「目的」は日常よく使う言葉ですが、じっくり考えてみると、興味深い用法を持ったことばです。
目的 〔何かをするときの〕めあて。めざすところ。「-をはたす・-をもつ・研究の-」
めあて 1〔そうしたい〕とめざしていること。「学習の-」[類]目標
めざす あるもの(・こと)を目あてとしてねらう。「頂上を-・-は大学受験・-敵」[可能]めざせる 三省堂現代新
「目的」は「めあて。めざすところ。」だそうですが、この「ところ」はことば通りの「場所」なのでしょうか。それならば「目的地」ですが。
では「めあて」は。「めざしていること」。事柄です。
それでは「めざす」とは。「あるもの(こと)をめあてとしてねらう」こと。つまり、「めざす」とは「あるもの(こと)をめざしていることとしてねらう」こと。いやいやいや。なんだかわかりません。
循環してしまっている部分以外の情報をつなげると、
目的とは、何かをするとき、そうしたいと、ねらうこと
でしょうか。なんだかよくわかりませんが、どうも二つのことが関係しているようです。
「そうしたい」を言い換えると、「それを実現したい」とも言えます。
「何か(をする)」と「それ(を実現する)」という二つのことが関係するわけです。
例えば、「Aをする」というとき、本当は「実現したい」こと「B」は別にあって、「Aをする」のはそのため必要なこと、Bの実現のための手段であるという場合、「Aの目的はBだ」というわけです。
「大学へ行く」のは「将来よい収入を得る」ためだとします。それを「目的」を使って一つの文にすると、
大学へ行く目的は、将来よい収入を得ることだ。
となります。上の「目的とは、~」という説明に当てはめると、
大学へ行くとき、よい収入を得たい、それがねらい(めあて/めざすところ)だ
というようなことでしょう。
「目的」の用例は、上の例のように関係する二つの事柄がはっきり入っているものが望ましいと思います。
「何かをする」の「何か」、「そうしたい」の「そう」の内容をはっきり示し、両方の関係を示した形で用例とする。そうすると、わかりやすくなります。
動詞を使った「節」の形でなく、名詞の形でもいいと思います。
大学進学の目的は、将来の よい収入/よい就職/安定した生活 だ。
なお、この二つの事柄は別の形で表すこともできます。
将来よい収入を得る目的で、大学へ行く。
「目的」の前の部分が入れ替わりました。
「大学へ行く目的」と「将来よい収入を得る目的」とでは、「目的」とその前の修飾部分との関係が違います。
「将来よい収入を得る」のは「目的」の具体的な内容です。それを目指しています。それに対して、「大学へ行く」のは、その目的を達成するための手段です。
「将来よい収入を得る」(という目的の)ために、「大学へ行く」という手段をとる
のです。
また、同じ事柄が「目的」と「手段」のどちらにもなりえます。例を別のものにします。
職場環境を改善する目的で、机の配置を大きく換えた。(改善=目的そのもの)
職場環境を改善する目的は何か。生産性の向上だ。(改善=目的[生産性向上]のための手段)
「目的」の前の修飾部分が「目的の内容」自体を表す場合は、「という」を入れると関係がはっきりしてわかりやすくなります。「という」はその前のことば・内容を、後のことばで言いかえ・まとめる表現です。
将来よい収入を得るという目的で、大学へ行く。
職場環境を改善するという目的で、机の配置を大きく換えた。
反対に、「手段」を表すはずのところに「という」を入れると、そのような意味に取りにくくなります。
?大学へ行くという目的は、将来よい収入を得ることだ。
また、「大学へ行く」こと自体が「目的の内容」なら、「という」が入ります。
大学へ行くという目的があって、毎日予備校に通っている。
「予備校に通う」ことが目的(「大学へ行く」)のための手段になっています。
「という」の使い方「という」のも、また難しい問題です。
まったく、日本語というのは、いや、言語というものは、なかなか複雑なものです。
以上のように、「目的」は連体修飾節(名詞修飾節)のとり方に特徴のある名詞です。
名詞の、このような文法的な側面についても、有益な情報が得られるような日本語の辞書があってほしいとおもうのですが、現行の国語辞典を見ると、高望みでしょうか。