紫」「甘さ」「重み」「混乱」「悲哀」
  「結論」「東」「関係」「三つ」など、それについて述べることができる対象
  の呼び名は、すべて名詞である。それゆえ多くの名詞は主語として使える。

   しかし中には、「迎接にいとまがない」の「迎接」、「すりひざで進む」の
  「すりひざ」のように、主語では使うことのないものもある。そういう単語も、
  呼び名として使い、また格助詞がつく点でも他の名詞と同様な性質を持つ。
  そういうものは、この辞典では名詞と認めた。

   名詞でありながら連体修飾に「-な」の形が使えるものもかなりある。これ
  には〔名ノナ〕の表示をした。

   この事につけて言うと、「比べ物」は「食べ物」と同じ語構造を持つが、主語
  に立つ事がない。

   また「みぎり」は連体修飾語と合して使い、この合したもの全体が名詞的
  である。こういう点で名詞の用法上の細分が施せたら、便利なことが多い。

   今まで見落としてきたと思われるものに、助詞「の」と断定の助動詞系統の
  「だ」「です」「らしい」など(の活用形)は従えるが、他には帰結を示す
  格助詞「に」ぐらいとしか結び付かない、特別な一類がある。「名うて」「うり
  二つ」「願ったりかなったり」や「既知」「空前」「論外」「迫真」「一衣帯水」
  など、かなり多くがこの類に属する。この辞典はこの一類に特に〔ノダ〕と
  いう標(しるべ)を立てた。

   名詞系統でなくても「ちぐはぐ」はノダ類の一種で、サ変動詞も派生させる
  から、これには標〔ノダ・ス自〕を立てる。

     細かく見れば先の「すりひざ」「迎接」を始めこれの親類と言える類が
  いろいろ見つかり、名詞の細分はなかなか大変である。しかしそれは、繁雑さえ
  いとわなければ、してできない話でなく、名詞を類別する枠組みは作れる。ただ
  困ったことに、日本語の用法が名詞でも変わりつつある現在、例えば一つには
  「とかぁ」に隠れて格助詞との結合があいまいで、格に着目した細分がしにくい。

   この種の現象が安定するまで、枠組みのどの類に入れるかが流動的な点を考慮
  して、名詞の類別を、かなり安定した語の名ノナ類とノダ類の分離以外には保留し
  た。(ただし特徴的な点はそれぞれの名詞に応じその項目に記入しておく。)

  (以下略:読みやすさのため改行をかなり加えた)

 

なんだか、すっきりしない、読みにくい文章です。
主なところを抜き書きし、疑問点などを書きます。

 

  ・名詞は事物を表すのに使う呼び名であって、活用しないことが文法上の特色
   である。

  ・それについて述べることができる対象の呼び名は、すべて名詞である。
   それゆえ多くの名詞は主語として使える。

 

名詞とは事物の呼び名である。これはまあ、そうでしょう。で、「活用しないことが文法上の特色である」。ずいぶん大まかな話です。これでは副詞や接続詞との文法上の違いがわかりません。

それはともかく、次の「それについて述べることができる対象の呼び名」というのは、なんだか持って回ったような言い方で、え?何だ?と思うのですが、それらは「すべて名詞である」と。

ここの「~呼び名はすべて名詞である」と、その上の「名詞は~呼び名であって」とはどう違うのでしょうか。同じことを繰り返しているのか、何か内容の違いがあるのか。

「それについて述べることができる対象」というところが重要なのでしょう。単に「事物を表すのに使う呼び名」ではなく、「それについて述べることができる」ということ。それが、次の「それゆえ多くの名詞は主語として使える」につながるのでしょう。

しかし、ここの論理は、私にはすっきり入ってきません。「主語として使える」というのは、つまり「それについて述べることができる」ことでしょう。それを先に言ってしまって、「それゆえ」という論理的な叙述であるように言うのは、どうもよくないのではないか。

この辺、あんまりごちゃごちゃ言うべきところではないのかもしれません。もっと素直に読まないと。

ともかく、名詞の「文法上の特色」として、「活用しないこと」などという大まかな話でなく、「主語として使える」ことがここで言われているわけです。

 

  ・しかし中には、(略)主語では使うことのないものもある。(迎接・すりひざ)
  ・そういう単語も、呼び名として使い、また格助詞がつく点でも他の名詞と  
   同様な性質を持つ。そういうものは、この辞典では名詞と認めた。

 

しかし、「主語では使うことのないもの」もあり、それらも「呼び名」であること、「格助詞がつく」ことで、「この辞典では名詞と認めた」。(他の辞典で「名詞と認め」ないものがあるのでしょうか?)

 

  ・名詞でありながら連体修飾に「-な」の形が使えるものもかなりある。
   これには〔名ノナ〕の表示をした。

 

すでに詳しく書いたように、岩波の「語類」の大きな特徴です。かなりの数の、いわゆる「形容動詞」が名詞とされました。

ここで、「名詞でありながら」と認める根拠は何なのか。「活用せず」「主語として使う」という2点でしょうか。これが一つの大きな問題点です。

前に「2021-10-08 岩波国語辞典と形容動詞(3)」で例をあげたように、「好き・嫌い・重要・優秀」など、基本的な語が「名ノナ」とされています。これらの語を「活用せず」「主語として使う」ものと考えているのか。書きことばコーパスを見ると、これらに「が/は」がついた例は非常に少なく、その中には何らかの誤植の類と考えられるものもあります。

