ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

広辞苑と「自動詞・他動詞」(4)

前回の記事の続きです。
広辞苑の動詞の自他判定を、他の十種の辞書と比較しながら検討していきます。

前の記事でとりあげた順に見ていきます。かっこ付き数字はその記事の番号です。
(「2021-12-19 国語辞典の「自動詞・他動詞」(15)」~)

 

発話行動に関する動詞を。

(15)
       叫ぶ  怒鳴る  わめく うなる  がなる 
  新明解8 自他  自    自   自    自他     
  明鏡3   他  自他   自他  自他   自他        
  三国7  自他  自    自   自他   自他        
  岩波8  自他  自他   自他  自    自         
  学研新6 自他  自    自   自他   自他       
  三現新6 自他  自    自   自    自         
  小学日  自   自    自   自    自(他)      
  集英社3 自他  自    自他  自他   自         
  旺文社11 自他  自他   自   自    自       
  新選9  自   自    自   自    自        
  広辞苑7 自   自    自   自(他)  自

 

広辞苑は、「うなる」を自動詞とし、「(他動詞的に)「義太夫をうなる」」という用例をあげているのはいいのですが、では、同じ自動詞の「叫ぶ」の「政界の浄化を叫ぶ」という例に「(他動詞的に)」という注記が付かないのはなぜでしょうか。

「叫ぶ」の「を」の有名な例には、「世界の中心で愛を叫ぶ」というのがあります。ほかに、

  何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇の中へ駈出した。(山月記

というのもあります。「~を叫ぶ」は普通に使われる形です。

「わめく」「がなる」に他動詞用法を認める辞書の用例は、「大声で悪口をわめく」(明鏡)、「歌をがなる」(三国)、「演歌をがなる」(学研新)などです。これらの例をどう考えるか。

「怒鳴る」に他動詞用法を認める岩波は、  

 

  どなる ②〘五自他〙声高く叱りつける。「子供を―のはよくない」
    「部下を-・りつける」   岩波

 

という例をあげています。これも(他動詞的に)と言える用法でしょう。

書きことばコーパスを見ると、「どなる」対象は人で、「子供・私・人・部下・母 をどなる」などがあります。

広辞苑は、これらの動詞は基本的に自動詞とします。「~を」がある用法を知っていてそうするのか、単にそういう用例を知らないのか。

   
       ささやく つぶやく しゃべる ののしる  言い返す 言い逃れる

  新明解8  自他    他    他   自     自他    他    
  明鏡3    他    他    他    他     他   自     
  三国7   自他   自他   自他   自他    自他   自他    
  岩波8   自他   自    自他    他    自    自     
  学研新6  自他    他   自他    他     他    他    
  三現新6  自他   自    自他   自他    自他   自他  
  小学日   自    自他    他    他     他    他  
  集英社3  自    自    自他   自他     他    他  
  旺文社11  自    自     自他   自他    自他    他   
  新選9   自    自     他    他    自他    他  
  広辞苑7  自    自    自他   自他     他    他 

 

広辞苑は「ささやく」「つぶやく」を自動詞とします。「不平をつぶやく」という用例があります。

「ささやく」も「~を」をとります。

 ・雨に壊れたベンチには 愛をささやく歌もない(五輪真弓「恋人よ」)

これらがなぜ自動詞なのかわかりません。それなら「言う」も自動詞でしょうか?
「言う」は他動詞ですが、「小声でものを言う」(岩波「ささやく」の語釈)と他動詞が自動詞になるというのは変な話です。(言うまでもありませんが、広辞苑でも「言う」は基本的に他動詞です。)

「しゃべる」は「自他」です。用例は「よくしゃべる奴だ」「うっかりしゃべってしまった」。
「~を」の例はありませんが、自明ということでしょうか。他動詞としての用例があったほうがいいでしょう。そして、自動詞とする「ささやく」などとの違いも明らかにできる説明と。

「ののしる」も「自他」。「人を口汚くののしる」という用例があります。これは「人を」なので「しゃべる」とは性質が違います。「ものをしゃべる/人をののしる」です。「ののしる」の自動詞の例は?

広辞苑の「言い返す」の例は他動詞の用法とは言えません。「負けずに・「おはよう」と・忘れないように何度も 言い返す」。

「言い逃れる」の用例も他動詞の例ではありません。「言を左右にして言い逃れる」
他動詞とするなら、他動詞としての用例を出すべきでしょう。

岩波はどちらも自動詞とします。明鏡も自動詞としますが、「うそをついてその場を言い逃れる」という例を出しています。この「その場」は「対象」ではないという解釈なのでしょう。「場を逃れる」だから?

 

次は、問題の多い心理関係の動詞です。

(16)(17)
       恐れる  怖がる   喜ぶ   怒る   憤る 

  新明解8  他   自     自    自他   自  
  明鏡3   他    他    (自)他   自他   自他 
  三国7  自他   なし    自    自    自  
  岩波8  自    自      他   自    自  
  学研新6  他    他     他   自他   自他 
  三現新6 自    自他     他   自    自  
  小学日  自他    他    自他   自他   自(他)
  集英社3 自     他    自    自他   自  
  旺文社11  他   自     自他   自他   自  
  新選9  自    自     自    自    自  
  広辞苑7 自    自他    自他   自    自

 

広辞苑は「失敗を恐れない」「神をおそれる」という用例を出しながら、「おそれる」を自動詞とします。

しかし、「怖がる」には他動詞用法を認め、「暗闇を怖がる」という例をあげます。
この違いは何か。

「喜ぶ」は他動詞を認め、用例は「無事を喜ぶ」。

「怒る」は自動詞のみ。用例は「怒って殴りかかる」「親に怒られる」。しかし、この例は「親が私を怒る」の受け身の形では?

明鏡は、他動詞を認め、

  「約束を破って先生に-・られた(=しかられた)」▽受身で使うことが多い。

と書いています。

広辞苑は「暴挙に憤る」「横暴を憤る」という例をあげながら「憤る」を自動詞とします。自他では?

 

(18)
         忍ぶ 耐え忍ぶ 耐える  嘆く  憂える 

  新明解8  自他  自   自      他  自他  
  明鏡3   自他  自他  自(他)    他   他  
  三国7   自他   他  自     自他  自他  
  岩波8    他   他  自     自他   他  
  学研新6  自他  自他  自      他   他  
  三現新6  自他   他  自     自他  自他  
  小学日   自他   他  自     自他   他  
  集英社3  自他   他  自     自他   他  
  旺文社11  自他   他  自      他   他  
  新選9   自他   他  自      他  自他  
  広辞苑7   他   他  自     自他   他

 

広辞苑は「忍ぶ」では「世を忍ぶ姿」「人目を忍んで泣く」「不便を・恥を忍ぶ」(自動詞的にも使う)としています。

「耐え忍ぶ」は「真夏の暑さを・怒りを耐え忍ぶ」「冷遇に耐え忍ぶ」という用例を。後者は自動詞では?

「嘆く」では「友の死を・世相を嘆く」、「憂える」では「教育の荒廃を・前途を・国を憂える」というようにきちんと用例をあげています。

用例を丁寧にあげるのは非常にいいのですが、それと自他の判定が(時に)うまく連動していないように感じられます。

 

(19)
        思う 思いつく 思い込む 思いつめる 思い切る 
  新明解8   他   他    他   自      他  
  明鏡3    他  自他    他   自他    自他  
  三国7   自他   他   自他    他     他  
  岩波8    他   他   自     他     他  
  学研新6   他   他    他    他    自他  
  三現新6   他   他   自     他     他  
  小学日    他   他   自     他    自他  
  集英社3   他   他   自     他    自他  
  旺文社11   他   他   自他    他    自他  
  新選9    他   他   自     他    自他  
  広辞苑7   他  自他   自     他    自他 

 

「思う」が他動詞なのはいいとして、では、「思い込む」はなぜ自動詞なのでしょうか。
その用例「親切な人だと思い込む」を「親切な人だと思う」とすると他動詞なのか。
後者の「思う」を自動詞の用法と考えるか、あるいは「思い込む」を他動詞とするか。そうしないと論理の一貫した説明にならないでしょう。

また、明鏡が出している用例「デマを本当だと思い込む」をどう考えるか。この「デマを」は目的語か、そうでないのか。三国は「男を真犯人と思い込む」、旺文社は「うわさを本当だと思い込む」という例を出して「自他」とします。

上の広辞苑の例も「(その人を)親切な人だと思い込む」とすると判定が変わるのか。

「思う」で、「明日は雨だと思う」は他動詞の用法か、それとも自動詞の用法か。この例では「×明日を雨だと思う」とは言いにくいので、「~を」は取らないと考えていいでしょう。
いや、「明日の天気を雨だと思う」ならいいでしょうか?

 

(20)
       思い煩う ためらう  患う  病む

  新明解8  自他   自他   自他  自  
  明鏡3    他   (自)他    他  自他
  三国7   自    自他   自他  自他
  岩波8   自他   自他   自他  自他
  学研新6   他    他   自他  自他
  三現新6  自    自    自他  自他
  小学日   自    自    自他  自他
  集英社3   他   自    自他  自他
  旺文社11  自    自他   自   自他
  新選9   自    自    自   自他
  広辞苑7  自    自他   自   自他

 

広辞苑は「子供の行く末を思い煩う」という例をあげながら、自動詞とします。「思い煩う」「対象」ではない、と考えるようです。では、「子供の行く末を思う」とすると他動詞なのか。

「患う」は「長くわずらう」という例がありますが、「肺を・胸を・結核を」などの他の辞書にある例がありません。これらを「対象」と考えるかどうか。

「病む」では「肺を・心を病む」「失敗を気に病む」などの例があり、「自他」とします。「患う」も「自他」では?

 

(21)
       備える 繰り返す 煮出す ねじ込む 

  新明解8  他    他   他   自他 
  明鏡3   他    他   他   自他   
  三国7   他    他   他   自他   
  岩波8  自他   自他  自他    他  
  学研新6  他    他   他   自他   
  三現新6  他    他   他   自他   
  小学日   他    他   他   自他   
  集英社3  他    他   他   自他   
  旺文社11  他    他   他   自他    
  新選9   他    他   他   自他   
  広辞苑7  他   自他   他    他

 

「備える」は、「各部屋に電話を備える」「威厳を備える」など、基本的に他動詞ですが、「台風に備える」という場合、「何を」備えるのか。「?台風に防災用品を備える」は変でしょう。

岩波は「試験に-・えて勉強する」の例があり、自動詞を認めています。試験に「何を」備えるのか。

「危機に備える」(新明解)も「何を」が考えにくい例です。こういう「(~に対して)備える」は自動詞用法としてもいいのじゃないでしょうか。

この4語は、岩波だけが他の辞書と違う自他判定をしているということでとりあげた動詞ですが、「繰り返す」と「ねじ込む」は広辞苑も同じ判定をしています。
「歴史は繰り返す」という例が自動詞用法と考えられているのでしょうか。
 
「けんかした相手の親にねじ込まれる」という例が「ねじ込む」につけられていますが、この例で「相手の親」は(話し手に)「何を」ねじ込んだのでしょうか。それが考えられないようなら、これは自動詞の受け身では?

