ことば・辞書・日本語文法(2)

元日本語教師です。ことばと、(日本語)辞書と、日本語の文法について、勝手なことを書いていきます。

国語辞典の「自動詞・他動詞」(25):動詞一覧と振り返り

ずいぶん長く書いてきたので、どんな動詞をどこでとりあげたのか、リストを作っておきます。ついでに、問題点をかんたんに振り返ってみます。

 

国語辞典の「自動詞・他動詞」

 (1)自動詞・他動詞の定義
 (2)越える・越す・飛び越える・飛び越す
 (3)乗り越える・乗り越す・乗り過ごす・乗り継ぐ
 (4)乗り換える・乗り入れる・乗り出す・乗り切る・切り抜ける
 (5)引っ越す・引き払う・くぐる・かいくぐる
 (6)殴り込む・切り込む・攻め込む・攻め入る・攻めかける・攻めあぐむ
 (7)割る・割り込む
 (8)向く・振り向く・振り返る
 (9)持ち越す・持ち寄る・稼ぐ・振りかぶる・降り込める・かみつく
 (10)勝つ・勝ち抜く・引き分ける・競う・競り合う・しのぐ・抜く
 (11)頼る・働きかける・話しかける・教わる・ならう・授かる
 (12)話し合う・抱き合う・もみ合う・張り合う・やり合う・掛け合う
 (13)待ち合わせる・押し通す・かっ飛ばす・浴びる・踊る
 (14)サボる・怠ける・おこたる・休む・避ける・よける
 (15)叫ぶ・どなる・わめく・うなる・がなる・ささやく・つぶやく・しゃべる・
   ののしる・言い返す・言い逃れる
 (16)恐れる・こわがる
 (17)喜ぶ・怒る・憤る
 (18)忍ぶ・耐え忍ぶ・耐える・嘆く・憂える
 (19)思う・思いつく・思い込む・思いつめる・思い切る
 (20)思い煩う・ためらう・患う・病む
 (21)備える・繰り返す・煮出す・ねじ込む
 (22)畳みかける・取り乱す・誇る・自慢する
 (23)送る・暮らす・ど忘れする
 (24)焦る・恥じる・気取る・心がける・いつわる・うらやむ・つとめる・突き出す


(1)初めに自動詞・他動詞の定義を各国語辞典の項目・解説から引用しました。
三国や岩波の定義の要点は「影響を及ぼす」という意味的な基準です。それだけではうまく行かないだろうということは容易に想像できるものです。

最初にとりあげたのはいわゆる「移動動詞」で、「通過点」の「を」の問題です。

岩波の「越える」と「越す」の区別が私には理解できません。

  「山を越える」と「山を越す」を比べてみるとよい。「越す」は他動詞である。
                               岩波「語類概説」

岩波はこのように(「上から目線」で?)断言しますが、10冊の国語辞典のうち、「越す」を他動詞としたのは3冊だけで、7冊は自動詞としています。岩波の断定的な主張はあまり支持を得ていません。
学問的な主張は多数決で決まるものでないことは言うまでもありませんが、岩波はもう少し説得力のある議論が必要でしょう。

(2)から(4)まで、「越える」「越す」を含む複合動詞と、「乗る」の複合動詞、「乗り切る」の類語の「切りぬける」などを見ました。移動動詞、およびその周辺の動詞です。
各辞書の違いが大きく、それぞれの辞書で自他の判定に関する主張と実際の判定が一貫しているのかどうかを検討しました。
「塀を飛び越える」が自動詞で、「塀を飛び越す」は他動詞だとする根拠は何なのか。「電車を乗り過ごす」の「電車を」は通過点なのか?

(5)では「越す」の一つの意味を表す「引っ越す」と、通過点の「を」をとる「くぐる」などを。
後者では実際の動きと、ひゆ的な意味の拡張を同列に扱っていいかどうかという問題があります。
「門をくぐる」は自動詞と見なすとして、「法の網/監視の目 をくぐる/かいくぐる」を同様に「移動」と考え、自動詞とすることは適切かどうか。後者は「対象」と考えて他動詞とするか。あるいは、どちらも他動詞とするか。

(6)では、他動詞に「-込む」が付いた形を自動詞と考えるかどうか、などの問題を。「攻める」に「-あぐむ」が付くと自動詞と考える理由がわかりません。

(7)では「割る・割り込む」の「基準点」の「を」をどう考えるかを見ました。この用法の「割る」と「割り込む」で自他の判定を変えるのはなぜでしょうか。

(8)の「後ろを 向く/振り向く/振り返る」はどれも同じ用法に思えるのですが、これらを自動詞と他動詞に分けるのはどういう根拠によるのでしょうか。全部同じにしているのは新選で、自動詞とします。それでいいでしょうか。その根拠は「影響を受けない」から?

(9)は1冊の辞書が独自判定をしている語を集めました。各辞書の編集者はどういう論理で他の辞書と違う判定をしているのか。

(10)では「勝ち抜く」は「移動」動詞なのか、「争う」と「競う」の違いは、「抜く」と「追い抜く」で自他が違うのか、などの問題を考えました。

(11)の「働きかける」「話しかける」では「を」をとる用例の存在に気付いているかどうかが問題なのだろうと感じました。逆に、「頼る」では「に」と「を」の用例があることを知りながら、自動詞のみとしたり他動詞のみとしたりする。
また、「教わる」「授かる」を自動詞とする辞書は何をどう考えてそうしたのか。

(12)は「-合う」の形の複合動詞を検討しました。他動詞に「-合う」が付くと、なぜか自動詞とする辞書が多くなります。「を」をとる例が制限されるのですが、データベースを調べると一応あります。

(13)は少数派の辞書の特集です。「踊る」を自動詞とする辞書が多いことに驚きました。「同族目的語」という考え方でしょうか。

(14)の「仕事を サボる/怠ける/おこたる/休む」を自動詞としたり他動詞としたりする根拠は何か。「嵐を避ける」を自動詞とする辞書はなぜそう考えるのか。

(15)の動詞は「を」をとりにくいと考えられているのでしょう。しかし、とる例が実際にあれば、それは他動詞(「自他」も含めて)でしょう。

(16)から(20)は心理・精神活動に関する動詞をとりあげました。「を」をとっても自動詞と考えられることが多いものです。しかし、そのことは自動詞・他動詞の定義ではっきり触れられることは多くありません。
(19)で「(明日は雨だ)と思う」の形を他動詞と見なすことの根拠を問題にしました。こういう引用句と自他の問題に関しては、どういう議論がなされてきたのでしょうか。

(21)と(22)は、岩波やその他の少数派の場合を拾っています。用例をきちんとあげることが重要です。

(23)では時の経過を表す「送る」と「暮らす」を考えました。「一日を 送る/暮らす」は自動詞なのか。

(24)は、とりあげ忘れた心理動詞などを。岩波が他と違う場合が多くあります。「勤める」を他動詞とするのにはちょっとびっくりです。

 

こうやって振り返ってみると、そもそもなぜ「自動詞/他動詞」という分類をするのか、という基本的な問題をじっくり考えてみないと、と思います。
それはまあ、大変な問題なので、またゆっくり考えてみたいと思います。