また、「名ノナ」の「ノ」ですが、連体修飾で「~の」となることを示しているのでしょうか。これらの語は「~の」の形で連体修飾はしないでしょう。

では、岩波はどういう「文法上の特色」からこれらを「名」と見なしているのでしょうか。

そもそも、「重要」は「事物を表すのに使う呼び名」でしょうか。「重要性・重要さ」ならわかるのですが。

この「語類概説」は、名詞についていろいろ検討しているようでいて、基本的な問題を忘れているように思います。

 

  ・今まで見落としてきたと思われるものに、助詞「の」と断定の助動詞系統の
   「だ」「です」「らしい」など(の活用形)は従えるが、他には帰結を示す
   格助詞「に」ぐらいとしか結び付かない、特別な一類がある。
   この辞典はこの一類に特に〔ノダ〕という標(しるべ)を立てた。

 

さて、「ノダ」です。

「今まで見落としてきたと思われるもの」とは、誰が「見落としてきた」のでしょうか。岩波の編者か、一般の日本語研究者を言っているのか。

「ノダ」は、助詞「の」と断定の助動詞「だ」と、格助詞「に」と結びつく、ものです。
つまり、主語を示す「が」はつきません。

その一つの例が「汗だく」です。同じような意味・用法と思われる「汗みどろ」は「ノダ」ではなく、単なる名詞とされます。前の表には載せませんでしたが、「汗みずく」というのもあります。これも名詞です。

辞書の語釈と用例を。

 

  【汗だく】〘ノダ〙汗が盛んに出ているさま。「―の稽古を終える」「―になって作業をする」
  【汗みどろ】ふき出る汗にまみれること。
  【汗みずく】汗でびっしょりぬれるさま。   岩波

 

用例をサボっているのはよくないですね。違いがはっきりしません。

明鏡と新明解で同じ語を見てみます。

 

  【汗だく】名・形動〔俗〕暑かったり働いたりして、ひどく汗をかくこと。「━になって働く」   「汗だくだく」の略から。
  【汗みどろ】名・形動 汗でべっとりと汚れること。「━になって働く」
  【汗水漬く】名・形動 汗で、水につかったようにぬれること。「━になって奮闘する」 明鏡

 

同じような用例です。「~のシャツ」が適当なのはどれでしょうか。

 

  【汗だく】暑かったり 体を激しく動かしたり して、汗がだくだく流れる様子。「-になる」
  【汗みどろ】からだ中が汗で べとつくこと。
  【汗みずく】水につかったように汗にぬれた様子。  新明解

 

新明解も「汗だく」以外は用例をサボっています。この辺が、国語辞典のダメなところだと私は思うのです。

さて、明鏡は3語とも名詞・形動扱いで、新明解はすべて名詞扱いです。

「汗みどろ」は、新明解・岩波が名詞とし、明鏡・三国が形動とします。

明鏡は連体修飾の形が「汗みどろの」であっても、「状態的な意味を表す」と見なして「形動」としたのかもしれません。
三国は「汗みどろな」の形を認め、「汗みどろになって」などの形から「形動ダ」としたのでしょう。

以上のことはいいとして、岩波が「汗だく」と同様に「ノダ」としなかった理由は何でしょうか。
「汗だく」と「汗みどろ」で用法の違いがあるのでしょうか。「汗みどろ」は「主語として使える」でしょうか。

「汗だく」の用例の「-の」「-になる」は、他の2語でも言えます。「-の」の例をいくつか。

 

  汗みどろの ランニング・日々・24時間・格闘・濡れ鼠(書きことばコーパスから)
       労苦・奮闘ぶり・毎日・追跡・体・郵便配達(Yahoo検索から) 
  汗みずくの 稽古着・活躍・顔・作業・シーン・奮闘・首(Yahoo検索から)

 

これらも、「ノダ」なんじゃないでしょうか。

 

初めの表にはもう一つ「ノダ」の語があります。「あつあつ」です。

「あつあつ」は、明鏡のことを書いたとき(2021-11-07明鏡国語辞典と「形容動詞」)にも例としてあがっていた語です。

 

    また、「こわもて」「あつあつ」などのように、状態的な意味を表しながらも、
   連体修飾に「-な」ではなく、「-の」の形をとり、他は形容動詞の活用形を
   持つものは、〔名・形動〕や〔形動〕とする。   明鏡「品詞概説」

 

これを岩波は「名・ノダ」とします。

 

  あつあつ〘名・ノダ〙①(恋人または新婚早々の夫婦が)互いに熱愛しているさま。「―のカップル」②料理が熱いさま。「―のスープで冷えた体を温める」「出来立ての―をいただく」  岩波

 

まず、「名・ノダ」という表示のしかたにちょっとひっかかります。

「ノダ」というのは名詞の中のある一部分の語群の用法を表しているもののはずです。それと、名詞であることを示す「名」が並ぶというのは、どういうことなのか。

用例を見てみると、②のほうの「出来立てのあつあつをいただく」というのが「ノダ」の用法ではなく、一般の名詞の用法だ、ということなのだろうと思われます。「出来立てのあつあつがおいしい」とも言えるでしょう。

それに対して、①の用法は「あつあつ が/を」とは言えない、「ノダ」の例なのでしょう。
つまり、「あつあつ」は二つの用法があって、「①〔ノダ〕 ②〔名〕」ということでしょう。

 

「ノダ」がいくつあるかをデジタル辞書の「全文検索」で調べると、341語でした。
その中で「名・ノダ」という語は、私の見た限りでは3語のみでした。「あつあつ」以外の2語は、

 

  がたがた②〘名・ノダ〙組立てが粗末だったり、こわれかかったりしていること。「―のおんぼろ自動車」「組織が―になる」 

  ぎりぎり①〘名・ノダ〙許される極限で、もうそれ以上は余地のない状態。「時間―で間に合った」

 