 

(22)
       畳み掛ける 取り乱す 自慢する 誇る      

  新明解8  自      他  自他    他      
  明鏡3    他    自他   他    他      
  三国7   自     自    他   自他      
  岩波8   自     自    他   自       
  学研新6   他    自他   他    他      
  三現新6  自     自他   他    他      
  小学日    他    自    表示なし 自       
  集英社3  自     自他   他    他      
  旺文社11   他    自他   他    他     
  新選9    他    自他   他   自       
  広辞苑7   他    自他  なし   自

 

この中で問題なのは「誇る」で、「歴史と伝統を誇る」「日本一の高さを誇るビル」という用例をあげて、自動詞としている点です。これはどうして他動詞と言えないのでしょうか。

岩波も自動詞とします。
  
  誇る〘五自〙 「権勢を―」「無敵を―チーム」「日本一の高さを―ビル」 岩波

 

(23)(24)
        送る  暮らす ど忘れする   焦る  恥じる  気取る 

  新明解8   他  自     他     自   自他   自他  
  明鏡3   自他  自    自他     自他  自他   自他  
  三国7    他  自他   自      自   自他   自   
  岩波8    他  自他   自他     自他  自    自   
  学研新6   他  自     他     自他  自他   自他  
  三現新6   他  自他   自他     自   自    自   
  小学日    他   (自)他   表示なし  自   自    自他  
  集英社3   他  自他   動詞なし   自   自    自他  
  旺文社11   他  自他    他     自   自    自他  
  新選9    他  自他    他     自   自    自   
  広辞苑7   他   (自)他   なし     自   自    自

 

「送る」は「暮らす」と同様の意味の「幸福な日を送る」(広辞苑の用例)という場合です。これを他動詞とするのは不思議ではありませんが、「暮らす」では自動詞の用法を認める辞書が多くなり、自動詞のみとする辞書もあります。

 

  暮らす(自五)「日がな一日を読書をして━」「夏はいつも田舎で━」  
    「都心のマンションで一人で━」「贅沢に[つましく]━」   明鏡

  暮らす (自五)((なにヲ)-/(なにデ)-)「わずかな収入で今まで何とか
    暮らして来た/自由気ままに-/遊び-」   新明解

 

明鏡は「日がな一日を」という「~を」の例をあげていますが、自動詞とします。
新明解には「~を」の用例はありませんが、「(なにヲ)-」という文型表示があります。それでも自動詞とします。

 

  暮らす〘五他自〙「気楽に―」「本を読んで―」   岩波

 

岩波は、どういう場合に「他」「自」なのかはわかりません。

広辞苑は、他動詞としますが、自動詞的用法を認めています。

 

  (自動詞的に)「都会で暮らす」「この収入で一家五人が暮らす」  広辞苑

 

「暮らす」での「~を」の扱いを考えると、「送る」での「~を」の扱いについても考え直す必要があります。

「焦る」「恥じる」「気取る」については、広辞苑は「勝ちを焦る」「罪を恥じる」「英雄を気取る」という用例をあげながら、すべて自動詞としています。その根拠は「文法概説」には書いてありません。

それらを他動詞と考える辞書も多くあります。

 

(24)
        心がける いつわる  うらやむ つとめる 突き出す

  新明解8  (自)他    他      他    自他    他 
  明鏡3   (自)他    他      他    自他   自他 
  三国7     他   自他    他    自他   自他 
  岩波8    自他    他    自     他    他 
  学研新6    他    他     他   自他   自他 
  三現新6    他   自他     他   自他   自他 
  小学日     他    他     他   自他    他 
  集英社3    他    他     他   自他    他 
  旺文社11    他    他     他   自他   自他 
  新選9     他    他     他   自他    他 
  広辞苑7    他    他     他    他    他

 

広辞苑はこれらの動詞をすべて他動詞としますが、他の辞書はいくつかに自動詞の用法を認めています。

「心がける」で、「倹約を心がける」は他動詞でしょうが、広辞苑の「健康に心がける」は他動詞の用法でしょうか。「何を」「健康に心がける」のでしょうか。

「つとめる」の様々な用法をすべて他動詞とする、つまり、「勤める」も他動詞とするのは岩波と広辞苑だけです。「会社に勤める」(広辞苑
これは無理があるんじゃないでしょうか。(「会長を務める」は他動詞です。)

「突き出す」に自動詞の用法を認める辞書があります。「突き出る」と同じような意味になる用法です。

 

  突き出す(自五)突き出る。「おなかが-・陸地が海へ-・煙突が突き出した洋館」
                                  三国

  突き出す(自五)その物の一部が外や前の方へ張り出す。突き出る。
    「庭に━・した窓」    明鏡

  学研新(自)「丸太が斜めに-・ている」  三現新(自)「大きな岩が-」

 

これらを広辞苑はどう考えるのでしょうか。他動詞とするのでしょうか。

 


広辞苑の「自動詞・他動詞」の判定基準がはっきりしないことを、多くの例を通してみてきました。

まず、「移動を表す動詞」の場合、

  「空を飛ぶ」「弾の下を逃げる」などは、「を」は移動する場所を示す語で、
  「飛ぶ」「逃げる」は自動詞である。  第六版「日本語文法概説」p.198

という一般論はいいのですが、実際に「越える・越す」以下の動詞を見ていくと、どうにも説明の付かない自他の判定をしているように思われます。

また、発話行動の動詞や心理関係の動詞は、どの辞書も自他の判定に苦労しているようですが、広辞苑もまた一貫した判定基準はないようです。「向く」や「休む」などでも、自他の判定基準ははっきりしません。

それらの「~を」の例をどう考えるか。「目的語」でないとするならば、それなりの説明が「文法概説」に必要でしょう。現在の「文法概説」は、自他の判定の難しさにまるで気付いていないようです。

それにしても、各辞書で判定が違いすぎます!
広辞苑は、同じ出版社の岩波国語辞典との間でもうちょっと調整してみてはどうでしょうか。辞書編集部の中ではどうなっているのでしょうか。)

 

広辞苑と「自動詞・他動詞」(3)

前回の記事の続きです。
広辞苑の動詞の自他判定を、他の十種の辞書と比較しながら検討していきます。

前の記事でとりあげた順に見ていきます。かっこ付き数字はその記事の番号です。
(「2021-12-11 国語辞典の「自動詞・他動詞」(7)」~)

 

(7)(8)
        割る 割り込む  向く 振り向く 振り返る
  新明解8   他  自    自    他    他 
  明鏡3   自他  自    自他  自他    他  
  三国7   自他  自他   自他  自     他 
  岩波8   自他  自    自   自     他 
  学研新6  自他  自    自他  自他    他 
  三現新6  自他  自他   自他  自     他 
  小学日    他  自    自   自    自他 
  集英社3   他  自    自   自     他 
  旺文社11   他  自他   自   自     他 
  新選9    他  自    自   自    自  
  広辞苑7   他   他   自   自    自


 
広辞苑は「割る」の他動詞の例として「大台を割る」「定員を割る」という用例をあげています。

すでに見たように、「こえる」では「気温は三〇度をこえる」「定員をこえる」という用例をあげ、自動詞としていました。

数量が減って「定員を割る」場合は他動詞で、増えて「定員をこえる」場合は自動詞というのは、どうにも理屈が通りません。(「定員を」が「目的語」になったりならなかったり…)

私が手元に持っている広辞苑は第五版(1998)だけですが、それを見ると、「下回る」は他動詞で、「上回る」は自動詞になっています。減るほうは他動詞で、増えるほうは自動詞? 一貫している!

ちょっと喜んだのですが、念のため、図書館へ行って第七版を見てみたら、残念なことに(?)「下回る」は自動詞に直されていました。(第六版でも他動詞です。)
考えが変わったのか、(六版までが)誤植だったのか。

 

他の辞書では、例えば岩波・三国(第七版)は、「割る」のこの用法を自動詞としています。(三国第八版は他動詞とします。(2022-01-06 国語辞典の「自動詞・他動詞」(28):三国第八版の自他))

 

   割る(自)「土俵を-」「相場が千円の大台を-」「定員を-」   岩波

   割る(自)1「土俵を割る」2「零下十度を-・(株価)が千円を・〔外国
     為替で〕ドルが百三十円を-〔=百二十数円になる〕」   三国第七版

 

この「~を」は「抽象的な移動の場所」とでもいうような解釈でしょうか。

広辞苑の「割り込む」の例は「行列に・話の中に 割りこむ」で、「~を」の例はないのですが、他動詞とします。

他の辞書では「大台を割り込む」「気温が十度を割り込む」などの例があり、それでも自動詞だったり、他動詞にしたりしています。

 

具体的な動作を表す動詞で、「向く」「振り向く」では「右を向く」「後ろを振り向く」という例をあげて、自動詞とします。「対象」でないとするならば何なのか。「移動の場所」ではないわけですが。

「向く」「振り向く」「振り返る」の3語とも自動詞としたのは、十種の国語辞典では新選だけでした。広辞苑はそれに与しています。(しかし、他の辞書はなぜ「振り返る」だけを他動詞としたりするのでしょうか。)



(9)
       持ち越す 持ち寄る 稼ぐ  振りかぶる 降り込める かみつく
  新明解8   他   自   自他   自     自      他  
  明鏡3   自     他  自他    他     他    自    
  三国7    他    他  自他    他     他    自    
  岩波8    他    他  自     他     他    自    
  学研新6   他    他  自他    他     他    自    
  三現新6   他    他  自他    他     他    自    
  小学日    他    他  自他    他     他    自    
  集英社3   他    他  自他    他     他    自    
  旺文社11   他    他  自他    他     他    自   
  新選9    他    他  自他    他     他    自    
  広辞苑7   他   自   自(他)  自       他    自

 

広辞苑は「持ち寄る」を自動詞としていますが、用例は「料理を持ち寄る」で、この「~を」は対象と言っていいんじゃないでしょうか。これは新明解と同じで、かなり少数派です。

「稼ぐ」は自動詞とし、一つの用法として、(他動詞として)「手間賃を・点を・時間を 稼ぐ」という例をあげています。

「振りかぶる」を自動詞とするのはまた新明解だけだったのですが、広辞苑も自動詞とします。
これは、岩波の「刀を大上段に―」という例を見れば、他動詞の用法があるのは明らかでしょう。

新明解が「かみつく」を他動詞としているのは、「足にかみつく」のような例の「足に」は、「動詞が表す動作の対象を表す名詞」つまり「目的語」と言えないか、という考え方によるものだろうと思われます。

広辞苑は、他の辞書と同じように自動詞とします。ただし、広辞苑自身の自動詞の説明「動作の影響が及ぶ対象がなく」に反します。「足にかみつく」のですから、どう考えても「動作の影響が及ぶ」でしょう。

 

(10)
       勝つ 勝ち抜く 引き分ける 競う 競り合う   しのぐ   抜く  
  新明解8 自   自    自他    他  自     他    自他  
  明鏡3  自   自    なし    他  自他    自    自他  
  三国7  自他  自他   自他    他  自     他     他  
  岩波8  自   自     他   自    他    他     他  
  学研新6 自   自    なし    他  自他    他     他  
  三現新6 自   自    自他    他  自他    他     他  
  小学日  自   自    自    自他  自他    他     他  
  集英社3 自   自    自他   自   自     他     他  
  旺文社11 自   自    なし   自他  自他    他     他 
  新選9  自   なし   自他   自他  自他    他     他  
  広辞苑7 自   自     他     自   自      他     他

 

広辞苑は「勝つ」「勝ち抜く」をともに自動詞としていますが、「勝ち抜く」には「予選を勝ち抜く」という用例をあげています。これは「目的語」ではないのでしょうか。

三国も「最終予選を勝ち抜く」「激しい生存競争<を/に>勝ち抜く」という例をあげて、他動詞の用法を認めています。

三国は、「勝つ」にも「菊花賞を勝つ」という例をあげており、他動詞用法を認めています。

「引き分ける」で、多くの辞書が他動詞用法とするのは、広辞苑の1の用法と同じです。

 

  引き分ける 1ひきはなして別々にする 2(勝負事や試合などで)勝ち負けが
    決まらないまま終わる。     広辞苑

 

2の用法は、多くの辞書は自動詞とします。

岩波だけが「勝負を引き分ける」という例をあげ、他動詞としていたのですが、広辞苑もこれに加わりました。広辞苑の2には用例がありません。

「競う」には「わざを競う」という用例がありますが、自動詞としています。

岩波と集英社が「腕・開発 を競う」などの例をあげながら、自動詞としているのと同じです。

どういう根拠で、この「わざ・腕」が「対象」でないと考えるのか。 

岩波は「選手権を競り合う」は他動詞とします。そこの論理は? 「~合う」だから? では「競い合う」は?

