独和・独話
新明解国語辞典のよくわからない項目の立て方について。
どくわ ①【独和】〔←独和辞典 〕ドイツ語の意味・用法を日本語で説明した対訳辞書。
②【独話】-する (自サ) 1 ひとりごと(を言うこと)。2 おおぜいの前で、自分だけで話すこと。 [新明解国語辞典第七版]
「どくわ」という同じ発音の語ということで、「独和」と「独話」が一つの見出しの項目として立てられています。
このような項目の立て方は初めて見たように思い、ちょっとびっくりしました。
例えば、前回話題にした「日中」では、発音も漢字表記も同じなので、
日中 1太陽の出ている間。ひるま。2日本と中国。「-貿易」3←日中辞典〔=日本語の見出しに中国語をあてた辞典〕。[アク]13平板。2に]っちゅう。 三国
のように、まったく違った意味の「日中」が一つの見出しにまとめられるわけですが、「どくわ」の場合は意味が違うだけでなく、漢字表記も違うのです。
国語辞典で、漢字表記が違っても、同音語が一つの見出しにまとめられることがあります。
新明解では、「凡例」に当たる「編集方針」に次のように書いてあります。
新明解 編集方針 細則 p.4 (一部記号など省略)
10 共通の成分でくくられる同音語、および語源の異なる同形の外来語などを便宜[一][二]で統合し、スペースの倹約を図った。
例、 しゅせき[一]〔主席〕……。[二]〔首席〕……。
かわ・く[一]〔乾く〕……。[二]〔渇く〕……。
あつ・い[一]〔熱い〕……。[二]〔暑い〕……。
ソース[一]〔sauce〕……。[二]〔source〕……。
「共通の成分でくくられる同音語」という説明と、「かわく・あつい」などの例が対応していないように思うのですが、そこにあげられている例を見ると、その方針がどういうことかはおおよそわかります。
「スペースの倹約を図」るため、「便宜[一][二]で統合」したわけですが、その基準は、おそらく意味の類似性でしょう。(外来語はまた別ですが。)
岩波国語辞典では、「凡例」に次のような説明があります。
岩波第八版 凡例 p.16
見出しの並べ方
4 同音語で意味の似たものは、場合によって同一見出しのもとに収めた。
かしょう①[過小]……。②[過少]……。
「同音語で意味の似たもの」ですね。これは、新明解の「かわく」「あつい」の例にちょうど合います。「主席・首席」も意味が似ていると言えるでしょうか。(それにしても、岩波の「場合によって」というのは、ずいぶんはっきりしない説明ですね。)
岩波・新明解で、一つの見出しにまとめられている二つ以上の同音・異表記のものを探してみると、例えば次のようなものがありました。
伯母・叔母・小母 改訂・改定 書く・描く 過少・過小
厚誼・高誼・交誼・好誼 小型・小形 受験・受検 追究・追及・追求
これらは、確かに岩波の言うように、「意味の似たもの」と言えるでしょう。
二つの辞書で違ったところもあります。
岩波では「規定・規程」はまとめられていますが、新明解ではそれぞれ別の見出しの項目になっています。
逆に、新明解では「酒食・酒色」が一つの見出しのもとにありますが、岩波では別の見出しとしてたてられています。
どうやら、新明解は「意味の似たもの」であるかどうかはあまり気にしていないのじゃないかと思われます。
「独和・独話」にしても、「酒食・酒色」にしても、「共通の成分でくくられる」(「独」と「酒」)というだけで、意味はずいぶん違います。
それなら、岩波とは方針が違うにすぎない、ということになりますが、では、新明解の言う「共通の成分でくくられる同音語」がすべてそうなっているかというと、そうでないことは明らかです。
例えば、新明解で「好機・好期」「巧技・好技」はそれぞれ別の見出しになっています。「共通の成分でくくられる同音語」であり、かつ意味もかなり近いと言えるのですが。上にあげた「規定・規程」もそうですね。
また、単に「共通の成分でくくられる同音語」というだけなら、非常に多くの語がそれに該当してしまうのではないかと思われます。(「改変・改編」「快弁・快便」「快方・快報」等々。)
結論。新明解のこの「スペースの倹約」を図るやり方は、あまり一貫性がなく、よろしくないのでは、と思います。「独和・独話」などの意味の類似性のないものはやめたほうがよいでしょう。