です。

これらは「名・ノダ」とされる用法は一つだけです。それなら、「名」は不要で、「ノダ」だけでいいのではないかと思うのですが、何か私の理解していないところがあるのでしょうか。

「名」であるなら、「-が」の形で主語になり、あるいは「-を」などの格助詞をとれるのでしょう。そうであるなら、「ノダ」ではありません。

用法が一つなら、「名」か「ノダ」か、どちらかになるのではないでしょうか。

 

「ノダ」とされる他の語はどんなものがあるのでしょうか。例を並べてみます。

 

  「ノダ」の語の例(「副」「ス自」などの用法も持つ)

  a可能 肝腎 些細 自明 多額 特異 独特 特有 不可欠 不可避 不十分
   不向き 的外れ 未解決 未開拓 未開発 未完成 有望 有名 有用
    (以上は、それぞれに《「―な」も使う》という注記がある。)

  bかさかさ がさがさ がたがた かちかち かちんかちん からから 
   既婚 ぎざぎざ 既知 きっかり ぎゅうぎゅう ぎりぎり 空前 くたくた
   ぐにゃぐにゃ ぐらぐら 決死 けばけば 公然 こちこち ごちゃごちゃ
   粉々 こりごり ころころ さくさく 早速 さっぱり さらさら ざらざら
   しとしと しばし しばしば しばらく 小額 少壮 しょっちゅう
   すぐ 少し ずっと すべすべ せいぜい せっかく 絶大 先決 

 

「ノダ」の中にも二種類あって、上のaは《「―な」も使う》ものです。一つの例を。

 

  ささい【些細・瑣細】〘ノダ〙《「―な」も使う》(取るに足りないほど)細かいまたはわずかなこと。「―の事で争う」  岩波

 

名詞で、「-な」の形が使えるものは、「名ノナ」とするということは、前に述べました。(「好き・嫌い・重要・優秀」など)

こちらは、「ノダ」の類で、《「―な」も使う》ものです。だんだんわからなくなってきました。

この「可能・独特・未完成・有名」などと、「名ノナ」の「好き・嫌い・重要・優秀」などの違いは何なのでしょうか。    

上のbの類には多くの擬音・擬態語が入っています。これらも「名詞」なのでしょうか。「ぎゅうぎゅう・ぐにゃぐにゃ」は「事物の呼び名」と言えるでしょうか。

普通は副詞とされる「ずっと・せいぜい」を「副・ノダ」とするということは、これらが名詞でもあると考えるのでしょうが、そこでの「名詞」とは何なのか。

 

この辺になると、私の頭では理解不能です。この「ノダ」という語類は、日本語の中のある重要な一般性をとらえているのかもしれませんが、もう少しわかりやすく解説してもらわないと、なんだかわかりません。

水谷静夫あるいはその考えを理解している誰かが、この「ノダ」の類について論文か解説を書いていないものでしょうか。

以上、「ノダ」について長く書いてきました。結論は、よくわからん、です。

 

他の語について簡単に。

 

〇「当たり前」
どの辞書も形容動詞扱いです。岩波は「ノ」をつけています。「当たり前の」の形があるからです。

それに対して三国は「形動ダ」だけで、「名」をつけていません。すると、「当たり前の」の形が説明できません。ここはどうしたのか。

 

〇「アダルト」
新明解は名詞とします。岩波は「-な」の形があるとします。

 

  アダルト 名・形動 おとな。成人。「━な雰囲気」「ヤング━」  明鏡

 

これは新明解がよくないでしょう。

 

〇「厚手」

明鏡だけが「形動」とします。これは、明鏡独自の「形動」の定義によるものでしょう。明鏡はこういう語を拾い上げたかったのだとわかります。しかし、これを「形動」とすることで、何を主張したいのか、よくわかりません。

 

国語辞典の「形容動詞」の扱いをいろいろ見てきました。形容動詞をどうとらえるかという問題を考えるには、名詞とはいったい何なのかという問題も併せて考える必要があります。

岩波の「語類概説 形容動詞」が言うように、「形容動詞の語幹は、しばしば名詞と紛れる」のですが、だからと言って、形容動詞から追い出した語が必ず名詞だと言えるわけではありません。

名詞のほうの規定もしっかり考えて、そちらに合わないものは、また別の品詞としなければならないのかもしれません。

その候補の一つとして、「第三形容詞/ノ形容詞」と呼ばれるものがあります。これと、形容動詞と、そして名詞の関係をどう整理していくか、さらには岩波が「副・ノダ」とした語類をどう位置づけるか、問題はいろいろ複雑なようです。

 

 

 

「形容動詞」:新明解・岩波・明鏡の比較(2)

前回の続きです。前々回の比較表の続きをコピーし、感想を付け加えます。

 

           新明解    岩波    明鏡     三国

  開けっ放し   ーなーの         名・形動   名・形動ダ
  開けっ広げ   ーなーに         名・形動   名・形動ダ
  あこぎ     ーな     ダナノ    名・形動   形動ダ
  朝寝坊            名ノナ       
  朝飯前                  名・形動   名・形動ダ

 

〇「開けっ放し」

新明解の「-な-の」という表示にはびっくりしました。こんな形は「編集方針」にはありません。

おそらく誤植だろうと思うのですが、七版のデジタル版で検索してみると、

  生憎  開けっ放し  当てずっぽう  違式  命知らず  尊貴  佞奸

の7語がありました。

八版で確かめてみると、「命知らず」は「-な」だけになっていました。他の6語は「-な-の」のままです。

まさか、連体修飾で「-な」と「-の」の両方の形がある、という意味ではないでしょう。(そうだとすると、岩波の「名ノナ」と同じことになりますが。)それだと、7語とかいう数ではなく、非常に多くなります。