集英社は「一等賞を競り合う」を(「競う」と同じく)自動詞とします。

広辞苑は「競り合う」も自動詞とします。

複合動詞のデータベースを見ると、「~を競り合う」の例は確かにあります。

 ・残り2議席を民主・男性現、公明・竹谷、共産現で激しく競り合う状況に
 ・高知市議選は34議席を50人で競り合う大混戦。
 ・東京選挙区の議席を競り合う上位候補に全く紹介されなかった
 ・生産量はここ数年、鹿児島県と愛知県がトップを競り合う状態で

これらの例を知りつつ自動詞とするなら、どういう説明をするのでしょうか。

 

(11)
        頼る 働きかける 話しかける 教わる ならう 授かる 
  新明解8  自他   他    自      他   他  自他 
  明鏡3    (自)他  自      他     他  自他   他 
  三国7   自他  自     自      他  自他   他 
  岩波8    他  自     自      他  自他  自  
  学研新6  自他  自     自      他   他   他 
  三現新6   他  自     自     自   自他  自他 
  小学日   自他   他     他     他  自他  (自)他
  集英社3   他  自     自     自    他  自他 
  旺文社11  自   自     自      他   他  自他 
  新選9   自   自     自      他   他   他 
  広辞苑7  自    他     他     他   他   他 
                           (自は 倣う)

  

「頼る」では、「人を頼る」「先輩を頼る」という例をあげながら、自動詞とします。なぜでしょう。

「働きかける」「話しかける」を他動詞としますが、その根拠となる用例はありません。
これらを他動詞とする辞書は少数派です。

「働きかける」で「~を」の用例をあげているのは新明解だけです。

 

  働きかける 「和平(合併)を-/事故の再発防止を国に-」  新明解

 

「話しかける」では「~を」の用例をあげている辞書はありません。

データベースを見ると、次のような実例があります。

 ・そうですね〜 話しかけるには何を話しかけるか考えないといけませんね。
 ・夫に何を話しかけても、返ってくる答えは、
 ・赤ちゃんに何を話しかけますか?
 ・お母さんというのは、赤ちゃんにいろいろなことを話しかけます。
 ・自然なきっかけ作りをするなら、あくまでいきなり突飛なことを話しかけるよりも、
  日常のあたりまえに話すことを

広辞苑はどういうデータをもとにして他動詞としているのでしょうか。

 

(12)

「~合う」の形の複合動詞を。


       話し合う だき合う もみ合う  張り合う やり合う 掛け合う
  新明解8  自     他   自     自    自他   自他 
  明鏡3    他   自他   自     自他   自他   自他 
  三国7   自    自    自     自    自    自  
  岩波8   自他   なし    他    自    自     他 
  学研新6   他   自他   自     自他   自他   自他 
  三現新6  自    なし   自     自他   自    自  
  小学日    他   自    自     自     他   自他 
  集英社3  自他   自     他    自    自    自他 
  旺文社11  自    自    自      他   自    自他 
  新選9   自他   なし   自     自    自    自他 
  広辞苑7   他   自     他    自(他)   他   自(他)

 

「話し合う」を自動詞のみとする辞書があるのが不思議です。広辞苑は他動詞のみ。

「抱き合う」では明鏡が「肩を抱き合う」という用例を出しています。広辞苑は自動詞のみ。「肩を抱き合う」はどう考えるのでしょうか。

「もみ合う」を他動詞とする辞書は、「~を」の例をあげていません。広辞苑も用例なしで他動詞。

「張り合う」では、明鏡が「意地を張りあう」という例をあげています。他の辞書は「~の座を張り合う」という例を。広辞苑は(他動詞的にも使う)としています。

岩波は「やり合う」を自動詞とし、「大声で上司とやり合う」という例をあげています。他動詞とする広辞苑は、これも他動詞の用例と考えるのでしょうか。
他動詞としての例は、「販売競争を・応援合戦を」などが他の辞書であげられています。

「掛け合う」は明鏡が「立ち退くように店子と掛け合う」「プールで水を掛け合う」という例を、それぞれ自動詞と他動詞の例としています。広辞苑は、(他動詞として)「水を・声を掛け合う」とします。

 

(13)
       待ち合わせる 押し通す かっ飛ばす  浴びる 踊る 
  新明解8   他    他     他      他  自他 
  明鏡3    他    他     他      他  自(他)  
  三国7    他    他     他      他  自    
  岩波8   自    自他    自他      他  自    
  学研新6   他    他     他      他  自(他)
  三現新6   他    他     他      他  自  
  小学日    他    他     他      他  自    
  集英社3   他    他     他      他  自  
  旺文社11   他   自他     他      他  自  
  新選9   自     他     他     自   自  
  広辞苑7   他    他     他      他  自 

 

「まちあわせる」で、「駅で人と待ち合わせる」では「~を」という要素は不要でしょうから、自動詞と考えられ、「バス・列車を待ち合わせる」ではもちろん他動詞ですから、「自他」とするのがいいと思うのですが、なぜかそういう辞書はありません。

広辞苑は「駅で待ち合わせる」のみで他動詞。「~を」はありません。

「押し通す」は、「自説を押し通す」(岩波例)で他動詞なのは当然として、「一生、独身で押し通す」(岩波)のような使い方を自動詞とするかどうかです。

データベースには次のような例があります。これらは自動詞用法と考えていいでしょうか。

 ・自分の独創的な価値観を持ち、理屈で押し通すところがあるようです。
 ・島国とは、世界の国々が見えず、自国だけの勝手な論理で押し通す国である。

「踊る」では、多くの辞書(広辞苑を含む)が「ワルツを・白鳥の湖を~」などの例を自動詞と見なします。それはどういう根拠によるものか。

 

(14)
       サボる 怠ける おこたる 休む  避ける よける
  新明解8   他  自   自他  自他    他   他
  明鏡3   自    他   他  自他   自他  自他
  三国7   自   自他  自   自     他   他
  岩波8   自他  自他  自   自他    他   他
  学研新6  自   自    他  自    自他   他
  三現新6  自他  自他  自   自     他   他
  小学日    他  自他   他  自(他)    他   他
  集英社3  自    他   他  自     他   他
  旺文社11   他  自他   他  自他    他   他 
  新選9    他  自    他  自     他   他
  広辞苑7  自   自他   他  自     他   他

 

広辞苑は「サボる」「休む」を自動詞としますが、その用例には「学校をサボる」「勤めを休む」「毎朝の散歩を休む」があります。これらを他動詞の例としない理由は何でしょうか。

しかし、「おこたる」は他動詞とし、「怠ける」にも他動詞の用法を認めます。そこに、一貫した論理的な説明ができるでしょうか。

同じ出版社の岩波は、「サボる」「休む」に他動詞の用法を認めながら、なぜか「おこたる」は自動詞とします。社内で調整が必要じゃないでしょうか。

 

広辞苑と「自動詞・他動詞」(2)

前回の記事の続きです。

少し前に十種の国語辞典で調べた動詞を広辞苑がどう判定しているかを見ていきます。
前の記事でとりあげた順に見ていきます。かっこ付き数字はその記事の番号です。
(「2021-12-05 国語辞典の「自動詞・他動詞」(1)」~)

 

(1)(2)(3)(4)
      越える 越す 飛び越える 飛び越す 乗り越える 乗り越す 乗り過ごす
 新明解8  自  自   自     自    自     自      なし  
 明鏡3   自  自   自     自    自     自      自   
 三国7   自  自   自      他   自      他     他  
 岩波8   自  自他  自      他   自      他    自   
 学研新6  自  自   自     自    自     自      自   
 三現新6  自  自    他     他   自      他    自   
 小学日   自  自   自     自     他    自      自   
 集英社3  自   他  自     自    自     自      自   
 旺文社11  自  自他   他     他    他     他    他 
 新選9   自  自    他     他    他     他    自   
 広辞苑7  自  自他   他     他   自      他    他

 

広辞苑は「越える(超える)」を自動詞、「越す(超す)」を他動詞とします。岩波・旺文社・集英社も同じ。その根拠はわかりません。(「越す」の「自」は(現代語では)「引っ越す」を意味する場合と「お越しください」などの敬語表現のみ。岩波・旺文社も同じ。)

広辞苑の「越える」の用例は「国境をこえる」「冬をこえる」「気温は三〇度をこえる」「定員をこえる」などで、「越す」の用例は「先をこす」「冬をこす」「五十をこす」「難関をこす」などです。(広辞苑の用例では、その語は「-」で置き換えられているので、漢字表記はわかりません。読みやすくするためにかなで示しておきます。)
「冬を越える」は自動詞で、「冬を越す」は他動詞。この違いは私にはわかりません。

前回引用した第七版の「文法概説」から。

 

   動詞は目的語を必要としない自動詞と、目的語を必要とする他動詞と
  に分けられる。他動詞の「切る」では、「木を切る」のように、動作の
  影響が及ぶ「木」を目的語として表現する。自動詞では、動作の影響が
  及ぶ対象がなく、たとえば「走る」では対象を示す必要がない。

 

動詞の例を置き換えてみます。

 

   動詞は目的語を必要としない自動詞と、目的語を必要とする他動詞と
  に分けられる。他動詞の「越す」では、「冬を越す」のように、動作の
  影響が及ぶ「冬」を目的語として表現する。自動詞では、動作の影響が
  及ぶ対象がなく、たとえば「越える」では対象を示す必要がない。

 

これを読んで、「なるほど。確かにそうだよなあ。」と思う人はいるのか。
「冬」に「動作の影響が及ぶ」というのはどういうことか。

もちろん、「冬」でなくて「国境」でも同じです。「国境を越す」と国境に影響が及び、「国境を越える」場合は国境に影響が及ばない。ふーむ。

「越す」も自動詞とする辞典が多くあります。私は、そちらに賛成します。「動作(移動)の場所」にすぎません。

 

広辞苑は、他の小型国語辞典と違って、古典語も対象にしています。それによる違いもあるかもしれません。ただ、その動詞を「自」「他」と表示するということは、現代語でも「越える」は自動詞で、「越す」は他動詞だと主張しているのだと考えていいでしょう。その違いは何か。

 

広辞苑は「飛び越える・飛び越す」はどちらも他動詞とします。(旺文社・新選と同じ。)
「飛び越える」の語釈(?)は、

 

  とびこえる 「とびこす」に同じ。   広辞苑

 

これは岩波と違います。岩波は「飛び越える」は自、「飛び越す」は他。一貫(?)しています。

「越える」と「飛び越える」の違いは何か。前者が自動詞であり、後者は他動詞であるとするのはどういう根拠によるのか。

「飛び越す」の用例は「垣根を飛び越す」「先輩を飛び越して出世する」です。「垣根を飛び越える」とも言えるわけですが、それは他動詞で、「垣根を越える」というと自動詞なのか。

「乗り越える」を自動詞とします。「塀を・先輩を・試練を・暑い夏を」などが用例にあります。

例えば「垣根を飛び越える」を他動詞とし、「塀を乗り越える」を自動詞と考えるなら、その違いは何なのでしょうか。前者は「行為の対象」で、後者は「移動の場所」でしょうか。

また、広辞苑の「試練を乗り越える」、他の辞書の「危機・困難を-」「悲しみを-」などの例で、これらの名詞を「移動する場所を示す語」と見なせるかどうか。むしろ「対象」ではないかという問題もあります。そうすると、それらの語を「~を」としてとる用法は他動詞だ、という説も成り立ちます。さて。

