ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

仕事・働く:さらに続き

前回、「収入を得ない仕事」という話の続きで、ボランティアについて書きたかったのですが、うまく書けなかったので中断しました。そこから続けます。

 

  ボランティア
   自発的に(無料で)社会事業に奉仕する<人/こと>。 三国
   自由意志をもって社会事業/災害時の救援などのために無報酬で働く人(こと)。  新明解
   自主的に公共福祉などの社会事業に参加し、営利を目的としない活動に携わる人。  明鏡

 

「自発的/自由意志で/自主的に」「(無料)/無報酬/営利を目的としない」で「社会事業に」という点で、ほぼ共通しています。

「職業」の重要な点は「人・社会にとって価値がある」ということでした。それによって「収入」が得られるわけです。
「ボランティア」も「人・社会にとって価値がある」のですが、収入はありません。それにもかかわらず、「自発的」なのです。では、何のために活動するのか。

「自発的」なのは「ボランティア」に限りません。「職業」の中にも「自発的」に選んだものは多くあるはずです。
例えば、自動車を作りたくて自動車会社に入社する。あるいは、親の仕事を子どもの頃から見ていて、同じ仕事をしたいと思う人も多いでしょう。リンゴ農家でも、大工さんでも、パン屋さんでも。警察官・映画俳優・小説家・自然科学者、などなど。みな、自分でやりたいと思ってなる人は多いはずです。
それらは、収入を得られ、生活が安定し、「職業」として成り立つことは重要ですが、それを選ぶ「自発性」ということでは「ボランティア」と同じです。

以上、「仕事」「働く」ことの中に「収入(生活の安定)」と「自発性」の有無という二つの側面を考えてきたのですが、収入の必要性はわかりやすいのに対して、なぜ人は自発的に「仕事」をするのか。

それは、そこに「喜び」を感じるからでしょう。「人・社会のため」という面もありますが、それ以上に、自分自身の気持ちとして、満足したい・納得したい、自分はこれをしたんだ、ということに誇りを持ちたい。「ボランティア」はまさにそういうものでしょう。それは、職業であっても、収入の額の多少とは別のものです。

スポーツ選手、例えばプロゴルファーは何のために毎日練習し、大会で優勝を狙うのか。もちろん、優勝賞金の金額、栄誉もあるでしょうが、何よりも自分で自分に納得したい。それは、大工さんが家を建て、仕事を終えた後、振り返ってその家を見て、満足する。その気持と通ずるでしょう。さらに、それは幼児が積み木を高く積み上げて、うまくいって思わずにっこりする、その気持と元は同じでしょう。

そう考えてくると、「仕事」と「遊び・趣味」は同じようなものということになってしまうのか。
そうなんでしょう。

小さい頃から将棋が趣味で、大人を負かして喜んでいた子どもが、「棋士」という職業があることを知ってなろうとする。しかし、そこまでの実力がないことに気づいて、勤め人となり、「趣味」としての将棋を一生楽しむ。スポーツでも、音楽でも、絵画などの芸術でも、演劇でも、みなそうではないでしょうか。特に最近は、「ゲーム」の世界で、趣味と職業との境がはっきりしなくなっているように思えます。

「仕事」「働く」について考えると、「自発性」というもの、それをすることによって人が何か生きている手ごたえのようなものを感じること、その側面もまた大事なんじゃないかと思います。

ずいぶん話を引き延ばしてきましたが、国語辞典の話に戻ると、「仕事をすること・働くこと」が、「しなければならないことをする」「賃金・報酬を得るため」「それで暮らしをたてて行くため」だけであっては、人生寂しいではないでしょうか。(現在の日本の状況が、かなり厳しいことは承知していますが。)

「仕事・働くこと」は、人が人として生きていくことの中で、けっこう重要な面を持っている。そのことを辞書の語釈の中に、何らかの形で、少しでも反映させてほしい、というのは、かなり無理な願いでしょうか。(新明解って、こういう語には思い入れのある語釈をしたりするんじゃないかしら?)