さて、どういうことでしょうか。やはり、誤植でしょうか。

岩波が名詞扱い、他は形動扱いです。

 

〇「開けっ広げ」

これも岩波だけが名詞としています。「開けっ広げな 性格・態度・人」はごく普通ではないでしょうか。岩波には「-の性格」という用例があげられています。

「あけっぴろげに 話す・語る・言う・書く」も普通に使われます。岩波はどうして「ダナノ」としなかったのか。

 

〇「あこぎ」

新明解が「-に」を認めていません。「あこぎに」という形はどの程度使われているでしょうか。

「書きことばコーパス」には、「に 稼ぐ・貸す・追求する」のそれぞれ1例しかありませんでした。
yahooの検索で探すと、次のような例が見つかりました。

  貧乏人をさらにあこぎに追い立てるワル
  客の家に盗みに入らせ、あこぎに稼いでいた。
  それだけあこぎに稼いで左うちわの割には
  その金をしたたかにあこぎに搾る娼婦たち。
  あこぎに全巻購入とかなしに、どの作品でも1冊で応募できちゃう
  以来、あこぎに金を儲けはじめ、次第に
  リーマンショックの後も、あこぎに稼ぎ続ける株屋たちと
  商人とその元締めはあこぎに儲けよってからに
  グループ総帥がいかにあこぎに土地を買いあさったかと言う事を知りたければ

まあまあ使われているようですね。「-に」の形を認めてもいいんじゃないでしょうか。

岩波は「ダナノ」で、「-の」の連体修飾を認めているのですが、これは逆に無理があるんじゃないでしょうか。「あこぎの」の後に何が続くのでしょうか。

検索すると、「あこぎの 用法・意味・英訳・由来」などの例が出てきますが、これらをもって「あこぎ」は名詞だ、ということはできません。これらの例は、その語「あこぎ」についての、いわば「メタ言語」的な扱いを表しているので、その語の自然な使い方なのではありません。(ほかにもっといい言い方があると思うのですが、思いつきません。)

かんたんに言うと、動詞や形容詞でもこれらの形が成り立ってしまうのです。

  いさぎよい の用法・意味・英訳・由来

  よみがえる の用法・意味・英訳・由来

普通は「いさぎよい」「よみがえる」とカッコをつけて書くでしょう。「あこぎ」でも、

  「あこぎ」の 用法・意味・英訳・由来

ですから、これらの例を根拠として、格助詞「の」がつけられるから名詞だ、とは言えないのです。

 

〇「朝寝坊」

岩波だけが「-な」の形を認めています。他は名詞扱い。これは珍しいケースです。岩波が話しことば的な用法を認めているわけです。

「書きことばコーパス」には「朝寝坊な」の形はありませんが、yahoo検索で探すと、たくさん出てきます。ホテルの宣伝に「朝寝坊なお客様に~」という言い方が使われています。「朝寝坊のお客様」との微妙な違いはどう言えばいいか、なかなか難しそうです。

三国がこれを形動と認めないのはなぜでしょうか。

 

〇「朝飯前」

新明解と岩波は名詞とします。明鏡の「形動」扱いは、何度も書いているように、信用できません。「-な」の形がなくても、「形動」としてしまうのですから。三国が「形動ダ」とするのは「-な」があるという判断でしょう。これもyahoo検索でそれなりに使われていることがわかります。

ただし、「話しことば」という限定が必要でしょう。

 

もう少し書きたかったのですが、次の語が面倒な話になりそうなので、ここでやめて続きはまた次回に。

 

「形容動詞」:新明解・岩波・明鏡の比較

前回の続きです。

いわゆる「形容動詞」を国語辞典がどう扱っているか。新明解・岩波・明鏡の三冊を比較します。(参考として、通説に従っていると思われる三国も並べます。)

前回の比較表から、最初の5語を。
 
          新明解    岩波    明鏡     三国
  アカデミック  ーな     ダナノ    形動     形動ダ
  悪質      ーなーに   名ノナ    名・形動   名・形動ダ
  悪趣味     ーな     名ノナ    名・形動   名・形動ダ
  悪平等     ーなーに         名・形動   名・形動ダ
  あけすけ    ーなーに   ダナノ    形動     形動ダ

 

〇「アカデミック」

新明解は「-な」とします。連用形「-に」の用法はない、という判断です。

岩波は、「ダナ」つまり形容動詞だとしています。「「-に」の形が広く動詞に対して副詞と同様の連用修飾の働きをしている」という判断です。(「ノ」は連体修飾で「アカデミックの」という形がある、ということです。)

新明解と岩波が連用形「-に」の形について対立しています。

明鏡は「形動」としています。ただし、明鏡の「形動」は、形容動詞以外の、他の辞書が名詞とするものも含んでいますし、「-に」の用法に注意を払っているわけではありません。

さて、「-に」の形を「書きことばコーパス(NINJAL-LWP for TWC)」で見てみましょう。

「助詞+動詞」で「に」を見ると、

  アカデミックに なる・残る・考える・やる・学ぶ・過ぎる・論じる・勉強する・かたよる 

などの例が並んでいます。(「いる・いく」もありますが、補助動詞の用法なので除きます。)

この中で、動詞が要求する補語の可能性がある「なる・残る・過ぎる・かたよる」など(つまり、「-に」は形容動詞の活用形ではなく、格助詞)を別として、「考える・学ぶ・論じる・勉強する」などは「(「アカデミックに」が)副詞と同様の連用修飾の働きをしている」と言えそうなので、「-に」の形を認めていいようです。
つまり、新明解の判断に問題がありそうです。