「乗り越す」には「物の上を越して進む。のりこえる。」という用法がありますが、他動詞とされます。用例は「塀を-」です。自動詞の「乗り越える」にも、まさに「塀を-」がありました。

「こえる:こす」「乗り越える・乗り越す」の対は、自動詞:他動詞とされ、「飛び越える:飛び越す」はどちらも他動詞なのです。まったく、わけがわかりません。


「乗り越す」は「乗り越える」に対応する意味の場合と、ぜんぜん別の、交通機関に関係した用法の場合があります。後者に関係する「乗り過ごす」も一緒に並べてみました。

広辞苑は「乗り越す」「乗り過ごす」を他動詞としています。用例は「塀を乗り越す」「一駅乗り越す」「うっかり一駅乗り過ごす」です。「乗り越える」は自動詞でした。
これらを自動詞とする辞書も多くあります。それぞれ、その根拠はどういうものでしょうか。

 

「乗る」の複合動詞と、その類義の動詞を。


      乗り継ぐ 乗り換える 乗り入れる 乗り出す 乗り切る 切り抜ける  
 新明解8   他    他     他    自他   自     他
 明鏡3    他   自他     他    自他   自     他
 三国7    他   自他    自他    自    自     他 
 岩波8    他   自     自他    自他   自    自    
 学研新6   他    他     他    自他   自     他 
 三現新6   他   自他     他    自他   自     他  
 小学日   自    自      他    自他   自     他   
 集英社3   他    他    自他    自他   自     他
 旺文社11   他    他     他    自他   自他    他
 新選9   自    自     自他    自    自他    他
 広辞苑7   他    他     他    自(他)  自     他
                                (新潮現代 自)

 

交通機関に関わる意味の動詞と、少し違う意味の「乗り出す」以下の動詞です。

広辞苑は「乗り継ぐ」「乗り換える」「乗り入れる」を他動詞とします。
しかし、「乗り換える」の用例は「急行に乗り換える」「多数派に乗り換える」だけで、他動詞とするための根拠にはなりません。

明鏡は「電車から/を バスに乗り換える」という用例をあげています。この「~を」を示すことが必要です。

また、三省堂現代新は、

 

  乗り換える(自他動下一)2利用していたサービスを、別の会社のものに変更
    する。「スマホを-・電力会社を-」  三現新
 
という用法をとりあげています。こういう例を見ると、他動詞を認めない岩波などはどうなんだろう、と思います。

「乗り入れる」の広辞苑の用例は、「車を乗り入れる」と「私鉄が地下鉄に乗り入れる」です。いい例だと思いますが、後者は他動詞の例と言えるでしょうか。これを自動詞と認めると、いくつかの辞書がそうであるように「自他」という判定になります。

「乗り出す」は基本は自動詞とし、「(他動詞として)「膝を乗り出す」」という用例をあげています。

「乗り切る」で、新明解は「危機(難問山積の局面・難局・不況)を-」などの例を出しているのですが、自動詞とします。広辞苑も「早瀬を・危機を・真冬を」という例を出しながら、自動詞とします。

では、同じ新明解の「切りぬける」の「難局(危機・困難な局面・その場)を-」をどう考えるか。

これらの例では「乗り切る」も「切りぬける」も同じ用法と考えていいでしょう。それで、片方を自動詞とし、他方を他動詞とするのはなぜか。新明解の用例を多く出す態度が、その中にある問題を明らかにしています。

広辞苑は「難局を切り抜ける」という用例をあげていて、同じ問題を抱えています。「危機を乗り切る」は自動詞、「難局を切り抜ける」は他動詞というのは無理があります。

どちらも自動詞とする(岩波・新潮現代)か、あるいはどちらも他動詞とする(旺文社・新選)か。 

 

(5)
       引っ越す 引き払う くぐる かいくぐる
  新明解8   他    他   自   自   
  明鏡3   自(他)   他   自   自   
  三国7   自    自     他   他  
  岩波8   自     他   自    他  
  学研新6  自    自    自   自   
  三現新6  自    自     他   他  
  小学日   自     他   自   自   
  集英社3   他    他   自   自   
  旺文社11  自    自     他  自   
  新選9   自    自    自   自   
  広辞苑7  自     他   自   自

 

「引っ越す」は、「マンションに引っ越す」なら自動詞ですが、明鏡は、

 

  「都心のマンション を/から-・して郊外に移り住む」  明鏡

 

という例をあげています。これはどちらも自動詞と見なしているのでしょうか。

 

  [語法]「銀座から新宿に事務所を-」のように、他動詞としても使う。  明鏡

 

これを他動詞と見なして別にしていますから。

新明解は、

 

  引っ越す(他五)住居や店・事務所・工場などを他の場所に移す。「転勤に伴って
    大阪に引っ越した/社屋を都心に-」   新明解

 

「社屋を都心に引っ越す」という例をあげ、他動詞としています。しかし、基本的な「大阪に引っ越した」をどう考えるのか。

「引っ越す」もなかなか自他の判定の難しい動詞です。

広辞苑は、そういう問題は気にせず(知らず?)、自動詞とします。  
「引き払う」は「東京を-」という例をあげ、他動詞とします。「マンションを引っ越す」は?

広辞苑は「くぐる」で「のれんをくぐる」「法の網をくぐる」という用例を出していますが、自動詞とします。「かいくぐる」でも「非常線をかいくぐる」という用例を出し、自動詞とします。

これらの「を」も「移動する場所を示す語」と見なしているようです。「法の網」は場所か。

 

(6)
       殴り込む 切り込む 攻め込む 攻め入る 攻めかける 攻めあぐむ
  新明解8  自    自他     他   自     他    自    
  明鏡3   自    自他   なし   なし   なし    自他    
  三国7    他   自他    自     他   なし     他  
  岩波8   なし    他   自    自    自     自他    
  学研新6  なし   自他   自    自    なし     他   
  三現新6  なし   自他   自    自    なし     他   
  小学日   自    自    なし   なし   なし    自     
  集英社3  なし   自    自    自    自     自     
  旺文社11  なし   自     他   自     他    自     
  新選9   なし   自    自    なし    他    自     
  広辞苑7  自    自他   自    自    自     自

 

「殴る」「切る」「攻める」はみな他動詞と考えられますが、「-込む」などが付いて複合動詞になると自動詞になることがあります。それをどう判定するか。

この中で問題となるのは「攻めあぐむ」で、他動詞用法を認める辞書の用例は、

  三省堂現代新「好投手を攻めあぐむ」  明鏡「鉄壁の守備に/を 攻めあぐむ」

一方、自動詞とする辞書の用例に、

  小学日本語新「敵の砦を攻めあぐむ」  新選「城を攻めあぐむ」

とあり、これらは他動詞でないかと思います。

広辞苑の編者は、これらの例を知らないのか、知っていても自動詞とするのか。

その他の動詞については、広辞苑は他の多くの辞書と同じく妥当な判断をしているようです。


以上、移動に関係する動詞と、その周辺の動詞をいくつか見てきました。

これらを見ただけでも、広辞苑の自動詞と他動詞の区別、その品詞認定の基準・運用がどうにもはっきりしないものだということがわかります。

「移動の場所」を表す「~を」は「目的語」と見なさない、という基本方針はいいのですが、実際に一つ一つの動詞を見ていくと、何を「目的語」とするのか、はっきりした判断基準があるのかどうか疑われます。

 

広辞苑と「自動詞・他動詞」

前に、「国語辞典の「自動詞・他動詞」」という題の記事を長く書きました。
(「2021-12-05 国語辞典の「自動詞・他動詞」(1)」~「2022-01-29 国語辞典の「自動詞・他動詞」(33):いろいろな意見」)

多くの動詞について、十種の国語辞典が自動詞とするか他動詞とするかを調査して一覧表にし、その判定の根拠、問題点などを考えたものです。

その時は広辞苑をとりあげていなかったので、今回、調べてみることにしました。

以前の記事をまとめた表(「2022-01-04 国語辞典の「自動詞・他動詞」(26):自他比較表一覧」)に広辞苑を加えたものを作り、広辞苑の判定についての疑問点などを述べていきます。

十種の辞典の比較とその問題点については前の記事を参照してください。(三国は第七版のままです。新選も第九版。)

 

初めに、広辞苑が「自動詞・他動詞」をどうとらえているのかを見ていきましょう。まず、辞書本文の項目から。「自動詞」「他動詞」をどう説明しているか。

 

  自動詞 他人や物に作用を及ぼさない行為・変化・状態を表す動詞。目的語が
    なくても意味が完結する。「走る」や「咲く」の類。⇔自動詞  広辞苑

  他動詞 他の人や物に作用を及ぼす行為を表す動詞。これを述語に含む文は
    通常目的語がないと意味が完結しない。日本語では、目的語として多く
    助詞「を」を添えて表す。「本を読む」の「読む」の類。⇔自動詞  広辞苑

 

「自動詞」とは「他人や物に作用を及ぼさない行為・変化・状態を表す動詞」です。ここで「作用を及ぼさない」とはどういうことか。また、「目的語がなくても意味が完結する」とありますが、「目的語」とは何か。「意味が完結する」とは。

「他動詞」は自動詞と反対で、「他の人や物に作用を及ぼす行為を表す動詞」です。「変化・状態」はありません。「行為を表す動詞」です。「これを述語に含む文は通常目的語がないと意味が完結しない」とありますが、「意味が完結しない」とはどういうことか。

 

「目的語」「作用を及ぼす/及ぼさない」「意味が完結する/しない」、これらがキーワードです。

まず、「目的語」とは。

 

  目的語〔言〕(object)文の成分の一つ。動詞が表す動作の対象を表す名詞(句)。
   動作の直接的な対象を表す直接目的語と、動作の利益や間接的な影響を受ける
   ものを表す間接目的語とに分れる。国文法では連用修飾語と見なし、目的語と
   いわないこともある。客辞。客語。   広辞苑

 

「動詞が表す動作の対象を表す名詞(句)」です。ここで問題なのは、「動作の対象」です。

上の例「本を読む」でいえば、「読む」という動作の「(直接的な)対象」が「本」だということでしょう。(「対象」とは何か、と言い出すと大変なので、ここはわかったことにします。)

「走る」や「咲く」には、そういう「対象」となるものは関係しない、ということです。

しかし、「直接目的語」と「間接目的語」というのは何でしょうか。英語の文法の中で聞くことばで、日本語の文法ではあまり使われない言い方です。ここは言語一般について言っているのでしょうか。

日本語に「直接目的語」と「間接目的語」があるなら、それらはどのように表され、区別されるのか。

上の「目的語」の説明はちょっと中途半端です。「他動詞」のほうの説明(「日本語では、目的語として多く助詞「を」を添えて表す」)とうまくかみ合っていません。
編集者は、「他動詞」と「目的語」の項目を比べて内容の整合性を検討したのでしょうか。

最後の「国文法では連用修飾語と見なし、目的語といわないこともある。」というのは、まあいいとします。これは、「国文法」のほうが大ざっぱすぎるのです。

 

「作用を及ぼす」という言い方、他動詞の意味をどう特徴づけるかについては、後で触れます。

 

「意味が完結する」について。
自動詞のほうで、「目的語がなくても意味が完結する」とあるのは、「自動詞の意味が完結する」ということでしょうか。

しかし、他動詞のほうでは、「これを述語に含む文は通常目的語がないと意味が完結しない」とあって、「意味が完結しない」のは「(これを述語に含む)文の意味」です。
これは、自動詞のほうの書き方が不注意なのでしょう。

では、「文の意味が完結する」とはどういうことか。

自動詞の場合、例えば「汽車が走る。」「花が咲く。」と言えば、それだけで一つの事柄を表す、と言えます。どこで、とか、どんな汽車・花なのか、などは言わなくていい。一つのイメージ、「絵」が心の中に浮かぶわけです。(文には「イメージ」で表せないものも当然ありますが、その話はひとまずおいて。)

しかし、他動詞の場合、「母が読む。」だけではどうも落ち着かない。「何を?」と言いたくなる。「母が食べる。」でも同じです。何を食べるのか、が足りない感じがする。(もちろん、「文脈」から推測できる場合は別です。)
「文の意味が完結する」ためには、「読む」の「目的語」が要る。それは「~を」で表される。

 

だいたいこのような話だろうと思うのですが、「文の意味が完結する」という場合、上の例でも補っておいたように、いわゆる「主語」の存在が前提となっています。
「本を読む」だけで「文の意味が完結する」わけではない。

「目的語」は「文の成分の一つ」です。「文の成分」でまず必須なのは「主語」と「述語」(動詞など)です。その二つだけで成り立つのが「自動詞」の場合で、「他動詞」は「目的語」が要る。

 

  文〔言〕(sentence)形の上で完結した、一つの事態を表す言語表現の一単位。
     通常、一組の主語と述語とを含む。     広辞苑

 

わからないところはいろいろありますが、とりあえず、「他動詞」と「目的語」の関係の話は以上でだいたいいいでしょうか。

こういう典型的な例だけなら、ここまでの話はわかりやすいものですが、実際に多くの動詞を見ていくと、そんなにかんたんな話でないことがすぐにわかります。

 

もう一つ、「他動詞」の「日本語では、目的語として多く助詞「を」を添えて表す」の「多く」がちょっと気になります。「~を」でない目的語があることを示唆しているのか?

