ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

ああ

あるところで、『三省堂現代新国語辞典第六版』がなかなかいい、という記事を読んだので、いつもの三国・新明解・明鏡とは違った辞典を少しゆっくり見てみよう、と思いました。

「まえがき」には、

 

  『三省堂現代新国語辞典 第六版』は、平明な記述と、いわゆる新語・新語義の積極的な採録を心がけることにより、中学生から一般社会人まで、今を生きる方々に幅広くお使いいただけるように編集された辞書です。わけても、高校生の教科学習と言語能力の向上に資することに重きを置き、そのための独自の配慮が施されています。

 

とあります。要するに、高校生の(国語)学習のため、に重点があるということのようです。

私は、「新語・新語義」にはそれほど関心がないので、だれでも知っている基本的な語の基本的な用法がきちんと説明されているか、を見ていこうと思います。

 

まず1ページ目「あ」のところを開けて、まず目にとまったのが「ああ」の項です。

 

  ああ(副)あのよう(に)。「-強くては勝負にならない・あの人はいつも-だ」[関連]こう・そう・-・どう
   -言えばこう言う へりくつをならべて、言いのがれたりさからったりする。
   -でもないこうでもない(略)▽[類]ああだこうだ

 

「ああ」は「あのよう(に)」です。それでわかった気がするでしょうか。何だかなあ、と思います。

かっこの中の「(に)」はどういうことか。「あのよう」と「あのように」では使い方が違います。

用例の「-強くては」は「あのように」で、「いつも-だ」は「あのよう」とすればぴったりあてはまるわけです。それを知っていることを、利用者は期待されています。

でも、「ああ強くては」と「あのように強くては」はまったく同じだと言っていいのか。ちょっと疑問が残ります。また、「あの人はいつもあのようだ」というのはどうもぎこちない言い方ですね。

まあ、「ああ=あのよう(に)」という「語釈」を見た時点で、ああ、この語の用法をここできちんと説明しようという気はないんだな、とわかるわけですから、あまり細かいことを言ってもしかたないのでしょう。

結局、この項は、「ああ言えば~」「ああでも~」の二つの慣用的な表現を出すためのものでしょう。小見出しの項目に重点がある。

 

とはいえ、せっかくですから、語釈で使われた「あのよう(に)」はどのように説明されているのかをみてみましょう。そちらで詳しく解説されているのかもしれません。

そう思って探してみても、「あのよう/あのように」という項目はありません。

この語(?)は「あの」と「よう(に)」の複合した形だ、と知っていることが、またしても利用者には期待されています。「あの」と「ように」を見てみます。(「よう」はたくさんあって、どれがここでの「よう」なのかわかりません。)

 

  あの <連体>1自分と相手のどちらのがわにもない事物や人をさすことば。「-机・-人」
   2(以下略)  三省堂現代新

  ように  [助動詞「ようだ」の連用形]1ぼかして言うときに使う。「なんとなく失敗する-思う」2たとえるときに使う。「絵の-美しい」3例としてあげるときに使う。「かれの-勇気のある人」(以下略)  三省堂現代新

 

さて、「自分と相手のどちらのがわにもない事物や人を」さし、「ぼかして/たとえるとき/例としてあげるとき」に使うようですが、どうもわかりません。(「ように」の4以下の用法もあてはまりません。)
「あのように(強くては)」「(いつも)あのよう(だ)」とはどういう意味を表しているのか。

それに、文法的なことを言うと、「あの」は「連体詞」ですから、その後には名詞が来るはずです。「助動詞「ようだ」の連用形」では接続できませんね。どう考えたらいいのでしょうか。

 

三省堂現代新の中では行き詰まってしまったので、他の辞書を見てみます。

三国には「あのよう」という項目があります。

 

  あのよう(連語)〔よう←助動詞「ようだ」〕ああいう<よう/ふう>。〔「あん(なふう)」よりもかたい言い方〕「なぜ-なことをしたのか」  三国
   
「連語」ですから、連体詞と助動詞の接続の問題は考えなくていいようです。「ああいう<よう/ふう>」ですか。三国も他の表現で言い換えているだけです。こんどは「ああいう」を見なければなりませんね。

また、用例は「あのような」で、「あのように」の例はありません。

(細かいことを言うと、「あん(なふう)」の「あん」というのは何だかわかりません。かっこの中の「なふう」は省略できるわけですから、「あん」という語があることになります。「「あん」よりもかたい言い方」とは?)