 

〇「悪質」
新明解は「-な-に」です。「-に」の用法を認めています。

岩波は「名ノナ」で、名詞だが「-な」の形がある、とします。「-に」は認めていません。

ここでも新明解と岩波は対立しています。「アカデミック」とは正反対の判断です。

書きことばコーパスを見ると、「悪質に」は、「なる」などを別にして、「利用する」が4例、「釣り上げる」が1例のみで、「-に」の連用修飾は限られているようです。(なお、下の「付記」を参照してください。)

前に新明解についての話(「2021-09-25 新明解と形容動詞:「-な-に」/「-な」」)で、

 

  (略)これらの「-に」は「編集方針」でいう「連用形「に」の用法」と見なされ
   ないのでしょうか。もしそうなら、なぜそう考えるのかという議論(説明)が
   必要です。

 

と書いたのですが、新明解が「-に」と認定するのはどのような「-に」なのか、どこにも説明がないので困ります。

最初の「アカデミック」では「-に」を認めず、「悪質」では「-に」を認める、その基準は何なのでしょうか。

 

〇「悪趣味」
新明解は「-な」、岩波は「名ノナ」で、意見が一致したようです。「-に」はないと。

新明解は、「-な」の形があっても、基本的にはすべて名詞ですから、岩波の「名」と同じです。

明鏡は当然「形動」です。「原則として、語尾に「-な、-に、-だ」がつき」とはしていますが、「-に」の用法にはそれほど注意を払っていないのでしょう。

三国は文法の解説がないので、どういう基準で「形動ダ」という品詞認定をするのかわかりませんが、「-な」の形があれば形容動詞と認めるのでしょう。

 

〇「悪平等
これは岩波が名詞としています。他はみな形容動詞扱いです。

書きことばコーパスを見てみると、「-な」は例がなく、「-に」は「なる・陥る・つながる・走る」などを除くと、「与える」の1例のみです。

この結果からすると、名詞とするのがいいようですが、でもまあ、三冊の国語辞典が形容動詞と認めているので、yahooでも検索してみます。

「-な」は、「悪平等な 仕事・仕組み・制度・日本の税金・税制・システム」などそれなりに例があります。「-に」は、なかなかいい例が見つかりません。

これを見て、例が少ないから名詞とするか、多少あるから形容動詞とするか、そこは編集者の判断によると思います。私は、形容動詞としてもいいかな、と思います。

 

〇「あけすけ」
これは皆さん形容動詞としています。岩波はそれに加えて「-の」の連体修飾も認めています。

「あけすけの」という形は、例は少ないのですが、あるようです。(「悪平等な」のほうが多いような…)

 

以上、各辞書の品詞判定の違いについて、5つの語を見てみました。
名詞との区別と、新明解、岩波が「-に」の形をどう扱うかという点が中心になります。

どういう品詞分類が日本語の構造をより明らかにするのか、どういう提示のしかたが辞典の利用者にとってわかりやすいか、考えていく必要があります。

 

付記:

「悪質に」には、「悪質になる」以外に、「悪質に 思う・見える・感じる・見せる」の用例もあるので、これらの述語の特徴的な性質について少し述べておきます。

前に、「2021-10-02 岩波国語辞典と形容動詞(2)」の「D」で、「有能に」を連用修飾としてとる動詞のことを述べた時に、

 

  「有能に」は、「なる・する」以外には、「見える」がある以外は、「こなす・  
  調整する・語る・動き回る」などの例がごくわずかあるだけです。「元気に」ほど
  広く(多く)は使えません。(「見える」については、あとで触れる予定です。)

 

と書いたまま、「見える」などについて述べる機会がありませんでした。

この「見える・思う・感じる」などは、一般の「-に」の補語をとる動詞(「に 耐える・慣れる・甘んじる・つながる・近づく・乗る」など、たくさんある)とは違った性質があります。

「見える」の基本的な「補語の型」は、

  (人ニ)ものガ 見える(「山が見える」「(あなたには)あの星が見えますか」)

ですが、「悪質に見える」「有能に見える」の場合は、

   彼に(は) そのことが  悪質に 見える
   母親に(は) 息子が  有能に  見える

のようなものと考えられます。(この「見える」は視覚能力ではなく、「~と思われる」の意味です。)

上の例で、「有能に」を単なる連用修飾語と見なして、文の骨格を「母親に 息子が 見える」と考えてしまうと、文の意味として成り立ちません。(別の意味になってしまいます)

これを次のように考えることもできます。意味を表す構造を次のように考えるのです。

   母親に [息子が 有能だ] 見える

この「だ」が「に」に置き換えられて、上の文が実際の形として使われるのだ、と。
(「有能」が、「母親」に関わるのでなく、「息子」のことだという関係もはっきり示せます。)

これは、上の文を説明するための一つの仮説ですが、この考え方は他の「思う・感じる」などにも適用できるものです。そうすることによって、連用形「-に」の用法を分類するときの一つの動詞のグループを作ることができます。

この類の動詞は、多くの形容動詞の「-に」の形を受けることができるので、岩波の言う「広く連用修飾の働きをする」かどうかを検討する場合には除いたほうがいいと思われます。

以上、説明が下手でわかりにくかったかもしれませんが、「見える・思う・感じる」などの動詞は、「-に」の連用修飾の話では特別扱いするということを述べました。

 

国語辞典と「形容動詞」:新明解・岩波・明鏡の比較

前回に続いて国語辞典と形容動詞の問題を扱います。

これまで、新明解・岩波・明鏡の各国語辞典がいわゆる「形容動詞」をどう扱っているかを何回かに分けて述べてきました。

かんたんに要点を繰り返すと、

 