先ほどの「間接目的語」の話と、ここの「~を」でない目的語の話とがつながっているのかどうか、その辺りが問題なのですが、上に引用した内容だけでは何もわかりません。

 

以上のように、辞書本文の項目「自動詞」「他動詞」を調べてみても、非常に基本的な話のみで、実際の動詞の自他判定にはあまり役立ちそうもありません。

 

次に、広辞苑の「日本語文法概説」の「動詞」から、自動詞と他動詞の説明をした部分を引用します。

辞書本文の項目とは違った、より詳しい説明があるはずです。

第五版・第六版・第七版でそれぞれ書き方が違います。一つずつ見ていきます。

まず、第五版から。

 

 広辞苑 第五版(1998) 付録p.2891
   動詞は、他動詞・自動詞と二種類に分けることができる。日本語では、
  「立てる」「立つ」「割る」「割れる」のような、語根は同じで、活用
  の違う語がある。「立てる」「割る」は、何かがその事態の起る因をなし
  たという意味があり、「立つ」「割れる」は、自然とその事態が生じた
  という意味があって、前者を他動詞、後者を自動詞と区別することが
  できる。ヨーロッパ語などでは、目的語を取る他動詞、取らない自動詞
  という区別をする。ヨーロッパ語では、他動詞・自動詞の間には、前者
  は受け身の形となるが、後者はならないといった違いもあるなど、有効な
  区別といえるが、日本語では「会議を終える」「会議を終わる」のように
  自動詞・他動詞の区別が文の上に明確に現れず、「先に行かれた」のよう
  に自動詞も受け身になるなど、自動詞・他動詞の区別が言葉の形式の上に
  現れるとは限らない。このような点から、日本語において他動詞・自動詞
  を区別することに意味がないとする考えもあるが、「立てる」「立つ」など
  の違いを認識する点を考慮し、本書では、動詞の自他の別を付すこととした。

 

まず、動詞は自動詞・他動詞に分けられる。(これは言語一般の話のようです。)

「日本語では」と限定して、「語根は同じで、活用の違う語」の対があることをまず述べます。
その片方が「何かがその事態の起る因をなしたという意味があり」、もう片方が「自然とその事態が生じたという意味」があるとします。(ここまでの説明は「形態」と「意味」の話です。)

そして、「前者を他動詞、後者を自動詞と区別することができる」というのですが、ここでは「他動詞・自動詞」というもの、そのものの説明がまだないのですね。ですから、なぜ「前者を他動詞」とするのか、「後者を自動詞」とするのかということはわからないはずです。でも、「区別することができる」と言ってしまいます。

すぐ次に「ヨーロッパ語などでは、目的語を取る他動詞、取らない自動詞という区別をする」と述べるのですが、この「目的語を取る・取らない」ということと、上の「何かがその事態の起る因をなした/自然とその事態が生じた」との関係というか、質の違いについてどう考えたらいいのでしょうか。
「目的語」の話は文法、より限定していえば構文論の話です。

その後の話は、結局日本語の構文論的な議論では「自動詞・他動詞の区別が言葉の形式の上に現れるとは限らない」ということになってしまい、しかし、「「立てる」「立つ」などの違いを認識する点を考慮し」という意味的な観点から「本書では、動詞の自他の別を付すこととした」という結論になります。

自動詞・他動詞の区別は、日本語では文法的なものでなく意味的な違いに基づくものだということのようです。しかも、自他の対のある動詞が基準になっています。
どうもすっきりしません。

 

意味の観点からの説明というのは、どうしてもきっちりした説明になりにくいところがあります。

上の「自然とその事態が生じた」という自動詞の説明は、例えば「立つ」の例として「人が立つ」を考えると、当てはまりません。それは意志的な行為です。「並ぶ・並べる」でもそうでしょう。自動詞の例、「校庭に生徒が並ぶ」のは、「自然とその事態が生じた」わけではありません。さらに言えば、意志的でない場合でも、「教室に机が並んでいる」のは「自然とその事態が生じた」ということはないでしょう。他動詞の「教室に机を並べた」は、「何かがその事態の起る因をなした」という説明が当てはまるでしょうが。

以上の自他の区別の基準で、「ある」「いる」「要る」「わかる」「行く」などの自他の判定はどのようになされるのでしょうか。

 

次に、第六版の説明を見てみましょう。

 

 第六版(2008) 別冊付録p.198
   動詞は自動詞・他動詞の二類に分けられる。本来は、この分類は西欧語に
  あったもので、自動詞は目的語を必要とせず、受け身にもならない、他動詞は
  目的語が必要であり、受け身にもなると説明される。しかし、日本語では、「本
  を読む」「字を書く」などでは、「を」の前の語が目的語であり、それがすべて
  の場合に当てはまるように見えるが、必ずしもそうとはいえない。「空を飛ぶ」
  「弾の下を逃げる」などは、「を」は移動する場所を示す語で、「飛ぶ」「逃
  げる」は自動詞である。つまり、「を」は目的語を示すとは限らない。また、
  自動詞が受け身になることもある(「ペットに逃げられた」など)。目的語が
  はっきりせず、必然的に動詞の自他を区別することも難しい。ただ、日本語
  では「割る」「割れる」、「壊す」「壊れる」、「集める」「集まる」など、
  対になって、活用の違いで意味の変わる(前者は誰かの故意の行為、後者は
  自然の成り行き)組み合わせの動詞があるので、それに自他を当てはめ、
  「割る」以下、前者を他動詞、後者を自動詞とする。なお、学校文法では、
  目的語という名称を使わず、修飾語の中に入れて説明されることが多い。 

 

まず、動詞は自動詞・他動詞に分けられる。ここは第五版と同じですが、次に「本来は」西欧語の分類で、日本語では「動詞の自他を区別することも難しい」と続きます。

しかし、その後で「ただ、日本語では」と続け、「対になって、活用の違いで意味の変わる(前者は誰かの故意の行為、後者は自然の成り行き)組み合わせの動詞があるので、それに自他を当てはめ、「割る」以下、前者を他動詞、後者を自動詞とする。」とします。第五版と同じ考え方です。

ただ、この第六版では、その「対」の意味の違いを「(前者は誰かの故意の行為、後者は自然の成り行き)」と言っています。
第五版の「何かがその事態の起る因をなした/自然とその事態が生じた」とは微妙に違います。

他動詞の意味を「故意の行為」と規定してしまうのは、明らかに行きすぎです。例えば、「月が照る:月が夜道を照らす」という動詞の対を考えると、どう見ても他動詞でも「故意の行為」ではありません。自然現象が他動詞で表されることもよくあるのです。「風が木を倒す/花を散らす」「雨が頬をぬらす」など。
ここは、第五版の「何かがその事態の起る因をなした」のほうがよいでしょう。

特に問題となるのは、その後の「それに自他を当てはめ」というところでしょう。単に、対となる動詞に「自他を当てはめ」たのでしょうか。ここはもう少し丁寧な説明が必要です。

これでは、「対」となっていない他の多くの動詞、「いる・行く・来る・遊ぶ・働く・勤める・読む・書く・食べる・飲む・笑う・悲しむ・死ぬ・殺す」など、いわゆるごくふつうに「自動詞/他動詞」と言われる動詞をどう考えるのか、という点が落ちています。

やはり、基本的には「目的語」の有無ということがあり、動詞とその「目的語」との関係をもう少し詳しく考えてみる必要があるでしょう。「移動の場所」その他の「例外」をきちんと検証していくことなども。

 

第五版と第六版は、多少の違いはあっても基本的な考え方は共通です。

現在の第七版の「日本文法概説」は、全体としては分量が大きく増えたのですが、動詞の自他の問題は逆にあっさりと書かれています。

 

 第七版(2018) 別冊付録p.201
   動詞は目的語を必要としない自動詞と、目的語を必要とする他動詞とに
  分けられる。他動詞の「切る」では、「木を切る」のように、動作の影響
  が及ぶ「木」を目的語として表現する。自動詞では、動作の影響が及ぶ
  対象がなく、たとえば「走る」では対象を示す必要がない。ただし、「街
  を走る」「試合に負ける」「人と会う」のように、動作に関連するものが
  「を」「に」「と」などの助詞で示されることも多い。「街を走る」の
  「街を」は、走る場所を「を」で示しているだけで目的語ではない。

 

西欧の言語の話はなし。受身の話もなし。第五版・第六版で自他を区別する中心的な根拠だった「対になる動詞」の話もなくなってしまい、単に「目的語を必要とする」かどうかの話になりました。

その目的語は、「動作の影響が及ぶ」語(対象)であるかどうか、によります。「たとえば「走る」では対象を示す必要がない」と考えられます。「街を走る」の「を」は、「動作に関連するもの」(走る場所)を示しているだけで、目的語ではないとされます。(「走る場所」という個別の動詞の話になってしまい、より一般的な「移動の場所」ではなくなっています。)

ただ、この「動作の影響が及ぶ」という説明ではおよそうまくいかない、ということは前の多くの記事で見てきたところです。(「2021-12-05 国語辞典の「自動詞・他動詞」(1)」~)

例えば、「望遠鏡でアンドロメダ星雲を見た」という例で、「望遠鏡で見た」という「動作の影響」が、どのように「アンドロメダ星雲」に「及ぶ」というのでしょうか。あるいは、「愛犬の死を悲しむ」と「愛犬の死」にどのような影響が及ぶのでしょうか。

このような「説明」ですませられたのは、昭和の前半ぐらいまでではないでしょうか。これが、平成の最後の年に出た第七版の説明だということ(そして、それ以外に何の詳しい説明もないということ)に、ちょっとがっかりします。

 

今回の記事の初めのほうで、辞書本文の項目「自動詞」「他動詞」を引用した時、「作用を及ぼす・及ぼさない」という説明があったのを覚えているでしょうか。それについては「後で触れる」と書いたことも。

こちらの表現のほうが、「影響を及ぼす」よりまだいいのではないかと思います。例えば「望遠鏡でアンドロメダ星雲を見た」という例でも、「見る」という行為は「アンドロメダ星雲」まで「及んでいる」と言えるでしょう。「影響」は及んでいませんが。
一言で言って、第七版の説明は第五版・第六版より後退しています。