 

明鏡も「あのよう」という項目を立てています。形容動詞としています。
 
  あのよう 形動「あの」と例示して物事の様態をいう語。ああいうふう。あんなふう。あれと同じよう。「━な目には二度と遭いたくない」「━にはなりたくない」もとの用字は「彼の様」。  明鏡

 

これは単なる言い換えではなく、説明になっていますね。「物事の様態をいう」。
「あのように強くては」とは、「あの」で指し示して、「ように」でその様態(様子)を言っている、というわけです。
「あの強い様子を見ろ。あの強さでは勝負にならない」というようなことを表している、と言ったら多少は説明になっているでしょうか。よけいわかりにくい?
(明鏡の用例「あのような目」「あのように(なる)」は「例示」しているのでしょうが、三省堂現代新の用例は「指示」といったほうがいいでしょう。)

まあ、こんなことはぐちゃぐちゃ説明するまでもないことで、「ああ強くては(あのように強くては)」という表現の意味は、日本語の母語話者である辞書の利用者には明らかなことでしょうから、以上の細かな詮索は不要のことかもしれません。

しかし、辞書を作る側は、一応の理論に基づいてきちんと整合性のある解説をしてほしいものだと思います。

 

さて、私が見た中で、「あのよう」という項目を立てた辞書がもう一つあります。新明解です。

 

  あのよう  -な-に 1話し手・聞き手から離れて存在し、両者が共に認め得る事物や状態を、それと同様だと考えられる事物・状態を含めて、例示的に指し示すことを表わす。「-な看板は目障りだね/子供なのに-に踊れるとは驚きだ」2すでに話題になるなどして、話し手・聞き手が共に意識している事柄を、それと同様だと考えられる事柄を含めて、例示的に指し示すことを表わす。「先日はどうも。お互いに-な目には二度とあいたくないね/-に話は進んでいますか」〔12とも、「あの・ああ」の婉曲な言い方としても用いられる〕⇒このよう・そのよう・どのよう:こそあど
   [運用]話し手自身が過去を回想したりする時、経験した出来事などを、それと同様の状況を含めて、例示的に指し示す場合にも用いられる。例、「あの様な忌まわしい出来事は思い出したくもない/あの様に思い切ったことができたのも若さの故か」    新明解

 

「あのよう」にこれだけの解説を加える辞書というのは、なかなかですね。新明解のこういう「個性」は好きです。(「-な-に」というのは、形容動詞の用法を持つ、ということです。)

ただ、私は新明解が明鏡と同じように「例示して/例示的に」とするのには賛成しません。この「ような・ように」は必ずしも「例示」ではなく、たんに「様態」を示すだけと考えます。(例示の場合もあります。)

 

最後に、新明解の「ああ」の項目を。

 

  ああ (副)1話し手・聞き手から離れて存在し、両者が共に認め得る事象や状態を指し示す様子。「あの人を見てごらん。-いう〔=あのような〕ヘアスタイルは珍しいね/なるほど-やって砂金を採るのか」2すでに話題になるなどして、話し手・聞き手が共に意識している事柄に含まれる事象や状態を指し示す様子。「お互いに年を取り、-〔=あのように〕しろと言われても、今は無理だろう/田中さんは-見えても、意外に頑固だ/あの二人は-なる運命だったのかもしれないね」3〔「-…こう…」の形で〕事柄の及ぶ範囲が多方面にわたり、的がしぼれ(をしぼらせ)ない様子を表わす。「-だこうだと不満を並べる/-しろこうしろと言われても一度にできるわけがない/-言えばこう言うで、追及をのらりくらりとかわす」⇒こう・そう・どう:こそあど
[運用]話し手自身が過去を回想したりする時、経験した出来事などに含まれる事象や状態を指し示す場合にも用いる。例、「ああいう時こそ、もっと慎重に行動すべきだった」  新明解

 

皆がよくわかっている語をこれほど詳しく書く必要があるか、という意見もあるかもしれませんが、これは辞書としての一つのあり方でしょう。

むろん、私はこのような態度に賛成です。(いつもは新明解の批判ばかりしていますが、こういうところは高く評価します。)