  新明解
    「形容動詞」という品詞は立てない。名詞・副詞の一部が、形容動詞としての
    用法を併せ有するだけと考える。「-な-に」「-な」の二つの記号で示す。
     -な-に  名詞のほかに連体形に「な」、連用形に「に」の用法
     -な    右のうち、一般には連体形の用法だけのもの 
   ◇「形容動詞」を連用形の用法の有無で二つに分ける点が重要
    ある語が「連用形に「に」の用法」を持つ、持たない、とはどういうことか
  岩波
    「形容動詞の語幹は、しばしば名詞と紛れる。学者によってはこの品詞を認め
     ないが、この辞典は通説に従って、語類を〔ダナ〕で表示した。」
    ただし、連用形の連用修飾の働きが広くないものは名詞とし、〔名ノナ〕で示す。
    形容動詞で連体修飾に「-の」の形もあるものは〔ダナノ〕と注記する。
   ◇かなりの数のいわゆる「形容動詞」の語が名詞とされる。
    「名詞である」とは、どういう用法を持つことか
  明鏡
   「語尾に「-な、-に、-だ」がつき、状態的な意味を表すものを形容動詞とす
   る。」「状態的な意味を表しながらも、連体修飾に「-な」ではなく、「-の」   
   の形をとり、他は形容動詞の活用形を持つものは、〔名・形動〕や〔形動〕とす
   る。」

   ◇連体修飾で「-な」でないものが「形動」とされる。「形動」の範囲が広い。
    それらを「形容動詞」とすることの意義は何か。

 

この三冊の辞典で品詞解釈の違いがあると思われる語を調べてみました。参考として、学校文法の考えに従っていると思われる三国の品詞表示も並べておきます。

品詞表示のないところは「名詞」です。書かないほうが見やすいと思って空白にしてあります。

五十音順の「あ」と「い」から。

 

        新明解    岩波    明鏡     三国

アカデミック  ーな     ダナノ    形動     形動ダ
悪質      ーなーに   名ノナ    名・形動   名・形動ダ
悪趣味     ーな     名ノナ    名・形動   名・形動ダ
悪平等     ーなーに         名・形動   名・形動ダ
あけすけ    ーなーに   ダナノ    形動     形動ダ
開けっ放し   ーなーの         名・形動   名・形動ダ
開けっ広げ   ーなーに         名・形動   名・形動ダ
あこぎ     -な     ダナノ    名・形動   形動ダ
朝寝坊            名ノナ       
朝飯前                  名・形動   名・形動ダ
汗だく            ノダ    名・形動   名・形動ダ
汗みどろ                 名・形動   名・形動ダ
当たり前    ーなーに   ダナノ    名・形動   形動ダ
アダルト           名ノナ    名・形動   名・形動ダ
あつあつ    ーな     名・ノダ    名・形動   名・形動ダ
厚手                   名・形動    
あっぱれ    ーな     名ノナ    形動     形動ダ
当てずっぽう  ーなーの   名ノナ           名・形動ダ
アバウト    ーな     名ノナ    形動     形動ダ
アブノーマル  ーな     ダナ    形動     名・形動ダ
あほう     ーな     名ノナ    名・形動   名・形動ダ
甘口      ーな           名・形動   名・形動ダ
雨がち     ーな     名ノナ    名・形動   (なし)
荒削り     ーな     名ノナ    名・形動   名・形動ダ
ありがた迷惑  ーな     名ノナ    名・形動   形動ダ
ありきたり          名ノナ    名・形動   名・形動ダ
ありのまま          名ノナ           名・形動ダ
安価      ーなーに   名ノナ    名・形動   形動ダ
安心      ーな     名ノナ    名・形動   名・形動ダ
アンラッキー  ーな     ダナ    形動     形動ダ
いいかげん   ーなーに   連語    形動     名・形動ダ
いい気     ーなーに   ダナ    連語     形動ダ
イージー    ーな     ダナ    形動     形動ダ
遺憾      ーなーに   名ノナ    名・形動   形動ダ
イコール    ーなーに         名・形動    
異質      ーな     名・ダナ  名・形動   形動ダ
意地っ張り   ーな     名ノナ    名・形動   名・形動ダ
異色      ーな                  名・形動ダ
意地悪     ーなーに   名ノナ    名・形動   名・形動ダ
偉大      ーなーに   名ノナ    名・形動   形動ダ
いたずら    ーなーに   名ノナ    名・形動   名・形動ダ
命知らず    ーな     名ノナ    名・形動   名・形動ダ
違法             名・ダナ  名・形動   名・形動ダ
異例      ーな                  名・形動ダ
色黒      -な    (なし)   名・形動   名・形動ダ
色白      ーな     名ノナ    名・形動   名・形動ダ
陰惨      ーなーに   名ノナ    名・形動   形動ダ
陰湿      ーなーに   名ノナ    形動     形動ダ
インスタント  ーな           名・形動   名・形動ダ
陰性      ーな     名ノナ    名・形動   名・形動ダ
いんちき    ーなーに   名ノナ    名・形動   名・形動ダ
隠微      ーな     名ノナ    名・形動   形動ダ

 

このそれぞれの語を詳しく見ていくと面白いのでしょうが、コメントを書きだすときりがないので、今回はこの表を提示するだけにします。

次回にいくつかコメントしてみようと思います。

 