 

以上、広辞苑の辞書本文の項目と付録の「日本語文法概説」で、「自動詞」「他動詞」の区別についてみてきましたが、結局、「目的語」を要するかどうかと、「動作の影響/作用が及ぶ」ということと、「走る場所」を示す「を」は別、というごくありふれた説明のみでした。

以上の説明で、辞書本文中のある動詞の品詞表示の根拠がわかるものかどうか、一つ一つ見ていきたいと思います。

この続きはまた次回に。

 

広辞苑の副詞(3)

「練習問題」の「解答編」の続きです。

広辞苑の「副詞」というものがわからない、という話です。

次の語が広辞苑でどういう品詞を与えられているか、それはなぜかを考えます。

  15さっぱり  16しっかり  17しっくり  18じっくり 
  19しばしば  20すっかり  21すっきり  22ずっしり 
  23たっぷり  24たんまり  25どっさり  26とつぜん 
  27ぴくり   28びっくり  29びっしり  30べたべた
  31ぼんやり  32まるっきり 33みっちり  34ゆっくり 
  35ぜったいに  36ほんとうに  37めったに

 

 15さっぱり

   広〔名・副〕1「風呂に入って-する」「-した気性」2「-した食べ物」
    3「-と忘れよう」4「-分からない」「景気は-だ」

 

広辞苑は「さっぱり」を〔名・副〕とします。名詞で、副詞です。

(「さっぱり」が名詞だと言うと、一般的には、「え? どうして?」という反応が普通ではないかと思われますが、広辞苑はそうするのです。また、副詞だというのは当然のことと感じられますが、前回の記事で見たように、広辞苑では副詞はかなり限られているのです。ここでの問題は、「さっぱり」はなぜ副詞とされるのか、です。)

名詞とするのは「さっぱりだ」という用法でしょうか。
副詞とされるのは「さっぱり~ない」という呼応をする用法でしょうか。それ以外はこれまでの名詞とされてきた語の用法と同じように見えます。
もしかすると、それ以外はすべて名詞扱い? 
用法が分けられるものなら、1〔名〕2〔副〕として、わかりやすく示してほしいですね。

 

 16しっかり

   広〔副〕1「-とした土台」「紐を-結ぶ」「事業の基礎が-している」
    2「-しろよ」「気を-持つ」「考え方が-している」3「-もうける」
    4「-食べる」「-と監視する」「-荷作りする」

 

「しっかり」も副詞とされます。

「紐をしっかり結ぶ」という用例がありますが、「きっちり」にも「紐をきっちり結ぶ」がありました。「きっちり」は(広辞苑では)名詞です。

 

 (再掲)10きっちり
       広1「紐を-結ぶ」「-とした服」「-窓を閉める」
        2「-説明する」「日程が-決まる」「-大さじ一杯」
        3「午後七時-に着く」

 

さて、どこが違うか。「-大さじ一杯」という名詞を修飾する用法と、「午後七時-に着く」という接尾語的な用法で「~に」が付くことでしょうか。それで副詞とはされなかった?

 

  広辞苑によれば、「紐をきっちり結ぶ」の「きっちり」は名詞で、
  「紐をしっかり結ぶ」の「しっかり」は副詞です。
  その理由を考えてみましょう。

 

という問題を中学生・高校生に考えさせたら、どういう答えが出てくるでしょうか。

いや、大学の日本語文法のゼミで考えると面白いかもしれません。教授も困るでしょう。

 

 17しっくり

   広1「この翻訳は-こない」2「夫婦の仲が-いかない」

   岩〘副[と]・ス自〙1「体に―なじむスーツ」「わざとらしくて―こない」
    2「親子の仲が―(と)行かない」

 18じっくり

   広「-と案を練る」「-煮込む」

   岩〘副[と]〙「―(と)案を練る」「―(と)耳を傾ける」「弱火で―(と)
    焼く」

 19しばしば

   広〔副〕「-訪れる」

   岩〘副・ノダ〙「いたずらをして―しかられた」「裏をかかれたことも―である」

 20すっかり

   広〔副〕4「-忘れていた」5「-きれいになったね」 

   岩 1〘副ダ〙「―忘れ(てい)た」「―秋らしくなった」「―満足する」
     「―仕上げた」「上げるものはこれで―だ」
    2〘副[と]ダ〙「―大きくなったね」「―見違えてしまった」

 21すっきり

   広1「-晴れ上がる」3「家具が-と収まる」「話の筋道が-している」「-した
    身なり」4「頭が-する」「-としたワイン」「どことなく-しない結末」

   岩〘副[と]・ス自〙「―(と)した服装」「頭が―する」「まだ病気が―しない」

 

「しっかり」「しばしば」「すっかり」は副詞です。「しっくり」「じっくり」「すっきり」は名詞。(岩波国語辞典ではすべて副詞です。)
付けられた用例を見るかぎり、用法に違いがあるとは思えません。

「しばしば」と「すっかり」には、岩波が示すように「~だ」の形の用法があります。

名詞とされる後者の3語は、(前者の3語と違って)

  「突然」「堂々」「断乎」「泰然」などと同じく、「と」「な」「に」「で」
  「だ」などが付いて形容動詞の語幹の位置に立つことが少なくない。

というわけでもないし、

  文中で主語・目的語などの諸機能を果たす。

わけでもないでしょう。(この2つの引用に関しては前回の記事を参照してください。)

つくづく、広辞苑の副詞と名詞との境がわかりません。

 

 22ずっしり

   広「親の期待が-と重い」

   岩〘副[と]・ス自〙「―重い財布」「―(と)した文鎮」「責任が―(と)
    のしかかる」

 23たっぷり

   広〔副〕「持ち時間は-ある」「-楽しむ」「-二日はかかる」「-した上衣」
      「自信-」

   岩〘副[と]・ノダ・ス自〙1「筆に―(と)墨を含ませる」「色気―」。
    「―した服」2「通勤に―一時間はかかる」

 24たんまり

   広〔副〕「-せしめる」

   岩〘副[と]ダ〙「金を―もうける」「頂戴ちょうだい物は望外に―だった」

 25どっさり

   広〔副〕「お土産-」「仕事は-ある」

   岩〘副[と]〙1「金を―貯める」「仕事は―(と)ある」
          2「疲れた体を―(と)投げ出す」

 

「ずっしり」は名詞。
「たっぷり・たんまり・どっさり」はみな副詞です。こういう「量」に関するものは副詞とみなしやすいのでしょうか?

「たんまり」は「~だ」の用法があります。「たっぷりだ」も言えるでしょう。
「たっぷり」は「~な」の形もありますね。まさに「形容動詞語幹」(前回の記事参照)じゃないでしょうか。

  ・スープはたっぷりだし。
  ・栄養たっぷりなご飯。
  ・ユーモアたっぷりな人生訓。
  ・適度な筋とたっぷりな肉汁。
  ・しかも、自信たっぷりな口調で。
  ・余裕タップリで終わる重さです。
  ・食事はたっぷりで美味しかった。
  ・脂がタップリで濃厚な味わいです。
  ・結構な野菜たっぷりなカレーですね。 (NINJAL-LWP for TWCから)

どうしてこれが副詞で、「ずっしり」は名詞なのか。

 

 26とつぜん

   広「-の出来事」「-変心する」

   岩〘副ノ・ダナ〙「―立ち上がる」「―に死ぬ」「―で驚くだろうが」

 

「とつぜん」は当然副詞だと思っていたので、ちょっと驚きでした。擬声語・擬態語ではないし。

岩波は「ダナ」で形容動詞の用法を認めています。

 

 27ぴくり

   広「眉を-と動かす」「冷静で-とも動かない」 

   岩〘副[と]〙「―と眉を上げる」「重い扉は―とも動かない」

 28びっくり

   広「地震に-する」「-するほど広い」

   岩〘名・ス自〙「いきなり来たので―した」「―仰天する」

 29びっしり

   広「予定が-だ」「-詰める」「三カ月-かかる」 (第五版では〔副〕)

   岩〘副[と]〙「行事が―(と)詰まっている」

 

「ぴくり」「びっくり」は名詞。岩波は「びっくり」を副詞としません。

「びっしり」は第五版では副詞でした。第七版では名詞とされます。どうして判定が変わったのか。
「びっしりだ」という用法を考慮したのでしょうか。

 

 30べたべた

   広1「飴で手が-する」「コンロが油煙で-になる」2「ポスターを-貼る」

    3「絵の具を-と塗りたくる」「若い男女が人前で-する」4「-した濃厚な作風」

   岩1〘ダノナ・副[と]・ス自〙「コンロのまわりが―だ」
    2〘ダノナ・副[と]・ス自〙「―(と)甘える」「―した人間関係」
    3〘副[と]〙「おしろいを―(と)塗りたくる」

 

「べたべた」は名詞扱いです。いかにも擬態語という感じの語です。

岩波は、形容動詞・副詞・サ変自動詞と細かく品詞を考えています。それだけ用法がいろいろあるからです。これを単純に「名詞と同等に扱う」と言って済ませるような「国語辞典」でいいものでしょうか。

 

 31ぼんやり

   広1「遠景が-かすむ」「-と曇った空」2「昔のことを-思い出す」
    「-してぶつかる」3「庭で-している」4「この子は-だから心配だ」
    「-していて眼鏡を忘れる」

 32まるっきり

   広〔副〕「-知らない人」「-違う」

 33みっちり

   広〔副〕1「梅が枝に-と花をつける」2「芸を-仕込む」「-小言を言う」

 34ゆっくり

   広1「-と歩く」「朝ごはんを-食べる」2「五人は-座れる」「昼まで-して
     から出かける」「どうぞ、ご-」

 

「ぼんやり」「ゆっくり」も名詞扱い。状態副詞の代表みたいな語だと思うのですが。
どちらも「~だ」の用法があるからでしょうか。
                            
  ・昼からはゆっくりだ。
  ・ゆっくりでいいよね。  (NINJAL-LWP for TWCから)  

 

で、なぜか「まるっきり」と「みっちり」は副詞とみなします。「まるっきり」は否定と呼応するからでしょうか。「みっちり」が(名詞とされる同じような多くの語と違って)なぜ副詞とされるのか、皆目見当が付きません。(岩波ではこの4語はすべて副詞です。当然。)

 

最後に、「~に」の付くものを3語。

 

 35ぜったいに

   広〔副〕  用例なし

   ぜったい(名)2<副詞的に>決して。「-そうじゃない」「-に許すな」 岩波

 

広辞苑は「絶対に」を副詞とします。
岩波は、「絶対」を名詞とし、そのままの形で、あるいは「~に」を付けた形で<副詞的に>使うとします。岩波には、「絶対に」という項目はありません。

広辞苑は「絶対」の用例としても「絶対に」の形が出されています。(語釈も引用します。)

 

   絶対 決して。断じて。どんなことがあっても必ず。「-間違いはない」
      「-に許さない」  

   絶対に〔副〕どういう場合にも。断じて。決して。 (用例なし)  広辞苑

 

さて、いよいよわからなくなりました。

まず、「絶対」という名詞自体が「絶対間違いはない」と副詞的に使われ、また、「絶対(名詞)+に(格助詞?)」という形があって連用修飾する(つまり副詞と同様に使われる)。用例は「絶対に許さない」。
さらに、「絶対に」という一語の副詞が追込項目としてあります。(用例はついていません)

ということで、「絶対に」という形式に二重の分析があります。意味用法は同じようです。
この記述はどういう理論的根拠によるのか。(難しくて、ついていけません。)

 

似たような形の「本当に」はどうなっているでしょうか。

 

 36ほんとうに

   広 「-有難う」「今日は-暑い」

   ほんとう 「―を言うと」「―の力」「―に困った」  岩波

 

広辞苑では「本当」という名詞があり、その追込項目として「本当に」という項目が別にあります。こちらは何の品詞表示もなく、おそらく「連語」という扱いでしょう。

岩波は「本当」という名詞の用例に「本当に」の形があるだけです。

 

   本当 1「-の気持を言う」2「彼が謝ってくるのが-だ」「-なら、とっくに
      死んでいるはずだ」      広辞苑

 

広辞苑の「本当」の項目には「本当に」という形を使った用例はありません。「本当に」という形は、「本当」という名詞の持つ意味とは違った意味になる、という判断なのでしょうか。

この処理のしかたは、それなりにわかるのですが、上の「絶対(に)」と「絶対に」の関係はどうにも理解ができません。

 

「めったに」ではどうか。

 

 37めったに

   広〔副〕「-見られない代物」

 

これは一語の副詞扱いです。

また、「めった」は名詞で「~な」の例がありますが、「~に」の例はありません。

 

  めった 「-な口はきけない」  広辞苑

 

岩波は「めった」を「ダナ」つまり形容動詞とし、また「めったに」「めったと」という形で副詞としています。

 

  めった【滅多】〘ダナ・副〙やたら。
    ㋐分別のないこと。めちゃくちゃ。「―切り」「―なことは言えない」。
     節度なく。むやみ。「そんなことを―に言おうものなら」
    ㋑《「―に」「―と」の後に打消しや反語を伴って》そうざらに。「―には
     無い偶然のめぐり合わせ」「―に行くものか」「―と無い事」
    ▽「滅多」は当て字。                                     岩波

 

以上の3語からもわかるように、「~に」という形の副詞はいろいろ複雑な問題があるようです。(もっと多くの「~に」の形の副詞を集めて考えてみたいのですが、ちょっと疲れてきました。)

 

以上、広辞苑で「副詞」とされるものとそうでないもの(「名詞」扱い)の区別がまったくわからないということを、具体的にそれぞれの語の用法を検討しながら(かなりしつこく)述べてきました。

同じ出版社から出されている岩波国語辞典では、以上のほとんどの語が「副詞」とされています。他の国語辞典も、岩波と同じだと思われます。

広辞苑が独自の説を主張することはまったく問題ありませんが、その根拠が明らかなものであってほしいと思います。

 

最後に全体の結果をまとめておきましょう。

◇「練習問題」解答
 名詞扱い
  あかあか あっさり がたがた がっちり きっちり こつこつ こっそり
  しっくり じっくり すっきり ずっしり とつぜん 
  ぴくり びっくり べたべた ぼんやり ゆっくり
  ほんとうに(連語)
 
 副詞  ( )つきは五版・六版のみ「副詞」のもの
  あまり ありあり (がっぽり がっぷり) ぎっしり ぎっちり ごっそり 
  さっぱり しっかり しばしば すっかり たっぷり たんまり どっさり
  (びっしり) まるっきり みっちり  ぜったいに めったに

 

なお、この「副詞」とされるものの中に、

  天沼寧編『擬音語・擬態語辞典』東京堂出版1974

  飛田良文・浅田秀子著『現代擬音語擬態語用法辞典』東京堂出版2002

の新旧2冊の辞典が「擬態語」と認めるものが多くあります。それは、

  ・ぎっしり  ごっそり  さっぱり  しっかり
   すっかり  たっぷり  たんまり  どっさり  みっちり

  ・がっぽり  がっぷり  びっしり (広辞苑第五版では副詞)

  ・ぎっちり(天沼のみ) 

です。広辞苑付録の「日本語文法概説」が「擬声語・擬態語は、(略)名詞の一類とするべきである。」としていても、辞書本文がそれを裏切っています。

いったい、広辞苑の編集というのはどうなっているのでしょうか。

 

 

追記 22.10.11

「37 めった」の岩波国語辞典のところで大きな間違いをしたので訂正しました。

「めった」については、また別にとりあげる予定です。

 

広辞苑の副詞(2)

前回の続きです。

前回の最後に「練習問題」(?)として、広辞苑が副詞と認めるのはどれか、などという変なクイズを出しました。今回はその「解答編」です。

 

まずは、広辞苑の副詞と名詞に関する「文法概説」を。しつこく繰り返し引用します。
第五版(第六版もほぼ同じ)と第七版では大幅に書き換えられているのですが、趣旨は同じです。

 

   日本語においては用言(動詞・形容詞・形容動詞)を修飾する働きのある語を
  副詞という。副詞は修飾する機能のある語であり、文中に使用する際に、名詞と
  同様に特別の語形変化をすることはない。従って、「昨日」「一個」のような語は、
  名詞・副詞両用の機能があり、名詞としての語が副詞のように使われたと考える
  ことができる。それに対して、「ただちに」「まず」「もし」「やや」「ほぼ」
  「すっかり」「全然」「もちろん」などのような語は、用言および他の副詞に
  副(そ)う以外の用法がないところから、これを本来の副詞と考えることができる。
  本書では、原則としてこれらの語のみを副詞として取り扱った。
                広辞苑第五版「日本文法概説」「副詞」p.2892

   「ちゅうちゅう」「ざわざわ」「ぴしゃぴしゃ」「こっそり」「ちゃっかり」
  「がたがた」「どろどろ」などの擬声語・擬態語は、動物の鳴き声、物の音、事
  態、感覚などを、人間の音韻によって擬する語である。これらは副詞としても
  用いられるが、「突然」「堂々」「断乎」「泰然」などと同じく、「と」「な」
  「に」「で」「だ」などが付いて形容動詞の語幹の位置に立つことが少なくない。
  従って、それらの語と同じ扱いが妥当であり、名詞の一類とするべきである。
  また、日本語の名詞のうち、属性概念を示す語や、時・程度を示す語は、その
  まま副詞として用いられるから、意味上、当然名詞と副詞とに両用される語に
  ついては、名詞・副詞と併記することを原則として省いた。
               「日本文法概説」(第五版)「名詞」 p.2889

   名詞は、「何が」「何を」「何である」などの「何」を表す語であり、「どう
  する」「どうなる」「どうである」を示す、動詞・形容詞・形容動詞とともに、
  文の中の中心的な内容を示す語である。
                              「日本文法概説」(第五版)「名詞」p.2889-2890

   名詞は物や事に命名したもので、自立語で、活用しない。「山」「石」「川」
  「上」「下」「遊び「悲しみ」などである。単独で、あるいは助詞の助けを
  借りて、文中で主語・目的語などの諸機能を果たす。
                    「日本文法概説」(第七版)「名詞」p.196

 

一つ目の引用は、「用言および他の副詞に副(そ)う以外の用法がないところから、これを本来の副詞と」考え、「原則としてこれらの語のみを副詞として」扱うとしています。
副詞以外の用法を持っていると、副詞とは認められないんですね。なんと狭量な!

二つ目の引用は、「擬声語・擬態語」は「名詞の一類とするべきである」とします。その根拠は、

  「突然」「堂々」「断乎」「泰然」などと同じく、「と」「な」「に」
  「で」「だ」などが付いて形容動詞の語幹の位置に立つことが少なくない。

というのですが、そもそも(「突然」を除いて)「「堂々」「断乎」「泰然」など」は(「と」を除いて)「「な」「に」「で」「だ」などが」付かず、「形容動詞の語幹の位置に立つこと」はないのでは?(これは前々回の記事で議論しました。)

そして、擬声語・擬態語も「形容動詞の語幹の位置に立つこと」は少ないのです。(ただし、形容動詞の用法を持つ擬態語もあります。)
 
三つ目と四つ目の引用は、名詞についてのもので、「名詞は、「何が」「何を」「何である」などの「何」を表す語で」、「文中で主語・目的語などの諸機能を果たす」とします。これは、まったく妥当な考え方だと思います。(しかし、以下で見るように、この定義は名詞の認定で無視されます。)

 

さて、以上のことを確認して、前回の「練習問題」を考えます。最初から順に見ていきます。

 

  1あかあか  2あっさり  3あまり   4ありあり

  5がたがた  6がっちり  7がっぷり  8がっぽり

  9ぎっしり  10きっちり  11ぎっちり  12こつこつ   

  13こっそり  14ごっそり  

 

それぞれの語がどのように使われるのかを見るために、広辞苑の項目からその用例を引用します。参考として、岩波国語辞典からも少し。(語釈は省略します。議論に関係しない他の用法なども。)

 

 1あかあか

   広辞苑 赤赤「-とした柿の実」
       明明「-とした窓の灯」  (別項目)

   岩波  赤赤〘副[と]〙「夕日が-とさす」「-とした頬」
       明明〘副[と]〙「電灯が-とともる」  (別項目)

 2あっさり

   広 1「-した味」「性格が-している」2「-と負ける」「-と許してくれた」

   岩 〘副[と]・ス自〙「-(と)した味」「-(と)引き下がる」

 

上で見た「副詞」と「名詞」の定義から考えて、これらは副詞か名詞か。

「あかあか」は文句なく副詞に見えますし、「あっさり」はふつうに言えば岩波のように「副詞/サ変自動詞」でしょう。

広辞苑はどちらも名詞とします。しかし、「あかあか」「あっさり」は「文中で主語・目的語などの諸機能を果たす」でしょうか?

上の引用にある名詞の定義は、擬声語・擬態語を「名詞の一類」と考えることと矛盾します。(はっきり言えば、擬声語・擬態語を「名詞の一類」と考えるのが無茶なのですが。)

 

 3あまり

   広 2(副詞的にも使う)「-ひどいのであきれた」「-たべると腹をこわす」
     3(下に打消を伴って)「-よくは知らない」

 

「あまり」は基本的には名詞で、「副詞的にも使う」とされます。

上の副詞に関する引用の中で、

  また、日本語の名詞のうち、属性概念を示す語や、時・程度を示す語は、その
  まま副詞として用いられるから、意味上、当然名詞と副詞とに両用される語に
  ついては、名詞・副詞と併記することを原則として省いた。

とあったのですが、「あまり」の場合は名詞と「副詞的」な用法とでは意味が違うので、特に注記しているのでしょう。「当然名詞と副詞とに両用され」ているわけではありませんから。

ただし、3の打ち消しを伴う用法は「副詞的」とはされていません。名詞としての用法?