明鏡国語辞典と「形容動詞」

少し前に、国語辞典が「形容動詞」をどう扱っているかを何回か書きました。

  2021-09-18 新明解の副詞:くたくた・ぐたぐた(の前半)
  2021-09-20 新明解と形容動詞
  2021-09-25 新明解と形容動詞:「-な-に」/「-な」
  2021-10-01 岩波国語辞典と形容動詞
  2021-10-02 岩波国語辞典と形容動詞(2)
  2021-10-08 岩波国語辞典と形容動詞(3)

その続きとして、今回は明鏡国語辞典について書きます。

 

まず、明鏡の「品詞解説」から形容動詞について述べているところを。

 

  明鏡国語辞典 第三版(2021)「品詞解説」から

    原則として、語尾に「-な、-に、-だ」がつき、状態的な意味を表すもの
   を形容動詞とする。「健康だ」は、意味が大きく変わらずに、「健康を損なう」
   のように、語幹相当部分が格助詞を伴って用いられるし、「特別だ」も、「特別、
   何も言うことはない」のように、語幹相当部分が、直接、連用修飾したりする。
   このようなものは、名詞や副詞としての用法も併せ持つものとして、〔名・形動〕
   や〔副・形動〕などと示す。(略)

    また、「こわもて」「あつあつ」などのように、状態的な意味を表しながらも、
   連体修飾に「-な」ではなく、「-の」の形をとり、他は形容動詞の活用形を
   持つものは、〔名・形動〕や〔形動〕とする。   (p.1818)
  
引用の前半は形容動詞とする語の条件で、「語尾に「-な、-に、-だ」がつき、「状態的な意味を表すもの」です。

ここは問題ありませんが、後半の、「「-な」ではなく、「-の」の形を」とるもの(普通は名詞と見なされる)も形容動詞としているところが一般の品詞分類(「学校文法」)と違います。

つまり、岩波と違って、明鏡は「形容動詞」の範囲が広い、ということです。

その例として挙げられているのが、「こわもて」と「あつあつ」の2語です。

 

  こわもて 名・形動 こわい顔つき。また、(こわい顔をして)強硬な態度で相手

           にのぞむこと。「━に意見をする」▽「こわおもて」の転。

  あつあつ 名・形動1 料理などができたてで熱いこと。「━のうちに召し上がれ」 

           2 恋人・夫婦などが熱愛していること。「━の仲」  明鏡

 

それぞれ、名詞であり形容動詞でもある、としています。

しかし、この品詞表示だと、学校文法を習った一般の利用者は、「形動」なのだから「こわもてな」という形があるのだと思うのが普通でしょう。「あつあつ」も、「あつあつの」という形が用例にあるにせよ、「あつあつな」という形も言えるのだろうと思うでしょう。

一般の利用者は、付録の「品詞解説」などを丁寧に読むわけもないので、明鏡の「形容動詞」の範囲が「学校文法」とは違うことを知る可能性はほとんどありません。

そのへんのことは、明鏡の編集者はどう考えているのでしょうか。

 

さて、この2語を「形容動詞」とする根拠は、上に述べた2つのことです。

まず「状態的な意味を表し」ということです。ここが形容動詞と共通するわけです。ただし、「状態的な意味」とはどういうものを指すのか、それをはっきり定義できるのかが問題です。

例えば、「空(から)」という語は、「空の財布」のように「状態的な意味」を表すと言えると思いますが、明鏡では「名詞」とされています。「一流(の企業)」も「名詞」です。「大型(のバス)」も「形動」とはされません。

これらの語は、修飾される名詞の状態を形容している、と言えるでしょう。意味的には、形容動詞としての資格がありそうです。これらを形容動詞としないのはなぜなのか。

「状態的な意味」を表す、ということで、「形動」とするかどうかを決めるのは難しそうです。

 

次の条件、「連体修飾に「-な」ではなく、「-の」の形をとり、他は形容動詞の活用形を持つ」というところについて考えてみます。「連体修飾に「-な」ではなく、「-の」の形」をとる、というのはつまり名詞と同じですね。

次の部分、「他は形容動詞の活用形を持つ」というのはどういうことか。

巻末の「活用表」から、「形容動詞活用表」と、「名詞+だ」の「だ」、つまり「断定の助動詞」の活用を見てみます。

 

  形容動詞活用表

    語例  語幹  未然形 連用形    終止形 連体形 仮定形 命令形
   静かだ しずか  だろ  だっ/で/に  だ   な  なら   〇 

  主要助動詞活用表から「断定」

    語   未然形 連用形  終止形 連体形 仮定形 命令形
    だ  (だろ) だっ/で  だ  (な) なら    〇

 

形容動詞と断定の「だ」との大きな違いは、連用形の「に」があるかどうかということです。

しかし、「連用形の「に」」というのは、前に「2021-10-02 岩波国語辞典と形容動詞(2)」の「c」のところで多少詳しく述べたように、いろいろと難しい問題を含んでいます。

そこの議論がないので、たんに「形容動詞の活用形を持つ」というだけでは、「名詞+だ」との違いがわかりません。上に例として出した名詞も、「空になる・一流に育てる・大型にする」など、形の上では「に」の形にもなるからです。

これらは、「形動」とされる「こわもて・あつあつ」とは活用形の点でも違いがあるのでしょうか。

この「形容動詞の活用形」の問題は、もっと詳しく説明しておく必要があると思います。

 

一般には名詞とされる語を、明鏡が「名・形動」または「形動」としている、ことの根拠を検討してきました。

さて、実際にどのような語を「名・形動」としているのかを見ましょう。いくつか探してみました。

 

  明鏡で「名・形動」とされ、岩波・新明解では「名詞」のもの

   朝飯前 汗みどろ 厚手 一律 インスタント 永遠 永久
   大荒れ 多め 親思い おんぼろ
   がらあき 巨額 高速 好評 極秘 極貧 
   至近 時代遅れ ジャンボ 縦横 主流 正規 千差万別