 

岩波国語辞典の「あまり」は、用法によっていろいろ品詞を分けます。

 

 あまり

  1〘名〙ア「布を切った-で別の物を作る」
      イ<接尾語的に>「三十(歳)-の人」
      ウ『-(が)ある』「察するに-ある」
  2ア〘名〙<連体修飾Aを受け、次に述べるBに対し時には副詞的に>
      「うれしさの-躍りあがる」
   イ〘ダナノ・副〙「-暑いので上着を脱いだ」「そんな非難は-だ」「-の
      美しさに打たれる」「-なことに驚く」 ▽「あんまり」とも言う。
   ウ〘副〙「-上手でない」    岩波

 

語の用法について詳しく考えていることがわかります。2のイに「あんまり」という語形が出ていますが、広辞苑はこれを別項目としています。

 

  あんまり

   広〔名・副〕(アマリの撥音化)浄「ほんに又-な」「-ひどいじゃないか」
     「-あわてると失敗するぞ」  (「浄」は用例の出典「浄瑠璃」の略)

 

驚いたことに、こちらは〔名・副〕で、はっきり副詞なんですね。「あまり」のほうでは(副詞的にも使う)というだけだったのに。この辺の扱いの違いはどういうことなのか。

また、「名詞・副詞と併記することを原則として省いた」はずなので、ここは例外なのでしょうか。

なお、広辞苑で〔名〕というのは、一般に言う「名詞」というより「形容動詞語幹(に当たるもの)」のつもりでしょう。しかし、「文中で主語・目的語などの諸機能を果たす」わけでないので、広辞苑自身の名詞の定義に反しますから、〔名〕とするのはやはり無理があります。

 

 4ありあり

   広〔副〕1「無念の思いを-と顔に浮かべた」3「亡き母の姿が-と見える」
      4「証拠は-と残っている」

   岩〘副[と]・ノダ〙「-と失望の色が見えた」「やる気がないのが-だ」

 

広辞苑はこれを副詞とします。「あかあか」とどう違うのかわかりません。岩波の用例のように「ありありだ」という形があり、より名詞(形容動詞)に近いのですが。

 

 5がたがた

   広1「風で戸が-揺れる」「葉を-いわせる」2「-震える」3「-文句を言うな」
    「今さら-しても始まらない」4「-の自動車」「組織が-になる」

 6がっちり

   広1「-スクラムを組む」2「肩幅のある-とした姿」3「-稼ぐ」

 

この2語は名詞扱いです。

岩波国語辞典の「がたがた」は、

 

  がたがた ①〘副[と]・ス自〙「風で雨戸が-揺れる」「悪寒で体が-する」
    ②〘名・ノダ〙「-のおんぼろ自動車」「組織が-になる」
    ③〘副[と]・ス自〙「そう-するな」

 

というもので、名詞と共通する用法があります。「がたがた の/だ/で/になる」など。それでかどうか、広辞苑では名詞扱いで、副詞の用法があっても「名詞・副詞と併記することを原則として省いた」となるのでしょう。

なお、岩波は名詞としていますが、この用法を形容動詞とする辞書も多くあります。擬態語の品詞認定はいろいろ難しいところがあります。

一方、「がっちり」は副詞でいいと思うんですけどねえ。(「文中で主語・目的語など…」)

 

 7がっぷり

   広「-四つに組む」「餌に-食いついて離さない」 (第五版では〔副〕)

 8がっぽり

   広「-かせぐ」「バーで-とられた」 (第五版では〔副〕)

 

これらも文句なしに副詞に見えます。

広辞苑の第五版・第六版は「がっぷり」「がっぽり」を副詞としていましたが、第七版で(副)の品詞表示がなくなりました。名詞扱いです。

第五版ではなぜ副詞と考えたか。そして、第七版で名詞に変えたのはなぜか。わかりません。
第五版では擬態語ではないと考えたのでしょうか。そして、第七版の改訂のとき、これは擬態語じゃないか、と気づいた?

用法に関して新しい発見があったわけではないでしょうから、なぜ品詞を変えたのかが謎です。

5から8までの語も、「文中で主語・目的語などの諸機能を果たす」ことはありません。つまり、名詞の定義に当てはまりません。

 

次は、似たような用法の語が名詞と副詞に分けられます。

 

 9ぎっしり

   広〔副〕「夜店が-並ぶ」「予定が-入っている」

   岩〘副[と]〙「―(と)並んだ書類」

 10きっちり

   広1「紐を-結ぶ」「-とした服」「-窓を閉める」
    2「-説明する」「日程が-決まる」3「-大さじ一杯」「午後七時-に着く」

 11ぎっちり

   広「ぎっしり」に同じ。 

 

広辞苑によれば「ぎっしり」「ぎっちり」は副詞です。(「ぎっちり」は「「ぎっしり」に同じ。」というのですから、つまり品詞も同じでしょう。)「きっちり」は名詞です。どうして?

「ぎっしり」には「に/で/だ」などが付いて使われる用法があります。こちらのほうが名詞(形容動詞)に近いのでは?

 

  ・テキストは書き込みでぎっしりになりました。 
  ・定員700名がほとんど、ぎっしりに埋まったころ。 
  ・いろんな知識がぎっしりでとても参考になります。 
  ・店長のイチ押しは「やんばる豚餃子」で、肉がぎっしりで食べ応え充分。 
  ・道はどこも車でぎっしりである。 
  ・植木がぎっしりなのです。      (NINJAL-LWP for TWCから)

 

広辞苑は、どういう根拠で「きっちり」を名詞扱いし、「ぎっしり」「ぎっちり」を副詞とするのか。

 

 12こつこつ

   広「戸を-たたく」「-と靴音が近づく」
    「-働く」「-と貯めた金」            (別項目)

   岩1〘副[と]〙「-(と)働く」2〘副[と]〙「-(と)ヒールの音が響く」

 13こっそり

   広「-と部屋を出る」

   岩〘副[と]〙「-(と)盗み出す」「-探る」

 14ごっそり

   広〔副〕「-土壁が落ちる」「税金を-取られる」「非常食を-買い込む」

   岩〘副[と]〙「商品が-盗まれた」

 

「こつこつ」「こっそり」は名詞で、「ごっそり」は副詞とされます。はあ、なぜでしょうか。

しつこくくり返しますが、「こつこつ」「こっそり」は「文中で主語・目的語などの諸機能を果たす」でしょうか。

なぜ「ごっそり」は副詞とされるのか。用例を見るかぎりでは、これまでの名詞扱いの語と変わらないように思うのですが。

 

一つ一つ細かく見てきたら、ずいぶん長くなってしまいました。この辺でちょっと休憩します。

 

広辞苑の副詞

前回は「擬声語・擬態語は名詞の一類とするべきである」という広辞苑の「日本文法概説」の説明がまるでわからないという話を書きました。(引用したのは第五版の「文法概説」ですが、その方針は第七版でも変わっていません。)

 

では、広辞苑の副詞とはどういうものなのか、「文法概説」(第七版)の「副詞」を見てみましょう。議論に関係しないところを省略しながら引用します。

 

   副詞は、用言(動詞・形容詞・形容動詞)を修飾する語で、活用しない。
  程度副詞・状態副詞・陳述副詞(呼応副詞)に分類するのが一般的である。
  「こう」「そう」などの指示語、「なぜ」「どうして」などの疑問詞も副詞に
  含めることができる。(略)

   状態副詞は動作の様態や出来事の状態を表す語で、「ときどき(休む)」
  「いつも(笑っている)」「そっと(撫でる)」などである。擬態語・擬音語
  もこれに属する。(略)

   副詞は、連用修飾をする語のうち、名詞・用言以外のものをまとめたため、
  その由来は多様であり、大多数の研究者が一致できるような分類は難しい。(略)

   擬態語・擬音語の副詞表現は、「~と」「~に」の両形をとる語(「がたがた」
  「ばたばた」など)もあれば、「~と」のみの語(「はっきり」「こわごわ」
  などもある。四音節以上であれば「にこにこ笑う」のように「と」が無くても
  かまわない。前述のタリ活用形容動詞の場合「堂々と行く」「粛然と襟を正す」
  のように原則として「と」は必要である。本書では擬態語・擬音語は形容動詞
  語幹と同様に扱うが、「ぎゅっと」「ぴんと」のようにかならず「~と」の形を
  とる語は、副詞に分類する。  広辞苑第七版 付録「日本文法概説」p.207-208

 

途中に、擬態語・擬音語は状態副詞に属するとあり、一般的な説と変わりません。

しかし、最後の一文で突然独自説になります。最後の「本書では擬態語・擬音語は形容動詞語幹と同様に扱う」というのは、つまりは「名詞として扱う」ことを意味します。そうする根拠は、前回見た、わけのわからぬ論理(?)のみです。(「状態副詞に属する」けれども「名詞」なのです!)

「~と」の形はさすがに名詞扱いできないので、副詞とします。すると、「ぎゅっと詰める」は副詞で、「ぎゅうぎゅう(と)詰める」は名詞となります。このあたり、私には論理がわかりません。

 

第七版の「副詞」は、ほぼ2ページ分あり、その解説の一部を上に引用しました。

第五版の「副詞」は、1ページ分しかなく、その半分は副詞の語例です。残りのわずかな解説部分から引用します。名詞と副詞の関係について述べています。(第七版にはこの説明はありません。)

 

   日本語においては用言(動詞・形容詞・形容動詞)を修飾する働きのある語を
  副詞という。副詞は修飾する機能のある語であり、文中に使用する際に、名詞と
  同様に特別の語形変化をすることはない。従って、「昨日」「一個」のような語は、
  名詞・副詞両用の機能があり、名詞としての語が副詞のように使われたと考える
  ことができる。それに対して、「ただちに」「まず」「もし」「やや」「ほぼ」
  「すっかり」「全然」「もちろん」などのような語は、用言および他の副詞に
  副(そ)う以外の用法がないところから、これを本来の副詞と考えることができる。
  本書では、原則としてこれらの語のみを副詞として取り扱った。

                 広辞苑第五版「日本文法概説」p.2892

 

「本来の副詞」という考え方が述べられています。そして、「これらの語のみを副詞として取り扱った」という明快な原則を立てます。他の用法を持つものは副詞としないのです。 

そうすれば副詞という品詞はすっきりするでしょうが、様々な用法を持った語が「名詞」とされ、名詞の中はごちゃごちゃになってしまいます。

 

そこのところを解説したのが、第五版の「名詞」の解説(前回の記事で引用しました)だったのですが、第七版でその部分はすべて削除されてしまいました。(さすがに、論理が通っていないと判断されたのでしょうか?)

しかし、語の分類そのものはそのままです。名詞の中には、「形容動詞の語幹」も、「擬態語・擬音語」も含まれています。

 

ただ、幸いなことに、名詞は品詞の表示をしないので、辞書本文はすっきりしています。

 

  名詞および連語には、原則として品詞の表示を省略した。
                        広辞苑 凡例「品詞の表示」

 

例えば「きゅうきゅう」は、広辞苑と岩波国語辞典では次のような品詞表示になります。

 

  きゅうきゅう (品詞の表示なし)  広辞苑

  きゅうきゅう 〔副[と]・ノダ・ス自〕   岩波

 

広辞苑は品詞表示がなく、すぐに語釈が続きます。用例が一つありますが、用例のついていない用法は、どういう形になるのかわかりません。品詞表示がないということは、文法に関する情報がないということです。

岩波は、ごちゃごちゃした品詞表示ですが、その分、得られる情報量が多いのです。副詞であり、岩波独自の「ノダ」という語類であり、「する」がついて自動詞となることが示されています。(ただ、岩波は用例がなく、実際にどう使われるのかがわからないのが大きな欠点です。)


さて、以上が広辞苑の副詞についての基本的な方針です。で、実際にどういう語が副詞とされているのか、副詞とされそうな語をいくつか見ていくと、副詞とするものと「名詞扱い」の語との区別がどうもわかりません。

「え? これは副詞で、これは違うの?」と思うことが何度もありました。

 

その辺の難しさを実感するために、ちょっと趣向を変えて、「練習問題」の形で考えてみましょう。(突然、練習問題のあるブログというのも面白いんじゃないか。)

 

◇練習問題

次の37語の中で、広辞苑で副詞(の用法がある)とされる語はどれか。
版によって扱いが変わった語もあります。   (ヒント:半数近くあります)

 

 1あかあか    2あっさり   3あまり      4ありあり

 5がたがた    6がっちり   7がっぷり    8がっぽり

 9ぎっしり    10きっちり   11ぎっちり   12こつこつ   

 13こっそり   14ごっそり   15さっぱり   16しっかり

 17しっくり   18じっくり   19しばしば   20すっかり   

 21すっきり   22ずっしり   23たっぷり   24たんまり   

 25どっさり   26とつぜん   27ぴくり    28びっくり   

 29びっしり   30べたべた   31ぼんやり   32まるっきり

 33みっちり   34ゆっくり

 35ぜったいに  36ほんとうに  37めったに (この3語はフロクです。)


いやあ、このブログは何なんだ……

 

(22.9.13  例語を一部差し替えました。)