 

このような語です。これらを「名・形動」として「名詞」から区別することの意義は何でしょうか。

「状態的な意味」を表す、というだけなら、名詞の中にはそのような意味を表すものがある、としておけばいいだけの話です。なぜ、それらの語を名詞と分ける必要があるのか。何か、文法的な違い、用法の違いがあるのでしょうか。

言い換えると、そう分けることによって、日本語の中にある法則性、今まで気づかれなかった何かが見えてくるのか、ということです。おそらく、明鏡の編集者はそのへんのことを考えてこのような処置をしているのだろうと思います。

前に見た岩波の議論は、「連用形の「に」」の問題を重視することによって、大きく「形容動詞」としてくくられてきたものの中の差異を明らかにしようとしていました。

それに対して、明鏡の上のような処置は何を明らかにしようとしているのか。そこのところを、もっとはっきり述べてほしいと思うのですが、どうでしょうか。

 

南国・北国・西部劇:岩波国語辞典の項目選択

前回の続きです。「南国・北国」などの話を。
これは、前回に引用した岩波国語辞典の「はじめに」にある「要素的な語によって割合たやすく分かるような語」に関わる話です。

6年前、「北東」の記事の次に、「2015-09-30岩波:南国」という記事を書きました。
岩波には「南国」という項目がない、という話です。

 

  前回は「北東」などがないということを書きました。
  今度は「南国」がないという話です。当然「北国きたぐに」も。
  あってもいい言葉ですよねえ。「南洋」もなし。「南方」もなし。
  岩波の辞典には「北方(領土)」ということばはない、でいいのでしょうか。
  なぜこれらの言葉をのせないのでしょう。わかりきっているから?
  「南部」もない。「西部」がないと、「西部劇」もわからないでしょう。

 

わかりきっているから、不要だから、ということではなく、やはり「要素的な語によって割合たやすく分かる」と見なされているのでしょう。

「南国」は、漢字を見れば「南の国」だとわかるじゃないか、ということでしょう。

でも、ちょっと待ってください。「南国」はたんに「南の国」ではありません。 

 

  【南国】南の暖かい国(地方)。  新明解

 

ニュージーランドは、日本から見て「南の国」ですが、「南国ニュージーランド」とは言わないでしょう。

 

「南洋」も、たんに「南の」「洋」つまり海ではありません。


  【南洋】日本の南方、太平洋西南部の熱帯海域。また、その洋上にある島々。 明鏡

 

「日本の」南方の海で、「熱帯海域」及び「島々」です。ニュージーランド近辺の南半球の海は指しません。

 

また、「南方」もたんに「南のほう」ではありません。

 

  【南方】1 南(の方角)。⇔北方
        2東南アジアの地域。「-から復員する」  新明解

      ①南の方角(にあたる所)。(⇔北方)
      ②日本の「南方①」第二次大戦以前、東南アジア・南太平洋の方面を            言った。「-戦線」  三国

 

新明解の用例がいいですね。三国は南太平洋を含めているのがいいと思います。

こういう、歴史的な用法も国語辞典は載せるべきでしょう。小説やエッセイにごく普通に出てくる使い方です。

 

こういう、その語の持つ様々な意味合いを無視して、「要素的な語によって割合たやすく分かる」などと考えてはいけません。

 

北方領土」については、新明解が詳しいです。

 

  【北方】北(の方角)。「-領土〔=国後(クナシリ)・択捉(エトロフ)・歯舞(ハボマイ)・色丹(シコタン)〕」⇔南方  新明解

 

北方領土」の島名の読み方が書いてあります。このような知識は国語辞典には不要だと考えるかどうか。

 

「西部」には特別な意味があります。

 

  【西部】1 ある地域の中の、西の部分。⇔東部
       2 アメリカ合衆国の西の地方。     明鏡

 

そして「西部劇」。

 

  【西部劇】米国の西部開拓時代の出来事や事件を題材にした映画。ウエスタン。  明鏡

 

さて、岩波七版には「西部」はありませんでした。当然「西部劇」もなかったのですが、八版では「西部劇」だけが立項されました。

 

  【西部劇】アメリカ西部の開拓時代を題材とした映画や演劇。  岩波八版

 

八版の改訂の時に、誰かが「西部劇」という項目が必要だ、と提言したのでしょう。それは大いに結構なことです。しかし、「西部」という項目を立てる必要は感じなかった。「西の部分」と考えればいい、ということでしょうか。

 

もう一つ、八版で新たに項目になった語があります。(これは、正直ちょっと驚きました…)

 

  【北国】北の方にある国・地域。  岩波八版

 

しかし、対になる語である「南国」は八版にもありません。なぜ「北国」だけを必要と考えたのか、よくわかりません。

「東国」「西国」は七版でもあり、それなりに理由があると思われます。地域が特定されるからです。

 

  【東国】東の方の国。特に、関東地方。▽畿内から見て言う。

  【西国】①西の方の国。特に、九州地方。②「西国三十三所」の略。関西にある三十三か所の、観音巡礼の霊場。▽②の「西国」は関西を指す。「さいこく」とも言う。   岩波八版
   (八版では「さいごく」だが、七版では「さいこく」だった。)

 

「北国」を上のような語釈で新たに項目とするならば、なぜ「南国」も項目にしなかったのか。その理由が何かあったのか、「南国」のことはたんに気付かなかったのか。謎です。

 

岩波の項目の立て方は、筋が通っているようで、よく見てみるとそうでもありません。編集者はどう考えているのでしょうか。